畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

幻のモンスターマシン「DD53」の生涯

2013-01-23 05:35:15 | 暮らし
 先日も触れた話しだけれども、古い写真を見て懐かしくなり、ネットで「DD53」をキーワードに検索した。
その結果、「DD53」のみならず、「DD14」関係の解説やら、動画まで投稿されていて驚いた。
(動画は「http://www.youtube.com/watch?v=C7aktL3esSI」でDD14が見られます)


                「上越線石打~大沢間で作業するDD53」

 長くなるけれど、その紹介文を抜粋して載せます。

1965年に2両、1967年に1両の計3両が汽車製造で製造され、計画通り新潟地区へ投入された。
当機は本来優等列車が雁行する上越及び信越線で出来る限り列車に支障しないよう高速で除雪を行うために
開発されたものだったが、当初の目的であったハイパワーが逆に仇となって本州の投入線区で数々の問題が起こった。
また、そのような性能の要求がある線区が他になかった事から本格量産には至らなかった。
上越新幹線開業後は補機を従えた最大出力での除雪作業の運用も無くなり、
除雪機関車の製造はロータリー式のDD14形のみが1979年まで細々と続けられた。

「投雪が民家の敷地に飛び込む」「電線を切断する」といったトラブルは古くは蒸気機関車推進のロータリー除雪車時代から
あった問題だが(そのために、除雪列車に大工や電気技師を同乗させることもあったという)、
当時は道路状況が現在とは全く異なり鉄道がなければ冬期は地域が孤立する状態であったために
やむを得ないことと許容されていた。

しかし、時代が変わり鉄道の絶対的だった地位が失われた事で問題が顕在化する。最高時速20km/hという
ロータリー除雪車としてはかつてない高速で除雪を行ったDD53形の投雪の威力が凄まじく、
窓ガラスや屋根瓦を破損するばかりか、民家の室内にあったピアノを破壊したという、
事実かどうかも疑わしい伝説を残している。
(スベルべ注 ピアノの話はともかく、嫁入り道具を壊してしまった話しは聞きました。)

DD53形のロータリーヘッドの運転席は前方確認および雪のかき寄せ状況の確認を容易にするために、投雪口の前方、
かき寄せ羽根車上に配置されているが、後年沿線の宅地化等により投雪の被害が頻発したため、2・3号機については
投雪方向の確認を容易にするために運転席を投雪口の後方である機械室前部に移設する改造が行われた。
(スベルべ注 どんな機械でも使い方が全てです。運転席が投雪口の前方に有った時は振り返ってみると、
投雪口から吐き出された雪の着地地点が良く見えて全く問題は無かった。巨大なパワーを使いこなせなかった、
初心者の乗務員が言いだした事で改造されたと思うのだが、投雪口を運転席の前方にしたら、目の前に噴き出す、
大量の雪の立てる雪煙で着雪地点が全く見えない結果となり、使いものにならなくなったのが現実)



                「上越線 越後中里~越後湯沢間で作業するDD14」

2号機と3号機は、1987年に東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。長岡運転所(現・長岡車両センター)に所属し、
3号機は上越線(水上駅 - 宮内駅間)の除雪に使用された。しかし、降雪量の減少などによって次第にDD14形だけで
除雪運用をこなすようになったため、まず2001年に3号機が廃車となった。
 (降雪量の減少などでは無く、スベルべが前述したように改造の結果使いもにならなくなったと言うのが現実。)

 解説文にも有る通り、時代の背景も有るのでしょう。
道路網、高速網、新幹線の発達により、鉄道在来線そのものの存在価値が薄れてしまった事も原因。
しかし、幻のモンスターマシン「DD53」の生い立ちは、かって二十歳代で乗りこなしていたスベルべには、
懐かしくそして少しだけ寂しい話です。
 自分自身の発達し過ぎた、角や牙が仇となり、滅びてしまった太古の恐竜につい重ねて思う「DD53」なのです。
コメント (5)
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