あの忌まわしい、「新潟・福島豪雨」から丸三年経ちました。
史実に拠ると、明治30年に同じような大規模な水害に襲われた記録が有る。
我が家の食堂の窓からは信じられないような光景が見られたのでした。
最大水深よりも少し水かさが減った時点だと思われるが、農天市場の建物ももう少しで完没る
右手に見えるガソリンスタンドは、ダメージが大きくその後廃業する事となった。
奇跡の光景です。点滅するパトライトは災害救援から帰る途中屋根まで水没した消防署のワンボックスカー。
その、前後に2台の車が完全に水没していたけれども、消防署の持っていたゴムボートで避難し最悪の事態を免れた。
その右に建物が流されていて、どこから来たのか全く分からなかった。
でも、後日、後方に見える「味の家 魚野川」の薪小屋だった事を知ります。
農天市場の後方に見える緑の堤防が最後まで延伸されていず、そこから濁流が流れ込む事となった。
今は、堤防の延伸と水門の新設工事が進んでいて間も無く完工の予定になっています。
これは、日付が30日に変わる前の状況でしょう。
この後、高床式で高さが2メートル近い我が家の一階部分まで浸水する事になります。
濁流が、津波が引くように引いた時間帯の写真です。
国道は勿論の事、線路まで完全に水没していました。
明治30年の水害の記録でも、左に見える「竜光」集落から右の「下島」集落の山まで水で覆われたと有る。
簡単に言えば、大きな湖が出現したような光景だったのでしょう。
『災害は忘れた頃にやって来る』は故寺田博士の言葉だったと記憶しています。
正に、その通りで、何百年に一度の大地震「中越地震」に見舞われ、そして百年に一度の大水害も経験させてもらった。
皮肉な事だけれども、滅多にない大災害を運良く?二つも経験してしまった。
「災害は忘れた頃にやって来る」の言葉の意味を噛み締め、災害に備えてもらいたいものです。