ようこその歴史と自然と景観の宝庫、下島『上の原』に(その2)
(上の原から見た歴史)
1万2千年程前に氷河期が収束し、人間の生活が始まり、
上の原のA遺跡と呼ばれる地域では旧石器時代の石器が発見されています。
この1万2千年前というと、縄文時代が始まった時期にもなります。
9千年ほど前には海岸線の進行により内湾が形成され漁業もなされたと言います。
下島の下手の山からは海水に住む貝類の化石が多く見つかります。
3千年ほど前から居住地が台地上から下へと移動が始まります。
上の原からは、多くの土器、石器などが出土していて我が家にも、
祖母が長芋の収穫中に掘り出したという、磨製石器があります。
静かにしていると古代の縄文人たちの話声が聞こえてくるかもしれませんよ。
私たちがその縄文人の子孫だという確証は諸説が分かりません。
しかし、上方から優勢な部族が攻め入り、先住民は東北に逃げ延びたとも言います。
さて、日本人も南方系・北方系が居ると言いますから、さて私たちはどちらでしょうか。
遠くから嫁いできたり、遠くに嫁いだりして特徴は平均的になっているのかも知れません。
さて、台地から下を見ると魚野川が良く見えます。
いつ頃までか、今のような水防技術の発達も無く、大水の度にあちらこちらと流れが変わる暴れ川だったのでしょう。
明治30年、今から120年ほど前の大洪水でも下島から竜光の山まで水で繋がり、
7年前の大洪水と同じような状態でした。
なお、宝暦14年(1757年)に下島の下手に有った新道島集落が魚野川の洪水のために、
田畑、家屋敷が欠け流れ、川東に移転したと言います。今から260年ほど前のことになります。
(続く)