昨日は頼まれて80名と言う参加者の前で話をさせて頂きました。
社会的に大切な仕事をされている、皆様の総会でのお話と言う事で大役です。
50分と言う時間を頂き、前もって15,000文字分の原稿は作っていました。
でも、いつも通りの脱線講演で、その話の半分も話さないうちに持ち時間は終わっちゃいました。
時間配分も考えて、最も話したいことから話し始めたら良かったのでしょう。
話は全体の流れもあるから、持って行き方が大切だと痛感した次第。以下要約趣旨を少々。
「今までやってきた事、今やっている事」
自己紹介「渡辺謙さんのような人だったら良かったのでしょうが、ご覧の通り日焼けした、
ジャガイモのようなジーさんでごめんなさい。」と、眼鏡を取り日焼け跡をご覧いただきます。
現在の職業、畑仕事。
サラリーマン時代の50歳代から退職後の仕事として考えていた。
自分の性格、「沈黙は金雄弁は銀」と言うが、しゃべり過ぎたり書き過ぎで失敗も。
映画「ベトナムの風に吹かれて」
上映会の発案者、仕掛け人の一人。
作者「小松ミユキ」との関わり合い。
元々は「越後のBaちゃんベトナムに行く」が映画化された物。
配給会社と映画館の系列の話
日本ベトナム友好祭への市役所とJAへのブース出展要請
越南タイムス
「魚沼の日々」が連載197回になっている。
山菜・釣り・登山・旅行・ペット・昔話・オートバイ・食べ物・暮らしと続いている。
まだ、バドミントンの事とか畑の事とか、書くネタに困ることは無い。
どうして文章を書くようになったのか
早期退職
夢へのチャレンジと失敗、挫折
鬱状態の日々
「男の料理教室」への同級生からの誘い
「男の料理教室」での講師体験「酒のつまみ編」
当時の角谷堀之内支所長から「おたっしゃクラブ」の運転手要請。
4、5年続けた送迎運転手の仕事
と、続けさせていただきましたが大切な言葉を忘れちゃいましたね。
『七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず』
(しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがって、のりをこえず。)正にこんな心境です。
最後はこんな言葉で締めさせていただきました。
ボランティアが自然に参加でき、自然に受け入れられるような社会の実現
そして、誰もが困ったら気楽にボランティアの幼生が出来る社会の実現。
そんなことが理想で、元気で暮らせるうちは役立ちたいものです。
(お話をさせ頂きたいことが多すぎて困るスベルべでした)