「鳥追い」行事の続きです。昔は食べ物作りまで全部子供でやっていた。
ま、精々餅を焼き黄な粉を着けて食べると言った程度だったかも知れません。親は差し入れ程度。
そんな子供主催の行事にも親の介入が進み、親子どちらが主体か分からなくなった。
そんなことを思い出しながら、「だんなどん」が希望に応じた鶏の砂肝とレバーの煮物。
「だんなどん」の対語は何かなー。
おかみさんでも無いし・・・。と、スベルベママ作は野菜炒め。
こちらは、スベルベママの野菜の煮物。
自家産野菜が主体で、こういう煮物類作りは「だんなどん」は苦手です。
と、考え会話を交わしながらも飲み続けるワインは2011年11年前の作。
昔は一人で一本は軽かったけれども、今回も半分ほどで止めたのは年齢という事かな。
「鳥追いの歌(魚沼弁※)」
鳥追いだ 鳥追いだ だんなどんの鳥追いだ
何処から何処まで追ってった 信濃の国まで追ってった
何を持って追ってった 柴(しば)を振り振り追ってった
じーばん鳥も しーばん鳥も 立ち上がりゃ ほーいほい
いっちな いっちな にいくい鳥はドウとサンギと小スズメ
小スズメのちくしょうが稲三把(さんば)盗んで
甘酒辛酒作って ドウに六杯飲まして サンギに三杯飲まして
そうだ そうだ そん時だ ドウも サンギも 小スズメも
佐渡島(さどがしま)へ ほーいほい
歌詞の中の「ドウ」は朱鷺の事だという。子供に追われて佐渡島かな(笑)。
昔は佐渡ばかりではなくてこの辺りにも住んでいたという名残ですね。
※鳥追いの歌は集落毎に、また年代毎に変容が大きく、統一的な歌詞の採録は困難です。
新潟県魚沼地方においては「鳥追い」の夜は、子ども達だけでも夜更かしが許されていたため、一年の行事の中でも一番楽しみにしている日でした。かつては「ほんやら洞」と呼ばれるカマクラ(雪で作った1晩だけの雪室)に集い、子ども達が各時持ち寄った「餅」や「お菓子」を食べて楽しみましたが、カマクラの崩落などが時々発生したこともあり、昭和50年代以降は安全確保のために徐々に「室内での集会・飲食」となりつつあるようです。鳥追い歌の班(宿)は、男女別の場合と、男女混合の場合とがありますが、基本的には上記の「鳥追いの歌(集落毎に差異があります)」を歌いながら「雪明りに照らされた集落内の家々」を巡回します。そしてその翌日には集落の大人が取り仕切る「歳の神」が行われます。(引用です)
年が改まると昔からの行事がいろいろありますがその行事に食べるものが決まっているのがおもしろいですね。それでもこちらではかなりの行事が無くなっています。年番という10軒ほどが当番になって年間行事のお世話をする制度があったのですが、昔はやたらと行事が多くてそのたびにお手伝いが大変でした。もう10年以上前ですが「これからは若い人の時代になるし昔からの決まりの行事も意味が無くなって来るので年番制度を止めます。」という区長さんの判断で年番が無くなったのでかなり行事も無くなりましたが、昔から親しんできた行事を急に止めるのも、という訳でお年寄りの有志の方が続けていたのですがそれもだんだん無くなってしまいました。他所から来られた若い方々は古い行事には関心が無いだろうし辻に立っているお地蔵様の意味なども昔の本など読まないと分かりません。時代が変わるというのはこういうことなんだなぁと思うこの頃です。
その上、コロナという事で集まりも制限されてしまい何事も制約されています。
変な話ですが、お葬式もこれで身内だけと言う方式が定着してしまうのかも知れません。
良いような悪いようなことで、先日はひっそりと周囲にも知らさずに出棺された例も。
跡から話を聞いて駆けつけ「お見送りも無いなんて、おかぁさんが可哀そうでした。
遠慮にも程度があります」と、年上のご主人に向かって思わず説教してしまいました。
嫁いでこられた女性、お母さんを責めるわけではありません。教える立場の主人、私たちも悪いのですよ。
普段の教育を母親任せにし過ぎた結果だろうとも思っています。