遭難(その2終り)
米山山頂にて
日本海に向かって下山。柿崎辺りの海岸線が見えます。
『遭難』(その2終り)
着いて十数分たった八時過ぎ、ヘリから県警本部に報告する無線が傍受された。
「八時二分遭難者発見。無事の様子。」全員からどよめくような喜びの声が上がった。
「おい、生きていたぞ、無事だぞ、良かったなー。」その場全員の喜びの様子に私も目頭が熱くなった。
その後収容作業を終えたヘリは、市営運動公園に着陸し当人は近隣の総合病院に運ばれた。
現地から警察署に行き、署員に先ずお礼を申し上げ、病院に急いだ。
病院の救急治療室に恐る恐る入ると、気配に気付き私の方を見た。
「無事で良かったなー。」と声をかけると、擦り傷と血行不足で、
青黒くなった手足の治療を受けながらポツリポツリと状況を語った。
下山途中に二回、道を間違え一回目は元の道に帰れたのだが、
二回目は最悪で残雪の残る沢に迷い込んでしまった。
そこで濡れた着衣を着替えたのだが悪いことは重なり、
大切なリュックを取りに行けない下方に落としてしまったのだ。
しかし、そこから沈着に無理な行動を取らなかったことが生還につながった。
斜面の大きな木に腰かけ雨の降り続く夜を過ごしたと言う。
名前を呼びながら飛行するヘリコプターを見て、助かったと思い、
手を振ったが中々見つけて貰えずもどかしい思いをしたそうだ。
再度警察に戻り家族達と出会い再度病院を訪ね、感激の対面をした。
家族も全員が最悪の事態を想像していたのだからその喜びは大きかった。
警察にも消防にもその生命力は驚かれたが、必ず最後の言葉は「もう登山は止めるでしょうね。」だった。
担当した医者にも同じ事を言われ、私も苦笑いをして聞くしか無かった。
その後の診断で一・二週間の入院との事。
低温度で全身の筋肉が破壊され、内蔵機能が低下し、特に腎機能の低下は人工透析が考えられるほどのレベルだった。
本当に奇跡の生還だった。そして、その後の回復も奇跡的なものだった。
あらためて山、自然の怖さも思い知らされた。
この話が、教えてくれ、そして得た物は大きい。登山は一歩間違えると怖いものです。