畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

連載(特別編)「あれから10年・・・」(その2)

2021-07-26 04:42:36 | 暮らし

  シャッター速度が遅くてブレています。味の家魚野川さんの手前を流れ寄る建物は薪小屋でした。国道に見える赤いランプは南魚沼市消防署のワンボックスカーの赤い警告灯でした。

 

    「新潟・福島豪雨」その時を振り返る(その2)

 その前に地下の車庫にあった軽トラに駆けつけて、運転席を寝場所にしていた犬のマックスを水をかき分けて救出し、風呂場に避難させていた。しかし、その風呂場さえ排水溝から泥水が上がって来た。またマックスを抱いて今度は二階に避難させた。

 食堂から外を見ると、濁流が津波のように押し寄せてくるのが見える。遠くには大きな建物が流され、我が家の方向へと流れて来る。(後日、その建物は味の家魚野川さんの薪小屋そのものだったと知る)

 次に、我が家から300メートルほど下流方、長岡方面に赤く回転する警告灯を見つけ、誰かが交通止めのために固定式の警告灯でも設置していったのかと思った。そして、ライトを二つ点けて長岡方から小出方に向かう乗り物を見つけた。こんな水の中を走るとはどんな乗り物かと思ったが、物音もしないのも不思議だった。(これも後日知ったのだが、ゴムボートの両側に二人がそれぞれ手持ちのライトを点けて逃げているところだった)

 高床式の地下と、一階を繋ぐ階段まで水は迫り、とうとうその階段は浮き上がって来た。7時を過ぎるころには、とうとう床上浸水。妻の心配が現実のものとなってしまった。8時を過ぎるころにようやく濁流は引く気配を見せ始める。

      (続く)

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連載(特別編)「あれから10年・・・」(その1)

2021-07-25 17:00:37 | 暮らし

 今回の地方新聞「越南タイムズ」は水害の特集です。

3月11日には東日本大震災が発生。冬は大雪であり、大変な2011年でした。

 今年は例年よりも早く梅雨明けしましたが、線状雷雲などの発生も懸念されます。

「治に居て乱を忘れず」です。振り返り、対策をもう一度考えましょう。

 

 

 下流側の隣村の住人撮影による洪水状況。右上に我が家も見えます。

 

  「新潟・福島豪雨」その時を振り返る(その1)

 我が家は魚沼市を流れる魚野川の最下流となる地域になる。

北堀之内駅の約70メートルあたりに位置する。10年前の水害では、辺り一面が水没し大きな被害が出た。

 湯治書き留めていた文書や記憶を元に、その時の様子をお伝えします。災害、水害対策の一助になったら幸いです。

 

 平成23年7月28日だった。雨が降り続き、夕方には魚野川の支流、大沢川の氾濫が始まった。旧大沢川から新大沢川に堤防を潜って抜けるヒューム管が細く、溜まった水が排水しきれずに水位が上がり、我が家の地下まで浸水しそうになった。

 他の小河川も氾濫し、山の畑へと続く農道も沢から流れ出た土砂で埋もれるほどだった。

 その年は村の役員をしていたのだが、その水害の後始末について夜に、役員が招集されて会議をしていた。22時頃に終わって帰る途中、大沢川が再び氾濫し、民家に迫る勢いとなっていたが、住人に聞くと水は引き始めたと言う。

 その話を聞き、安心して帰宅したのだった。しかし、雨は降り続き、水位は下がりそうにも無い。

 23時を回ったころにはとうとう高床式の玄関の階段にまで濁流は押し寄せて来た。それでも、午前0時を過ぎるころには水はその水位を下げ初め一安心。元来楽天的な性格の私は間も無く引き始めることと信じ、心配する妻をよそに布団に入ったのだった。

 2時少し前にどうも水位が上がり続けている。このままでは床上まで上がりそうだと緊迫した妻の声で起こされた。それまで妻は心配で眠られずにいたようだった。妻に促されてテレビ、温風ヒーターなどを外して二階に上げる。呑気な私に言っても、支度など素直に応じないと考えた妻は、気狂いを固定するネジ類を全部外して準備していたのだ。そして、座敷などの畳もはがして高いところに上げようと言う。

 いくら何でも、そこまで水位は上がるまいと多寡をくくって低い和室用テーブルの上に畳を積み重ねたが、なおもじわじわと水位を増す状況に、畳みも二階へと上げることになった。

       (続く)

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独り黙々と「とうや」を掘る

2021-07-25 04:06:55 | 野菜

 まだ枯れ果ててはいないが、ジャガイモは十分に採り頃。

朝早くから、独りで黙々と「とうや」を掘ります。涼しくて気分は最高!

 

 今年は20キロの種芋を植えた「とうや」です。

種芋に比しての収穫量は多く、味も良い優良品種だと思います。

 

 比重の大きなジャガイモで持ち重りがする。

中は濃い黄色で、味も濃い。ポテサラ、コロッケ、カレーの具と万能です。

 

 種芋が腐らずにしっかりしていたので並べてみる。

ジャガイモの収量は種芋の10~15倍と言われますがどうかな。

 

 6時半を告げる市のチャイムが鳴りました。

他の野菜、ズッキーニ、キュウリ、インゲン豆を収穫しながら帰りましょうか。

 昨日の朝、イノシシの箱罠近くのジャガイモが掘られた形跡。

帰宅して畑の持ち主に「掘りましたか」と聞くと、返事は「まだです」。

 どうも、掘った犯人、いや仕事師はイノシシのようですよ。

不規則な掘り跡は、子供の掘り方のようでもありました。

 我が家の美味しいジャガイモに眼を着けられたのではたまりません。

収穫を急がなければならない雰囲気になってきました。さて、山へ行きます。

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トミオカホワイト

2021-07-24 05:10:23 | お出かけ

 越後三山の一つ八海山の麓です。

八海山の山頂付近は雲に覆われて見えません。

 

 連日の暑さで、食欲も薄れ外で昼食を食べようということに。

小出の街中でご飯を食べ、朝見た新聞記事に惹かれ足を延ばした先は。

 

 トミオカホワイト美術館ですの

新聞の記事は、ドローンで撮影した新潟県内の写真展でしたが。

 

 ドローンの写真展のみだと無料。常設の美術館は有料です。

当然ながら、館内は写真撮影禁止。長岡市街の夜景、魚沼の風景は素晴らしい写真でした。

 トミオカホワイトについては富岡総一郎さんの作品のみの展示。

トミオカホワイトは富岡総一郎の独特の白、ホワイトの世界です。

私たちの他にはお客さんは県外者が一名のみで、静かな非日常の空間でした。

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美味しいねー「津南ポーク」は

2021-07-23 10:12:38 | 食べ物

 わがままを言って、津南ポークの豚肉を配達していただきました。

レストランなどに配達するついでに、我が家に届けていただいたのです。

 津南ポークのお父さん、社長さんは先日亡くなられましたが仕事は継続。

奥さん中心で頑張っていらっしゃいます。さて早速ポークソテーで頂きましょう。

 

 ここのところ、豆腐はもっぱら訪問販売の「摂田屋豆腐」です。

小出の「立場豆腐」さんも、同級生が営む「菱屋豆腐」も美味しいのですが。

 

 豆好きなスベルベママが白いんげん豆を煮ました。

 

 こちらは昨秋の真っ赤な大根「紅クルリ」です。

冷蔵庫はキッチンと高床式の地下にあり、地下の冷蔵庫からは時々宝物が。

 

 ニ、三年前には考えられなかった夕食時間です。

あの頃は、明るいうち、日が沈むまでは畑で働いていましたからね。

 短時間の仕事でも、夏場は汗をたくさんかき夕食のビールは必需品。

北西の山に沈む夕日を眺めながらの夕食は、ゆっくりと進みます。

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