夢見るババアの雑談室

たまに読んだ本や観た映画やドラマの感想も入ります
ほぼ身辺雑記です

食べること

2007-06-24 20:24:53 | 子供のこと身辺雑記

食べること
食べること
食べること
肉じゃが 鍋物 サラダ 主人の実家で野菜いただいてきました

義母いわく 今年のきゅうりは何故かまっすぐにならず曲がる―とのこと

山のようないんげん豆も頂きました
少し味つけして天ぷらにしようかな
テレビ見ながらスジとり ぷつんぷつんしましょうか

刻んでスープの身に使うのもいいかな

主人は男兄弟の真ん中 上下二人が帰らないこともあり 主人の両親は近くにいる私の事も可愛がってくれていて よくしてくださいます
主人は定年迎えたら田畑やりたいとも思っている様子
その野菜を使って めし屋なんてささやかにできないかな
少し先の夢です
煮物 焼き物 家庭料理で腕を磨いておかなければ
調理師の資格だけは(腕がともなわないけれど・笑)持っております

近所の定食屋のおばちゃん
私に できるでしょうか


作るおかずが 少し中華づいてます

2007-06-23 10:14:50 | 子供のこと身辺雑記

作るおかずが 少し中華づいてます
作るおかずが 少し中華づいてます
作るおかずが 少し中華づいてます
作るおかずが 少し中華づいてます
作るおかずが 少し中華づいてます
ピーマン キャベツ 豚肉 の回鍋肉もどきとか
麻婆豆腐 かに玉

昨夜の珍味?!
主人は麻婆豆腐の中にスクランブルエッグ入れて 食べてました
たこ焼きも

何故 出した料理をそのまま食べてくれないのかしらん^^;
内心このぉ~と思う私(笑)


平岩弓枝著「御宿かわせみ」読本 文春文庫

2007-06-22 23:26:02 | 本と雑誌

平岩弓枝著「御宿かわせみ」読本 文春文庫
書きも書いたり32冊 19年も書き続けている―
るいと東吾を中心としたシリーズ

昔「太陽にほえろ!」で殿下なるニックネームの刑事を演じた小野寺昭が神林東吾

真野響子がるいを演じたドラマがあった

それから沢口靖子さんの おるいも良かった

最近では高島礼子さんが おるい役を

ファンも原稿を寄せた 一冊


葬儀後の大騒ぎ(笑)

2007-06-22 00:38:58 | 子供のこと身辺雑記

葬儀後の大騒ぎ(笑)
葬儀後の大騒ぎ(笑)
葬儀を終えて 飾り付けに会館の方が来て下さると・・・言う

たっ大変だべ・・;
整理整頓放棄した無気力主婦の私
ゴミは気のせいよと無視し続け

結果
泥棒でも逃げ出しそうな室内である

会館から帰宅後
掃除だ 片付けだ えらいこっちゃがな あソレ!ぽんぽこりん

私は仏壇まわり
主人と長男は わけわからんゴチャゴチャ荷物を 他の室内へ移動させ
娘は拭き掃除

と ここで 自分の部屋は ゴキブリもミイラ化しそうな混迷みせる娘が 意外な鬼軍曹ぶりを見せる

「もう!だれ ここ拭いたん」

「綺麗になったよね」と長男

「どこが!ここはね~」と本当に綺麗になる拭き方をみせ怒る娘
「き綺麗好きだったのか 娘よ あの秘境異次元な部屋は何故片付かない?」
尋ねる私に娘は答えた

「あれで心が和むのさ~」

「なんでだべ?」

「う~~~ん?」と娘は考え込み
同じ質問をさっきもしてみたが
何故か 今夜に至るも 答は出ていない

散らかすのが楽しく嬉しい家風なのだ
そう言い張ってみようかな

写真は「雪だるま」と布団でふざけるお茶目な長男 本人いわく「無理して笑いをとっていた」

それと帰宅したら留守番が寂しかったのか やたら転げて甘える猫の可奈


母の死

2007-06-21 23:31:37 | 子供のこと身辺雑記

母の死
母の死
母の死
4月8日深夜救急車で運ばれ 入院した母は 暫くは食事もでき 今度退院したら車椅子でいいから旅行に行きたい などと言うほどに 一度は回復してみせた だが去年秋口に主治医をして 長くはもたない おそらく2007年の正月が最後のものになる
そう判断させた病魔は確実に母の体を蝕んでいた

昨年12月にもやはり意識不明になり救急車で運ばれた母だが 主治医の厚意で 外泊許可が出て 年末からお正月の間 数日は家で過ごすことができた
そして春の退院からひと月余りで 再び意識不明となり入院

口から食事を摂れなくなり点滴数種類が頼りとなり 腎臓も悪化 しかし体力がないゆえに透析はできない

血圧が下がるようになり 注射型をした薬をずっと入れるようになる
容体の急変に備え 血液中の酸素値 脈拍など3種測定モニターもつけられ
時々は酸素吸入のマスク

母は話すことも意味をなさなくなり
ただ「痛い」「きたない」「おかしいねぇ」 そんな言葉しか言わなくなった
五月連休開けだったか 数字が幾つかゼロになり ここまでか!ともいう状態になったが 主治医の努力 看護師の方々の 頭を下げるしかない 天使もかくや ナイチンゲールの精神 更に進化させたが如き手当て 看護のおかげで 母は持ち直して

しかし一つ良くなれば 別の部分が悪くなる
最初は効果を見せた輸血や血圧の薬も 更に悪化の坂道を転げる母の病状の前には 一時凌ぎ 治療は蟷螂の斧
声も日に数えるしか聞けなくなる

「痛い」「さわらんといて」

片目は失明 片目もうっすらとものの形しか見えなかった母

二重瞼の大きな目を開き たまに瞳を動かしていた

その目に何が見えていたのだろう

飲み込むことも 吐くこともできなくなり こみあげてくる緑色の液を出すチューブを鼻から入れ それでも足りず ごぼごぼ口の中にこみあげるモノを看護師さんが器具かけて吸い出して下さる

何をしても 時期がいつになるかだけで
死は近くで待っているのだった

幾度も幾度も もうもたない
看護師の方々も 泊まられますか? ご家族の方はすぐに来られますか? そんな状態になりながら

数値はよみがえり

でも とうとう 血液中の酸素が機械では測定できない状態になった

どの数字も血圧も どんどん下がっていく

16日は土曜日 学校から直接 長男が病室へ 夜は塾を終えた娘が

その夜は 明日が日曜ということもあり 私は病室泊まり

朝 帰宅し 少し寝てから病院へ戻り 遅くまでいて日曜の夜は家で睡眠とり 家族を会社 学校へ送り出してから病院へ
母の状態は悪化するのみ 昼も帰宅せず父に連絡し病室に詰め 病院の売店でおにぎり二つコーヒーなど買いエネルギーをしっかり補給

夕方 長男が学校からじかに病室へ姿を見せ さかんに声をかける
夕飯支度の為 長男連れて帰宅
おかずだけ作って 病室へ戻る

月曜の二時間ドラマが終わり―少しして数字がゼロに
声を掛けると少し数字が動く
看護師さんが 「来られる方に連絡を」

家に電話すると 長男は来る 夫は長男と一緒に
娘は体調悪い祖父を気遣い おじいちゃんと一緒にいる と

夜間入口まで夫と長男を迎えに行き 病室へ戻る
長男がベッドの傍らにかけつけ 声を掛けるのを待つように

実際 待っていてくれたのだが
ゼロに変わるモニターの数値を見つめ
手順を踏んで 主治医が母の臨終を告げる

自分の無力感を味わっておられるのか 医師の顔は悲痛であった
こちらが気の毒に 何か慰めの言葉をかけてあげたいと思うほどに
精神的に過酷な仕事であろうと思う
幾ら手を尽くしても助からない患者はいるのだ

母のように

看護師の方々が母の体を綺麗にして下さりメイクは 私に手伝わせても下さった

そして会館へも連絡して下さって
運ばれる母を 居合わせた看護師全員で見送って下さったのだ

病院から母を乗せた会館の車が出ていくまで主治医の方 主な看護師さんが見送りを

母を運ぶ車には長男が乗り 私と主人はそれぞれの車を運転し後を追った

その駐車場まで見送って下さった看護師さんは 4月8日夜 いらした方でもありました
今回の入院の最初の夜から最期の夜まで

ずっと温かな優しい看護をして下さいました
ずっと入院退院を繰り返してきた母
数多くの看護師さんのお世話になりました

葬儀をお願いした会館へ向かう道は 待っていたかのように 信号がずっと青に変わっていきます
小雨降る深夜 走る車も少ない国道

少し信号待ちして心を落ち着けたいのに こんな時には 青になるんだな
急ぐ時 時間の無い時は 意地悪するように赤になる信号が

どの交差点でも青に変わるのです

そして会館

入口で長男が待っていました

夜のこと
会館の支配人氏が母を迎え部屋の準備をして下さったのでした
担当の方が来られるまでは 横になって休ませて下さり
夜の間に決められることの手配を済ませ

初めての家族の死
判らないことばかりの中 下さるアドバイスは本当に有難かったです

迷うと「これでいいですよ」 勇気づける為か「大丈夫ですよ」と言って下さる

湯灌する前に駆け付け お経をあげて下さった会館が手配して下さったお坊様

湯灌して下さる女性二人の見事な手際

母の希望と父の家族だけで見送る
だから親戚にも知人にも葬儀を終え帰宅するまでは 連絡しませんでした
お通夜も火葬場も全て家族だけで

通夜の席で心ない悪口など言われること 身内同士の喧嘩 揉め事が起きることなどを 母は嫌ったのでした
かつて他の身内の通夜葬式や法事では そういう残念なことがありましたので

初七日まで済ませ帰宅
話が前後しますが―通夜の朝は主人が長男連れて帰宅 着替えなど準備し父と男3人で会館へ
入れ替わりに私が帰宅 娘と着替え済ませ 会館での宿泊荷物 葬儀向けの準備 犬と猫に不在の間の水 ご飯の用意をし 戸締まりをして家を出ます
長男からおじいちゃんにのど飴とメールあり コンビニでのど飴 軽くつまむ食料を買い込み あ帰宅した際にふりかける塩も購入し会館へ

あと火葬場から母の骨持ち 会館へ戻る途中も 留守にした家に異常ないか見に行きました

初七日終えて帰宅して あと会館の方が室内飾り付けに いらして下さったあと やっと夕食です
もうご飯炊いてないし おかず作るのも面倒で出前とり 父は風呂に入り その間届いた夕食を 入浴後とりはじめ
私は 見舞いに行ったら「もう お亡くなり―です」状態を避ける為 母の近い親戚になる叔父叔母達に上から順に電話を入れました

叔父とその息子二人は 連絡からすぐに家を出たらしく 神戸から駆け付けてくれました
母の一人置いた妹が この叔父の妻になります
その叔母は昨年九月に脳梗塞で倒れ手術をしずっと意識不明が続き今年に入って暫くしてから 会話もできるようには なりましたが 以前から腎臓の透析も受けており 麻痺も残っていて 夫である叔父が つきっきりで看護をしております
頼りにしている叔父ではありますが

互いに病人を抱える身
傍らを離れているうちに何かあっては?と不安な気持ちもよくわかるのです

今日は母の末の妹夫婦が午後から来てくれました

母は今 何を思っているのでしょう

日に幾度も今日まで学校を休んだ長男が線香をあげています

母の死が一番こたえているように見えます
多感な年頃 ずっと傍らにいて 何かと言葉かけ 可愛がってくれた祖母の死 その不在は
ふとした瞬間にこみあげ涙とまらなくなるものであるらしく 一日中 赤い目をしているのです

私はと言えば こうして あれこれ書くことで 何やら整理をつけようとしているような部分があります

写真は通夜準備中の様子です ひっそりと・・・・・


「現代のエスプリ」社会不安障害 編集 福西勇夫 至文堂

2007-06-21 11:11:50 | 本と雑誌

「現代のエスプリ」社会不安障害 編集 福西勇夫  至文堂
うつ病と思っている人は もしかしたら他に原因 病気があるのかもしれない
自分に不安がある人に 役立つ本かもしれません

なんて宣伝(笑)するのは 実は原稿寄せる対談にも出てる一人が わたしの大切な親戚になるのです

本が売れても 彼には印税なんて入らないそうですが
ま でもね
真面目な良い本なのです


八神ひろき「DEARBOYS ACT Ⅱ」25巻 講談社

2007-06-19 20:51:21 | 本と雑誌

八神ひろき「DEARBOYS  ACT Ⅱ」25巻 講談社
諦めて忘れた頃に出会う新巻
バスケット漫画です

名門秋田城北対瑞穂
哀川と藤原で始まったような瑞穂バスケット クセ者達が集まり ぶつかりあう個性が ひとつになり勝利を目指す

相手チームも類型的でなく丁寧に描かれ 試合でどちらのチームが勝つのかと 読みながらハラハラします

第31回 講談社漫画賞を受賞しました


平岩弓枝著「江戸の子守唄」文春文庫

2007-06-19 07:29:06 | 本と雑誌

平岩弓枝著「江戸の子守唄」文春文庫
「江戸の子守唄」「お役者松」「迷子石」「幼なじみ」「宵節句」「ほととぎす鳴く」「七夕の客」「王子の滝」を収録
御宿かわせみシリーズ第二作

律義な腕の良いスリお役者松 板前修業につき包丁の腕も冴えてるいい男

生き別れの母と子は 人知れず年に一度だけ 言葉もかわさず互いの顔のみ見ていた「七夕の客」

子供の頃から好きだったおるいと恋人同士にゃなったものの障害多い東吾の恋

大手をふって夫婦でござい そう言えるまでの道は遠い―のだった

ま 適当にいちゃついては おりますが


平岩弓枝著「御宿かわせみ」文春文庫

2007-06-18 17:56:23 | 本と雑誌

平岩弓枝著「御宿かわせみ」文春文庫
幾度もドラマ化された長いシリーズ物となった最初の一冊

るいと東吾は思い合う仲
旅籠の女主人でもある るいは困っている人を見過ごせず ついつい事件に巻き込まれる
30冊と読本まで出ております

古本屋さんでも捜してみようかな
文庫本一冊五百円として
計算しちゃったせこい私です


「いまだから書ける父母への手紙」新潮文章

2007-06-16 23:56:37 | 本と雑誌

「いまだから書ける父母への手紙」新潮文章
「いまだから書ける父母への手紙」新潮文章
「いまだから書ける父母への手紙」新潮文章
「いまだから書ける父母への手紙」新潮文章
「いまだから書ける父母への手紙」新潮文章
各界著名人が 今は亡き父母を偲び 思い出を綴ったもの

女優 檀ふみは作家であった父の本を長い間読めなかったと言う

また化け猫映画で一世を風靡した入江たか子の娘は 病気で倒れても 母が家庭の中心であったと綴る
看病生活の苦しさ辛さに触れないのは やはり女優となった娘 若葉の人柄であろうか
たか子は学生時代 窓辺にキャラメルを置き どのくらいの柔らかさが一番美味しいか食べ比べたりしていたそうだ
風変わりで おっとりした一面がうかがえるエピソードだ

また あの歌人与謝野晶子に教えられた人でもあったと

亡き岸田今日子は父について語っている

父よ 母よ
その存在を越えられないのが 子供というものであるらしい
幾つになっても

父 母

寄せる一文を読んでいると 書き手の意外な一面も見えてくる

覗き趣味かもしれないが


ベルト通しつき財布を求めて

2007-06-16 23:02:54 | 子供のこと身辺雑記

ベルト通しつき財布を求めて
ベルト通しつき財布を求めて
前日はベルトが壊れ 翌日は ベルト通しつきの財布を壊した長男
小さな予備はあるものの 財布無しは不便だわと ご近所のイトー〇―カドーやジャス〇や小物置いてある店 鞄屋さんを捜したけれど
な・・・ないっ
うう

で 姫路はみゆき通りの 前に このテの財布を買ったお店に
長男と行ってきました

でもそこも数点しか置いてなくて あるのを数点とも買ってきました ウエストポーチかポシェットになれば まだあるらしいのですが
教室移動などあるので ベルトにつけられる財布の方が 長男は使い勝手が良いそうで

鞄屋さんへ行ったついでに 他にも長男が必要だと思うリュックに肩掛け鞄など数点買い お財布はすっかり軽くなってしまいました

写真は山陽電鉄バス乗り場
赤い姫バス 他のバスの中で目をひきます


外れて欲しい

2007-06-15 09:43:31 | 子供のこと身辺雑記

母が口から食べ物を摂取できなくなり 点滴によって命を繋いで久しい
吐き気どめ 貧血予防 尿量を増やす薬
全て点滴や注射で入れてもらっている
飲み込む力が無いので
嘔吐物を吐き出す力もないので 鼻からチューブを入れ 尿と同じくビニールバッグをベッドに下げている

あれこれの値が異常に低いもの 多すぎるもの

また血圧の下がり方も激しいらしい
薬も効かなくなってきているのだろう

今日か明日か
先ほど お医者様に言われました

もう一度 もう一度 なんとか

ずっと動けず 横たわり 「いや」「痛い」「おかしいねぇ」「さわらんといて」「きたない」

などの言葉も日に数えるしか言わず
意味のある会話などできなくなっている母でも生きていてほしいと そう思うのです

朝 病院に来て目薬3種類を両目にさし 頭顔 首 手 足 拭いて 化粧水 乳液 足には湿布 唇は乾燥防ぎにワセリン 踵にも軟膏塗って

足の裏には 少しでも おしっこ出るように マッサージして

何かになっているかどうかは判らないけれど 自分自身への 私は何かをしている という気休めかもしれない
あとは少しでも母の耳に届くかと話し掛けたり テレビの音を大きめにつけて
ただ長椅子に座り 本を読みながら 母を見ている

いつ呼吸が止まるかモニターの数字がすべてゼロになってしまうのではないかと
ハラハラしながら

で 一冊読了するとブログへ携帯から送ったり こんなふうに思い付いたことも携帯にメモして ブログのネタにしている

目の前で母の呼吸が止まるのも嫌だが 誰もいない時に 母の呼吸が止まるのも嫌だ
朝 昼 夜 病室を出る時は
私がいない間に死なないで
今度来る時まで生きていてよ

祈るような 思い

食事の支度と買い物だけは 他に家族もいるのでしないわけにもいかず
だが他の家事は長らくほったらかしだ
明日 あとでかたづけよう
この気持ちがいけないのだろう

あれこれ随分溜まっている

駄目だな と 思いつつ片付ける気力がわかない

長い間 母は痛い思い苦しい思いをして生きているのに それでも生き続けて欲しい

生きてよ頑張ってよ と思う 言ってしまう私は 親不孝なのかもしれない

でもね 死んでほしくないのよ

生きていてほしいのよ

もう一度 もう一度 美味しいモノ 食べにいこうよ
長男が あのコが大学に入るまで 生きていてよ

モニターに表示される数字と母を見比べながら
やだ!やだ!死んだらやだ!
とわがままな駄々っ子のような気持ちでいる私