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《 昨日、東熊野街道へ行く前に、この遺跡へ寄りました》
途中、大和高田市の葛城川堤にて、
桜もそろそろ終盤になってきました、花の命は短いもんです
▽ 宮滝遺跡
宮滝は吉野川が大きく蛇行し、川幅が狭くなり奇岩が屏風のように切り立っている。 こうした景観は、古代から風光明媚な地として知られ、斉明天皇が吉野宮を、聖武天皇が吉野離宮を造営した。 この場所は、吉野林業が発達すると奥地から材木を流下する際の難所の一つとなり、岩場の開削が行われ、その後が今も残されている。 これによって筏の流下が容易となり、吉野林業の発達に貢献した。 ・・・・ 現地の説明文より
持統天皇は、藤原宮から明日香~芋峠を越えて吉野宮へ31回も行ったらしい。
吉野川の清流
下流の眺め
奈良県景観資産、日本遺産にもなっている
柴橋、この橋からの眺めが素晴らしいのですが ・・・
こんな事件があったので、高い金網フェンスが張られて、フェンスの上部には鋭い尖がったギザギサが付いている、手で掴んでよじ登ろうとしたら血だらけになりそうだ!
せっかくいい景色なのに写真が撮り辛い、残念!
《 昨日、東熊野街道へ行く前に、この遺跡へ寄りました》
途中、大和高田市の葛城川堤にて、
桜もそろそろ終盤になってきました、花の命は短いもんです
▽ 宮滝遺跡
宮滝は吉野川が大きく蛇行し、川幅が狭くなり奇岩が屏風のように切り立っている。 こうした景観は、古代から風光明媚な地として知られ、斉明天皇が吉野宮を、聖武天皇が吉野離宮を造営した。 この場所は、吉野林業が発達すると奥地から材木を流下する際の難所の一つとなり、岩場の開削が行われ、その後が今も残されている。 これによって筏の流下が容易となり、吉野林業の発達に貢献した。 ・・・・ 現地の説明文より
持統天皇は、藤原宮から明日香~芋峠を越えて吉野宮へ31回も行ったらしい。
吉野川の清流
下流の眺め
奈良県景観資産、日本遺産にもなっている
柴橋、この橋からの眺めが素晴らしいのですが ・・・
こんな事件があったので、高い金網フェンスが張られて、フェンスの上部には鋭い尖がったギザギサが付いている、手で掴んでよじ登ろうとしたら血だらけになりそうだ!
せっかくいい景色なのに写真が撮り辛い、残念!