Bike&SlowLife

バイクとカメラを愛し、自然を愛し・美しい風景を愛して、ゆっくり生きてる奈良県に住む気分は若者の雑記帳です。

十三峠から大阪平野を眺める

2021-10-20 | 信貴生駒山系 奈良県/大阪府
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信貴生駒山系の十三峠へ行ってきました。


十三峠は大阪府八尾市神立と奈良県生駒郡平群町福貴畑の境界に位置し、大阪府側にある駐車場付近からは大阪平野の景色が広がる、南は関空方面から~ 北はよく解からないが、とにかく素晴らしい眺めなのです。



暑かった夏もすでに過ぎ去り、寒い冬もすぐ近くに来てるような感じの気候になりました。

信貴生駒山系から眺める大阪平野の景色も、秋空になってクッキリスッキリ見えるようになってきたかも? と期待して十三峠へ向かう。









左には明石海峡、右は兵庫県の方だろう、手前右には大阪市中心部ののビル群




明石海峡大橋がボンヤリ見えている、右の背の高いビルは大阪市住之江区にある大阪府咲州庁舎



左後方に明石海峡大橋の兵庫県側の橋脚がボンヤリ見えている、
中央には大阪府咲州庁舎、その右には大阪市港区と住之江区を結ぶ赤い港大橋





左に大阪府咲州庁舎、真ん中に赤い港大橋、右にあべのハルカス、 私の大好きな景色です




上の写真からもう少し東、 大阪湾も兵庫県側もまあまあわかる



手前左右に走るのは近畿自動車道だと思う




大阪市のビル街、真ん中に大阪城が見えるが、小さくてわかり辛いですね



後方は堺泉北臨海工業地帯でしょうか?




後方左に尖がった構造物は阪神高速湾岸線の橋脚と思います、
その右に大阪市環境局舞洲工場と舞洲スラッジセンターの煙突が見える、おとぎの国のような煙突だ
後方は大阪湾




眼下 近くには花園ラグビー場





十三峠を横切って信貴生駒スカイライが走る、左側は大阪平野




十三峠の説明板
その昔、在原業平もこの峠を越えて彼女に逢いに通ったのだ、恋をするにも体力が必要だったのですね~





1440mmまで伸びるコンデジで撮ってみました



これなら大阪城もよくわかる
往時は巨大だったであろうお城も、今ではビル群の中にひっそりと佇んでいる



右にあべのハルカス、後方に港大橋と大阪湾と兵庫県側の都市と山



赤い港大橋、大阪湾を航行する船もわかる



私の大好きな大阪平野の景色、夏場の暑い頃よりもかなり良く見えるようになってきました。



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熊野古道小辺路を歩く Ⅱ

2021-10-20 | 奈良県南部
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昨日の続きです

場所は 奈良県吉野郡十津川村




〔 2021年10月18日 〕


石畳の古道をさらに上って行く






古道沿いには立派な石積、今は杉林だが昔は宅地だったのだろう? 杉林だけの為にこんな立派な石を積んだのだろうか?












また建物が現れた、明らかに住まい用の建物である
でも住んでる形跡は全くない、奥にもこれより大きな別棟の建物もあるが




濃い緑の中に柿の葉が色づいて美しい、下に見える茶色の屋根は、住んでない家です



右下に見えるのは住んでない家

電柱が建ってるが電線は奥へ伸びていない、ここから奥には電柱がなかった
人が住む最奥がこの地だったのだろう




もう少し奥まで行ってみよう


かなり歩いてると思ったが、三浦口のバス停から700m歩いただけだ








もう少し登って行くと石碑があった



石碑のそばには自然石の道標らしい、十丁と刻まれている、ほかにも文字が刻まれてるが判らない




立派な石積みの土台に石碑が建っている



上部には右から左に向けて 「 勲八等吉村君碑」? と刻まれているようだ、下の文字は判り辛くて読めない。
最後に 「 大正九年四月 」 と書いてあるのは読めた




石碑の向こうに巨大な杉が見えた、吉村家の防風林だったらしい









吉村家跡防風林
一帯の杉の巨木は防風林と思われ、幹回り4~8mで樹齢500年前後と推定される。 ここは吉村家の屋敷跡で、旅籠( はたご )も営んでおり昭和23年( 1948 )頃まで居住していたという。 この辺りまでが往時の三浦の集落範囲と思われるが、北に伯母子峠、南に三浦峠をひかえた位置的条件から、小規模ながら宿場的機能を果たしていたものと考えられる。 十津川村教育委員会
                          ・・・ 現地説明板の文章です




墓地だったであろう斜面には墓石が傾いている



宅地跡らしき場所にはこんなのが
五右衛門風呂でもなさそうだ、カマドにしては大きすぎる、何だろう。



昔は旅籠を営むほど人々の往来もあったのだろうが、今は全くそのような面影は無い、ただ杉林が広がるのみ、時の流れは非情なものである。




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