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昨日 10月27日の続きです、
南海電鉄・極楽橋駅見学の後、高野山参詣道の京大坂道不動坂を少しだけ歩いてきました。
不動坂へは赤い極楽橋を渡って行く
極楽橋
橋に向かって左手には 弘法大師様でしょうか? 杖を持って座っておられます、優しいお顔です
右手には 「 不動坂 」の案内板
橋を渡った所には、石碑・案内板・クマ出没注意の看板
石碑
不動坂 ・・・何とか?書いてある
京大坂道不動坂の案内板
古くは、高野山への参詣道として七つの道があり、高野七口と呼ばれていました。 世界遺産に登録されている高野山町石道もその一つです。それに次ぐ京大坂道高野街道は、京・大坂から高野山に一番近く、近世には、実益の道として商人や庶民が最も多く利用していました。その街道の高野山への玄関口に位置しているのが不動坂です。・・・と書かれている
熊も出没するようだ
熊に出逢ったら勝ち目はないが負ける自信はある、諦めるしかないだろうと歩く
木々の向こう、下の方にケーブルカーの駅が見える
もう少し登って行けばケーブルの路線が見える
ケーブルの路線から離れて緩い坂道を歩く
ここにも 「 熊出没 注意 」
何やら白い案内板がある、不動坂といろは坂の説明板である、ここは旧道の入口のようだ
大正4年の全面改修によるルート変更で、古の不動坂は山の中に残されたようだ
その先の 「 いろは坂 」 は、高野山へ向かう最後の難所だったらしい
明治時代に発行された 『 高野山詣案内 』 には 「 人々玉の汗を流し 杖の力を借りてよじのぼる 」 と記されてるとのこと。
不動坂の旧道へ入る ~ 少し歩いたがホントの山道である、整備されてる形跡は無い
現在の 京大坂道 に戻りもう少し上へ進む
道沿いの木の枝に 「 遍路道 」 の札が掛かってる、 「 へんろみち保存協力会 」 と書いてある
高野山まではまだまだ先は長い、適当な所で引き返す
極楽橋近くまで下ってきたら 「 極楽橋駅 」 が見える
駅を出た電車はすぐにトンネルへ入って行く
ホンノ少しだけ、 近世の京大坂道高野街道 を味わったひと時でした。
昨日 10月27日の続きです、
南海電鉄・極楽橋駅見学の後、高野山参詣道の京大坂道不動坂を少しだけ歩いてきました。
不動坂へは赤い極楽橋を渡って行く
極楽橋
橋に向かって左手には 弘法大師様でしょうか? 杖を持って座っておられます、優しいお顔です
右手には 「 不動坂 」の案内板
橋を渡った所には、石碑・案内板・クマ出没注意の看板
石碑
不動坂 ・・・何とか?書いてある
京大坂道不動坂の案内板
古くは、高野山への参詣道として七つの道があり、高野七口と呼ばれていました。 世界遺産に登録されている高野山町石道もその一つです。それに次ぐ京大坂道高野街道は、京・大坂から高野山に一番近く、近世には、実益の道として商人や庶民が最も多く利用していました。その街道の高野山への玄関口に位置しているのが不動坂です。・・・と書かれている
熊も出没するようだ
熊に出逢ったら勝ち目はないが負ける自信はある、諦めるしかないだろうと歩く
木々の向こう、下の方にケーブルカーの駅が見える
もう少し登って行けばケーブルの路線が見える
ケーブルの路線から離れて緩い坂道を歩く
ここにも 「 熊出没 注意 」
何やら白い案内板がある、不動坂といろは坂の説明板である、ここは旧道の入口のようだ
大正4年の全面改修によるルート変更で、古の不動坂は山の中に残されたようだ
その先の 「 いろは坂 」 は、高野山へ向かう最後の難所だったらしい
明治時代に発行された 『 高野山詣案内 』 には 「 人々玉の汗を流し 杖の力を借りてよじのぼる 」 と記されてるとのこと。
不動坂の旧道へ入る ~ 少し歩いたがホントの山道である、整備されてる形跡は無い
現在の 京大坂道 に戻りもう少し上へ進む
道沿いの木の枝に 「 遍路道 」 の札が掛かってる、 「 へんろみち保存協力会 」 と書いてある
高野山まではまだまだ先は長い、適当な所で引き返す
極楽橋近くまで下ってきたら 「 極楽橋駅 」 が見える
駅を出た電車はすぐにトンネルへ入って行く
ホンノ少しだけ、 近世の京大坂道高野街道 を味わったひと時でした。