.
昨日の続きです
倭健命(やまとたけるのみこと)は、西へ東へと大和朝廷に服従しない勢力を制圧してゆく~ そして
古事記では倭健命は伊吹山で傷を負い、能煩野(のぼの)という場所(三重県の亀山市付近らしい)で亡くなったと書かれている。亡くなる前、倭健命は帰れないふるさとへの思いをこめ、次のような歌を詠んだらしい
『 やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山籠(やまごも)れる 倭し麗し 』
倭健命も見たであろう、そんな光景を見に 青垣の山らしき場所へ行って、大和の国を眺めてきました。
天理市・柿の木の休憩所前の案内板
この休憩所は、個人で畑の一部を提供されている場所です
柿の木の休憩所より
赤いシートの向こうに二上山、左には大和葛城山・金剛山が見える
ちょっと撮る位置を変える
右端に二上山、左には金剛山・葛城山が見えている
二上山・金剛山・葛城山の上空には 青い空に白い雲
もう少し高所から大和の国を眺めようと桜井市穴師の高台へ向かう
後方左に金剛山、その右に葛城山
その手前に、左から畝傍山 ~ 天香久山 ~ 右手前には卑弥呼の墓と伝えられる箸墓古墳
箸墓古墳は第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓とされているらしい
手前中ほどに大神神社の大鳥居が見える、その後方には桜井市の街並み
もう少し大きく撮れば大鳥居がはっきりわかる
大和の国の向こうには二上山、右橋の方は岩橋山だろう
❝ やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山籠(やまごも)れる 倭し麗し ❞
二上山に沈む夕陽、2013年秋 山之辺の道より撮影
倭健命はこんな光景も見ていたのでしょうか?
昨日の続きです
倭健命(やまとたけるのみこと)は、西へ東へと大和朝廷に服従しない勢力を制圧してゆく~ そして
古事記では倭健命は伊吹山で傷を負い、能煩野(のぼの)という場所(三重県の亀山市付近らしい)で亡くなったと書かれている。亡くなる前、倭健命は帰れないふるさとへの思いをこめ、次のような歌を詠んだらしい
『 やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山籠(やまごも)れる 倭し麗し 』
倭健命も見たであろう、そんな光景を見に 青垣の山らしき場所へ行って、大和の国を眺めてきました。
天理市・柿の木の休憩所前の案内板
この休憩所は、個人で畑の一部を提供されている場所です
柿の木の休憩所より
赤いシートの向こうに二上山、左には大和葛城山・金剛山が見える
ちょっと撮る位置を変える
右端に二上山、左には金剛山・葛城山が見えている
二上山・金剛山・葛城山の上空には 青い空に白い雲
もう少し高所から大和の国を眺めようと桜井市穴師の高台へ向かう
後方左に金剛山、その右に葛城山
その手前に、左から畝傍山 ~ 天香久山 ~ 右手前には卑弥呼の墓と伝えられる箸墓古墳
箸墓古墳は第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓とされているらしい
手前中ほどに大神神社の大鳥居が見える、その後方には桜井市の街並み
もう少し大きく撮れば大鳥居がはっきりわかる
大和の国の向こうには二上山、右橋の方は岩橋山だろう
❝ やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山籠(やまごも)れる 倭し麗し ❞
二上山に沈む夕陽、2013年秋 山之辺の道より撮影
倭健命はこんな光景も見ていたのでしょうか?
やっぱり目を惹きますよねぇ。
お中元に高級な三輪素麺をいただきましたので
最近、よく食べています。
やっぱり美味しいですねぇ^^
以前、知人に素麺製造所の人物がいてて、切れっ端でも美味しいよって言ってましたね。
私はあまり食べませんが、暑い時期には美味しいでしょうね!