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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

電力会社で経験した出鱈目2

2012年10月12日 11時01分45秒 | 深刻な問題

 電力会社の社員は殆どが優秀でまじめだし丁寧。そのことは、社外でのビジネス、および卒業後受けた様々なサービスと比較してよく分かる。ところが、一部の人間が本店という閉鎖された世界で、政治力をバックに権力を握り出鱈目を尽くす。

 政治力の源としては特に自民党の衆議院議員の影響力が強かった。後々、私は、確かな筋から自民党国会議員は電力会社で一人を推薦できることを聞いた。知り得た限りで推薦された人物は常務以上になっていた。

 前回もご紹介したようにバックだけ大物は、部の課長以上ミーティングの席で、父親が後藤田正晴議員(カミソリと呼ばれた元官房長官)の後援会長であることを公言した。後藤田は自民党内でも恐れられていた。

 私は子会社で新規事業(製造業)を立ち上げ、物凄いストレスで倒れそうになり、何とか返してもらった。帰った先のトップがかつての上司で、「お前を真綿で絞めるように締め上げてやると言っていた」バックだけ大物だった。あそこだけは避けて欲しいと要望していたが、叶わなかった。

 驚いたことの一つは、忘年会での裸道中だった。若手の男性社員5人が全裸の上に天狗の面を腰前部に付けただけ状態で、1列に連なり全員の席を回り、壇上で踊った(かな)。勿論、バックだけ大物の趣味だ。やんやの喝さいだが、女性社員も大勢いる中で、異様な光景だった。彼等には家族がいるし、子供もいるんじゃないかと思った。

 2年連続で裸道中を見ることになり、放置できないと思い 担当副社長に手紙を書いた。 流石に中止となった。誰が報告したかはいつか分かる。私はずっと以前から常に敵陣にいるような環境で、標的とされ、いばらの道を歩いていた。

 前回も書いた通り、出向から帰り、次長のはずが課長で、権限も部下も予算も無く、何をするにも次長の許可を得るという条件で、何か開発しろとの指示。めげずに色々考えた末、深夜の電気を電池に蓄え、昼間のピーク時に電池の電力で照明するシステムを考案した。大きな照明需要を昼から夜にシフトするのが目的。

 電力各社、照明メーカー、電力中央研究所などに声をかけ、プロジェクトチームを結成した。予算が無いので殆ど机上検討。しかし、使用予定のリチウムイオン2次電池が高価でなかなか経済性が満たせない。バックだけ大物に報告に行くと「そうじゃろう、そうじゃろう」と機嫌が良かった。

 そんなある日の昼休み、早めに戻ると、提灯(部長)が私のパソコンを無断であけて覗いていた。明らかに犯罪行為。提灯は私の情報を集めてはバックだけ大物に報告していた。

 経済性を満たすため、方向転換し、日本電池が開発を進めていた顆粒クラッド鉛電池を使うことにした。電池が照明器に入らず電池室を要するが、コストが安い。経済性を満たせる見通しになり、この報告書を提灯に持って行くと、情報をキャッチしていて報告書を受け取らない。(報告書を渡したが「これは横へ置いて」と言いつつ報告を聞かない)

 挙句に「この窓から飛び降りろとまでは言わないが」などと告げる。数人の有力者に相談したものの、提灯がバックだけ大物の指示を受けていることは誰の目にも明らか。バックだけ大物は既に常務になっており、当たらず障らずという雰囲気だった。

 提灯の行為は犯罪に等しいが、下手に昇進欲が有ったので、大人しくしていた。今から思うと、どう転んでも昇進は無かったので開き直るべきだった。実は完全な窓際に追い込む計画が有ったようで、そうなれば私も豹変して争いになったと思う。騒動を起こせば両方がざっくり傷を負う。

 一方、バックだけ大物は、電力メーターや配電線を利用した通信システムを担いでプロジェクトを推進していた。社内に数十人の専門組織を結成し、子会社にも開発を委託していた。マスコミに派手に宣伝し、展示もしていた。委託費だけでも30億円と聞いていたが、総合的には大きな予算が動いていた。

 社内で1年に1回の特別管理職以上が集まるパーティーがあり、その挨拶で某副社長がそのプロジェクトを「当社の将来の夢」みたいな発言をした。電力会社の事だから、ちょっと驚いた。

 ところが期待に反して、通信プロジェクトは進捗がはかばかしくなかった。私は、何とかしようと東京電力のキーマンに会った。ところが「発表時は画期的だったが、現状では速度が遅すぎ陳腐化し技術陣のプライドが許さない」と言われた。東京電力が認めないと採用されない。時遅し。いつの間にかうやむやになった。

 関連会社の部長が言っていた。「操作器をモニターで使ったが、使い勝手悪く、1回使っただけで倉庫に放り込んだ」 開発リーダーの誰かが適切に対応していれば解決できたはず。最悪でも東電案を飲む手が有った。

 そこでどうなったか、巨額を使ったビッグプロジェクトは失敗したが、関係者は常務二人以上など大出世した。一方で、殆ど予算を使わず、成功の見通しを得た我電池照明システムは報告書さえ受け取ってもらえず、私の評価は多分最低になった。

 ここで言えることは、電力会社では手段を問わず、トップを騙し、できるだけ大きな予算を獲得すれば、大失敗しても昇進できるということだ。 判を押したトップも自分の責任を問われたくないので、関係者を昇進させて誤魔化してしまう。電力会社が自力で成功した例は聞かないから、論理的には電力会社では大失敗したら大出世することになる。

 負荷平準化目的の電池照明システム(エコライト)のプロジェクトは解散となり、各電力会社、照明メーカー、電力中央研究所などに多大なご迷惑をおかけした。特に東京電力では試験システムを研究所で設置していただき、1年間試験して期待以上の成績となった。本当に申し訳ない思いである。

 最も苦労したのは交直切り替え。高圧発生でスイッチがもたない。例えば、九州のJR在来線は交直切り替えで、電力供給を1分間停止していた。相談した大メーカーも逃げたが、高圧に耐えるリレーを探し、解決させた。全く、フリッカ(ちらつき)も無く切り替えができた。

 昨年の福島原発の事故や、その後の原子力停止などで全国的に深刻な電力不足となった。不足するのは14時付近の一瞬(1~2時間)の事であり(北海道以外では夏場の一瞬の予備率を指標として発電所を建設する)、我々の電池照明システムが実用化されていれば多少役に立てたのにと残念だった。

 ある日バックだけ大物の父親が亡くなった。腰巾着(バックだけ大物の命を受けて私の妨害ばかりする)は3万円だか包んだと聞いたので、私も同額包んだ。ところが、課長以上全員が県を跨ぐにも拘らず葬式に参列したことを知らなかった。誰も声をかけないし、平日でそんなことが有るとは思わなかった。仕事でバタバタしていて気が付かなかった。

 今から思うと、仕事中で他県であっても上司父親の葬式に出席するのは常識なんだね。(上司の親の葬式に出ることが極めて重要なことはいくつかの実例を分析してみるとよく分かる)出席しなかった事にバックだけ大物は相当頭に来たらしい。色々強烈なしっぺ返しを受けた。その後、私の父が亡くなった時、同じ県であるにも拘らず出席すべき有力者が出席しない。

 これだけじゃない。バックだけ大物のやることは徹底していた。実に悪質だった。本人は全く表に出ないが、部下(取締役、部長、次長、課長)に指示を出して、見せしめを実行させ、誰の意向でそうなっているかを分からせる。かつてバックだけ大物に従い動いていた部下は既に会社のトップクラスだ。どういう会社かね。

 バックだけ大物のターゲットになっていたのは、私だけではなかった。元会長(亡くなっていた)の秘書だった好人物は部長になっていたが、バックだけ大物の部下を通じて悪い噂が流されていた。好人物は性格が良く、素直な男だが、私と年齢が一緒の団塊の世代代表だから、何でもはいはいとは言わない。そこが災いしたか。

 ある日、好人物が深刻なうつ病になったことが分かった。同窓なので様子を見に行き、再起不能に思えた。会社の配慮で、出社はしていたが実務にはつかず、隔離されたような席に座っていた。彼以外にも潰された人間は何人かいるだろう。

 話を出向時に戻す。事業立ち上げで過酷なストレスを受け続け、必ず倒れると実感するようになった。夜寝ていても夢の中で仕事しており、毎晩うなされる。電力に帰りたいと思い始め、人事部長に会ったが戻れないと言われた。病気なら別だがと言われ、耳鳴りを訴えた。激しい耳鳴りに悩んでいた。

 そんな中、子会社の取締役から血相を変えた雰囲気の電話が入った。お前一体何をやらかしたのかと、まるで犯罪でも犯したような言われ方。電力本店時代、共同開発したメーカーが顧客への売込みに失敗し、代理店の子会社と親会社を訴えた滅茶苦茶な話で当然完全勝利できた裁判を、腰巾着が多分バックだけ大物と相談し調停にし、金を払ってしまった。

 つまり、バックだけ大物が私を悪役にし、復帰を中止させたかったのだ。弁護士に聞くと私は殺人現場に通り合わせた通行人と言われていたので、その旨、取締役に話し、多分確認して疑いは完全に消えた。バックだけ大物は嘘でも何でもつく。当然謝罪するはずがない。

 私の実績は10万人を超える全電力会社でも、他に見当たらないと思うが、親会社に戻った後は無視され全く評価の対象とはならなかった。

 電力会社での問題点は、トップ権限を持った社外取締役がいないから、何が事実か、何が正しいかを判断するシステムも機能を持たないことだ。事実解明が担保されない。問題が有っても指摘さえされない場合が多々ある。従って、自浄機能も無い。政治力をバックにやくざなやり方がまかり通る。やり得組織。福島原発のようなことはいつかは起きた。

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◆◆子会社での事業立ち上げの状況など:

 私は半導体やシステムが専門だが、子会社(メーカー)出向で機械製造業立ち上げを指示された。二度断ったが、断りきれなかった。素人が素人を集めて事業を始めた。子会社は制御盤などのメーカー(電気系)であり、機械製造のノウハウは無かった。営業部は商品が分からないとの理由で営業拒否。それ以上に社内の拒否反応はひどかった。

 そんな中で、もがきながら営業・開発・製造・メンテナンス・売上金取立てをやり始めた。幸い、食品製造機械や自動機械を中心に開発がらみの営業競争に勝ち、年間平均4.5億円の程度の受注・納品実績となった。量産品をやりたかったが許可が出ず毎回の開発は本当にしんどかった。1機の平均販売価格が2000万円だから、毎年22機程度を設置した。

 私は主に営業と開発を担当した。私の下にはプロの営業マンが2人いたが当時は彼等も歯が立たず、1人は私の営業が邪道と批判するので1年フリーにさせたら1円も受注できなかった。営業先はトップ企業の専門家だ。ルートセールス経験やテクニックでは何の役にも立たない。開発機械は通常1か月以上の調整や手直ししないと目標通り動かない。お金を貰えなかったケースもあった。

 私の営業は徹底して顧客の望むものを開発すること。いまだ日本の企業ができていない。従って、リスクは大きかったが、同じ条件の開発がらみでは負けた記憶が無い。私は毎朝の朝礼で、「必死の素人はプロに勝てる」とか、「転んだらそこに有った石を掴んで何か商売にならないか考えろ」とか発破をかけた。

 工場にいる時間は少なかったが、若い者を摑まえては状況を聞いた。聞くと問題だらけで1日中叱り飛ばしていた。新入社員は「親にも怒られたことが無いのに何であんなのに怒られなければならないのか」と言っていたらしい。しかし、責任者として私がお客様から叱られるのは楽にその10倍になる。

 電力会社の業務で1年に1回起きるか程度のトラブルや課題は、開発がらみの製造では毎日発生する。時間は無いし、即断即決をこころがけ、自分に責任が有る無しを問わず、全部の責任を引き受けることにした。

 開発品の中には、大型電気炊飯ライン、間伐材の柱切り出し装置(名称は異なる)、のようにその後のスタンダードになったものも多数あり、みなさんが食べている食品の中に開発した機械で製造したものも含まれるかな。焼き餃子、焼きおむすび、ハンバーグ、ピザ、グラタン、天ぷら、ソーセージ、タタキ・・・

 樹脂系のトップ企業などから表彰状を頂いた。北は北海道で某工場の全設備、南の九州では食品大手に食品加熱機を納品した。

 加熱と自動化がメインテーマだったが、加熱は古いテーマながら、まだまだ未完成の分野だ。トップ企業から技術開発依頼が来た。食品、樹脂、車、電力などで貢献はできたと思う。

 トラブルの連絡があると、すべてキャンセルの上、訳も分からなくても飛んで行った。当人が来ず原因を説明できないので、ひどく怒鳴られる。気が付くと私一人が最後まで矢面。原因を探ると私の指示通り製造していない例がいくつかあった。一般的に製造者は作りたいものを作るし、コスト意識が薄い。新しいことをやろうとすると「不可能」の大合唱が始まる。

 設備を持ち帰ると大赤字になった。電力会社はトラブルを極端に嫌う体質が有る。片や開発装置納品では小さいことも含めれば山のようなトラブルで、これらはトップに報告できないから、どう完全に解決するかが常に求められた。

 日本では契約条件を満たしても、お客様が満足しないと支払ってもらえない。とんでもない大きなトラブルも何とか消し止めた。次々発生する凄いトラブルを、さも何も無かったように解決するトラブルロンダリングをいつもやっていた。トラブル対応だけでも本が書ける。

 製造保険は何とか認めていただきたかった。(2回却下された)保険会社が売り上げの1%を支払えば、相手先の信用調査から、トラブル時の対応まで全部保険会社がやりますと言ってくれた。常にトラブルリスクを抱えていた私としては夢のような話だった。

 在任期間は、残念ながら良い時でもトントンだった。社長から余計なことをしなければ、赤字が出ないのに何をやっているかといつもお叱りが有った。「私も含めた人件費、工場償却費、税金などを払って赤字なんですよ」と説明していたが理解が得られなかった。

 電力に戻る時に、私の後任に次長を指名した。彼はプロパーだったので、社内の全面的な協力が得られ、黒字になったと聞いた。私が部長時代は、人事権でさえ実質的には無かった。部下の昇進を人事部長(プロパー)に打診すると、上司(プロパー)に相談しましたかと言われる。権限が無く反対に責任は重かった。

 着任時から、何度プロパーの部長などに怒鳴り込まれたことか。窓のガラスが割れるのではないかと思うほど、怒鳴られ、当時電力から出向していた上司(部長)は硬直してしまった。

 怒鳴り込んできた部長は私が受注した2.2億円(工場設備)のうち、1.5億円を受け取ったのだから(主を研究所の私の所、その他を工事部門とした)感謝することは有っても不満はないはず。礼も言わず、文句言うのだから呆れる。

 私の悪情報は会社内を駆け巡っていた。プロパーは凄い情報ネットワークを持っていた。山のような悪情報は親会社からいつもの事。プロパーの人は取締役以上になることが難しいことはよくよく聞かされた。だから私からも、改善を強く求めた。そのせいでもないだろうが、プロパーの取締役が誕生しはじめた。

 いつものようにS常務(親会社OB:担当外)が怒っている。しかし、S常務が事実関係を徹底的に調べた結果、何の落ち度もないことが立証された。これは、後にも先にも電力会社で初めての事だった。S常務は敵かと思っていたが、その後は、味方になってくれた。仕事がやり易くなった。これは非常に大きかった。

 私は勘違いを除いて当たり前の事しかしないし、当たり前の事しか言わない。ただ、当たり前のことが権力構造、既得権組織では極めて不都合なことになる。また、ある上司が言っていた。「あんたは言うことを聞かんとか評判が悪かったが、先にこうしてくれと言うと素直に従ってくれる。やり易い」 こういう上司は極めてまれ。通常は無条件の精神的従属を求められる。

 社長が私どもの新規事業のために新工場を作ると仰った。空調も設置するという。機械製造業では例が無い。有り難かった。クレーン設置を計画したが全社の大反対を受けた。それまではフォークリフトで制御盤などを移動させていた。行き詰まったが、担当常務に頼み込んでクレーン設置にした。その後、クレーンの良さが認識され当たり前になった。

 新規事業立ち上げは、社長の支援を受けて、電力マンとしては貴重な経験をさせて頂いた。新工場を建設して頂いたし、職級も2階級も昇進(出向では有り得ないことと言われた)、一度は諦めかけた特別管理職になれた。(出向では有り得ないことと言われた)非常にきつかったが充実した日々ではあった。この点は大変感謝している。

 最後は国立大学に出向した。肩書きは客員教授。大学のシーズと企業のニーズを結びつけるコーディネーター。親会社が成果主義を実施したので自分の時代と張り切った。3年間で55の研究プロジェクトを立ち上げ、3社の起業*を支援し、大型補助金獲得を支援した。他大学のコーディネーターがそんな人は日本中に見当たりませんよと言った。*大学発ベンチャー数は文部科学省の大学ランキング指標。

 最初の上司は大学所在地の電力支店長。「君は電力会社に貢献していないので平均点」と言われた。これも明らかにバックだけ大物の指示。人事部と相談し上司は指導教授に交代していただいた。人事部から電話が来る。「共同研究なんて電力会社ではたくさんあり、簡単じゃないか」「企業に働きかけ、企業からお金を貰って立ち上げるので大変なんです」

 3年間で集めた金額は補助金(私がいなかったら絶対に獲得できなかった)も含めて約1.8億円になった。その頃、早期優遇退職制度の最終期限が迫っていた。3年間の評価は最初が平均のほかは最高のAが5つ揃っていたが(同僚は我々の年でAは不可能に近いと言っていた)「自分の人生だこんなイカサマな企業には1秒でもいたくない」と思い辞めることにした。

 最近、家内に言われた。東京電力の福島原発事故で私が言っていたことが本当だと分かったらしい。私は覚えていないが、時々「電力はいかさまだ」とつぶやいていたらしい。早速、彼女の姉にも話したようだ。「本当だったね」と。私が会社を辞めると聞いて1週間寝込んだという。苦労を掛けた。

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追記:

 バックだけ大物が担いで推進していた通信システム(O.P)の事は出向解除前に聞いていた。帰った後、開発企業を募る説明会が開催されたが一向に進まない。そこで私のいた子会社が出席していた事を確認した。次に、子会社の出席者に状況を聞いた。説明会に5人出席したが検討も出来ていなかった。そこで、子会社常務に電話し、上から指示して動かした方が良いですよとアドバイスした。

 私は当初子会社の研究所課長だったので、レベルの高さを知っており、私のいた子会社が最適であり受託すべきと考えていた。その後、子会社が受託して開発が進み始めた。後に常務と話す機会があり、アドバイスしたことに触れると強く否定するように「私がやったんだ」と言われたが、物事の成功・不成功は実に些細なことも影響する。

 例えば、東電が難色を示して採用されないなら、私なら即座に飛んで行って、本音を話し合うし、両方のメンツが保てる案を示しただろう。場合によっては、東電方式を全部飲んでも良い。このプロジェクトが破綻したことにより、全電力は大きなビジネスチャンスを電気ユーザーは高品質なサービスを得るチャンスを失った。

 東電は非常にプライドが高く、地方の電力が全国レベルの提案を出すことを露骨に嫌う。私のプロジェクトでもはっきり言われた。東電方式を採用すれば、東電内部でも説得力が高い。名(下らんメンツ)を取るのか、実を取るのか。私のビジネスでは5分も考えずに、実を取る。東電のプライドを立ててあげれば、収穫は多いと思う。

 次に大学出向時代、良く知っている某冷凍機メーカ責任者から筋の良い遠隔通信システムのニーズ(ぴったり、話が大きい、早い採用を望んでいる)をキャッチした。本来なら、自分の実績のために大学のプロジェクトにすべきところ、通信システム(O.P)は実績が必要だろうと、プロジェクトの課長を呼び、某冷凍機会社の技術者チームとを引き合わせた。美味しい仕事だからと後は任せた。

 しかし、責任者はおろか誰からも一言の電話も礼も無かったね。こういうところが、バックだけ大物やそのチームの情けないところだね。同じ人間かと疑いたくなる。私の指摘も理解できないんじゃないだろうか。

 私は電力会社で先輩や後輩が亡くなり、あるいは病気で倒れるなどの例を多く見てきた。そこで感じるのは、人間は予想外にストレスに対して弱い、その傾向は優秀でまじめな人ほど強いということ。電力会社はやくざな人間の独壇場だ。

 私が平均的な人間なら3回倒れて、1回死んでいてもおかしくなかった。私は幸い、細かいことは雑だし、いざという時の安全弁を持ち、健康に関しては感度が高い。それで辛うじて生きている。