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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

電力会社でのマイ技術開発史2(原発着工の最大の課題を解決)

2013年03月20日 23時13分59秒 | 社会・経済

 温排水を利用した鰻(成魚)とアワビ(稚貝の放流)の養殖は中止になったが、原子力発電所の前面海域や復水器出口のサンプリング調査(年4回)は継続していた。復水器を通過したプランクトンや卵稚仔への影響を分析し、漁業に与える影響を評価するためだ。

 当初、私は下っ端で参加した。漁船を定点にアンカーを下ろし、1日中サンプリングする。海が穏やかな時はいいが、冬は波が最大2mぐらいになる。漁船の前部分が完全に宙に浮き、次の瞬間、大きなしぶきをあげながら落下する。その繰り返し。風が強く寒さも半端じゃない。

 地元で雇った作業員の中に、戦艦で日本海の荒波にまれていたから平気だと豪語する人がいた。しかし、30分もしないうちに船床に寝込んでしまった。当然その作業員の仕事もカバーしなければならない。発電所からも手伝いが来たがまともに作業できた人はいなかった。陸に上がっても、三半規管がやられ、体がずっと揺れていた。

 私が調査の担当になった時、素人の電力社員が直営でやるには過酷なので、所長に外注を申し出、1年後、何とか専門業者に委託することになった。当時何をするにもハンコを10個以上押してもらう必要が有り、提案書づくりも大変だった。

 残りの重要な仕事は、水理実験室設備の設置だった。電力中央研究所が一杯で、新しい原発建設に関して提出する温排水実験を受託できないので、自社で水理実験室を作ることになっていた。建屋がらみは建設土木部門の副長と担当が来て一緒にやったので楽だったが、設備や機器に関しては単独で担当していた。

 私は、自分が水理実験室の担当になった時、「安全性」をテーマにすると宣言した。最も苦労したのは実験用の天井クレーンだった。建築課長が水理実験室の天井を当初より1m低く設計にした。天井クレーン上で計測や撮影の作業が有るので、法律上、作業員が立った状態で天井までのクリアランスを要する。天井が低くなったことにより、クリアランスが確保できなくなった。

 元に戻すよう建設課長に要請したが、「1m上げるとどれぐらい予算が必要なのかわかっているのか?戻したかったら副社長の承認を得てこい」と言われ、なす術がなかった。(先立って上司も申し入れていたが断られていた)当初案ではクレーンに乗り込むことも困難になった。

 主席と副主席の二人の上司から、腹這いになってクレーンに乗り込む案が出された。腹ばいも異常であり、かつ高さが3m以上の位置の乗り移りである。私は断固反対して受け入れなかった。この他に、フック位置の寄り(移動範囲)も課題だった。

 業者の協力を得ながら、図面上でクレーンの構造を変更し、方向を反対にし、建屋との関係を見直すなど、2か月ばかり試行錯誤した結果、普通に歩いて安全に乗り込み、クリアランスを確保し、十分な寄りを確保する方式を完成させた。

 どこの水理実験制御室の前面にも制御パネルが有り、装置や機器の配置が描かれ、ランプやメータなどが運転状況を示すようになっている。ところが予算が膨らみ、制御パネルを設置できなくなった。そこで、計算機用のモニターに運転状況を示す方法を考え、設備予算と将来の変更予算を大幅に軽減した。

 水理実験の現場は水分が多い。計算機を置く制御室には水分が入らないよう縁を切りたかったので、多数の計測や制御のケーブルを制御室外側のコネクターで接続する方式とした。

 各装置の制御盤ランプはLEDとした。従来ランプは寿命が短く信頼性が低いので、火力の運転制御室では状況判別やランプ取り替えで苦労していたからである。当時(1979年頃)、LED方式は例が無かった。

 計算機にもこだわった。様々な開発にも精力的に取り組んだのは、自分が水理実験室を担当すると思っていたからである。ところが完成した時、所長に呼ばれ、建設土木部門に渡せと言われた。がっくりきた。

 環境アセスメント調査の業務に戻った頃、建設土木部門の次長が所長へ要請に来た。上司と私が同じ席に呼ばれた。新しい原子力発電所建設のために、山を削り、削った土石を前面海域に埋めて平地を作りたい。その場合、藻場を壊すので、土砂でできた海底に藻場が造成するかどうか実験して欲しいとのこと。藻場が再生する保証が無ければ、許可が下りず着工が出来ない。

 所長がやりたくないと断った。私は即座にやりましょうと所長に申し入れた。所長は、考えた末、判断するため専門家の意見を聞いて来いと指示。建設土木部門の副長と二人で、各地の水産試験場を回って意見を聞いた。いずれも可能性があるとの返事。

 所長の了解が得られたので、実験を開始した。前面海域に1m角のサイコロ状の石を投入した。投入後、すぐ産毛のような海藻がびっしり生えた。幸先が良かった。ところが次に潜水夫が潜ると生えたはずの藻は全くなくなっていた。貝やアワビなどが食い尽くしたのだ。定期的な観察でも同じ、悲観的になっていた。

 ところが冬の観察で各投入石に一本ぐらいづつ、10cmぐらいのクロメが生えていたのを発見した。何億も生える藻のうち1本ぐらいが残り、大きくなったらしい。冬は藻が最も成長する時期でもある。所長に報告した。そして、次の月に新たな原子力発電所の着工となり、新聞に大きく掲載された。 

 原子力や火力の発電所の環境アセスメント調査で、海域において最も重要なのが藻場であり、次に卵稚仔、そしてプランクトンになる。藻場は魚類のゆりかごと呼ばれ、稚魚の育成の場所だ。藻場を壊す場合には許可が下りない。また、海域に重要な種が生息している場合も問題になる。

 温排水実験設備の設置、環境アセスメント調査と原子力発電所の着工に関わる重要な仕事の殆どに関係し、そのうちのかなりの業務を一人で担当し、しかも「安全」というテーマを掲げて遂行した。

 業務量は莫大で、実施のため画期的なスケジュール管理を考案し実践した。それは、予測計画管理とも言うべきもので、業務の流れをステップで表し、今後どのようなステップで進捗するかを予測する。その上で、起こり得る課題を解決し、業務間(横、斜め)や時間などの調整を実施する。こうして重要な二けた以上の業務をパララン(同時に並行して走らせる)しながら、大きな失敗なくやり遂げたのだ。

 現在に至るも、世の中で私が当時考案していた様な予測手法を取り入れた計画管理方法は見たことも聞いたことも無い。

 仲間から、上司が私に関して詰めが甘いと言っているとか、変な情報も入った。確かに上司への根回しが十分であったとは言えないが、上司の判子なしでは何も進まない。上司は気分を害していたかもしれないが、そんなレベルではない。私が少しでも失敗したら、原子力発電所の着工は間違いなく遅れていたか支障をきたしていた。今は廃絶が叫ばれている原子力だが、東日本大震災の前までは日本を支えていた最重要発電方式だった。

続く。

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