先の大戦で、軍部は、沖縄をアメリカ軍に占領されてもなお、御前会議では戦争継続を主張した。軍部上層部は自ら腹を切る度胸も無いのに、責任を逃れるため一億層玉砕と称し、日本を壊滅させようとしていた。
結局、昭和天皇が「自分はどうなっても良いから」と命をかけて中止を決定したのである。昭和天皇は名目上であれ日本のトップだったから、責任を逃れようが無かった。この決定に反してクーデターの動きも有った。言わば、昭和天皇が日本を救ったのである。昭和天皇は本当に日本と日本人のことを心配していたんだね。
自らの命と引き換えるつもりで日本を救った昭和天皇がA級戦犯の合祀の靖国親拝(参拝のことか)を中止したにも拘らず、大変失礼だが、一閣僚の判断で靖国参拝をするとはいかがなものか。
その後、今上天皇(きんじょうてんのう:現在の天皇)も靖国神社には親拝していないとされている。
昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたことが明確に記されている。その証拠とされる富田メモの記述のうち該当部分が次のもの。富田とは宮内庁長官であった富田朝彦の事である。
「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ」。
私には、人物や状況が分かっていないから、内容が理解しづらい。これに関して、日本経済新聞社が設置した、社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は、富田メモを調査の上、「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。(ウィキペディアより)
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