【風向計】:ボランティア発祥の地 デジタル編集チーム 木村 貴之
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【風向計】:ボランティア発祥の地 デジタル編集チーム 木村 貴之
「大分ってボランティア発祥の地だったんですね」-。知人からそう問われ、大分でボランティアと言えば話題を呼んだあの人でしょ、と思いつつ、「発祥の地」という初耳情報が妙に気になった。
大分市の魅力特集サイトの記事には、「1557年に建設された府内病院の運営に当たったのは『ミゼリコルディア』というボランティア組織。大分は日本におけるボランティア活動発祥の地と言われる」-とある。
市教委に取材すると、一人のポルトガル人男性がキーパーソンとして浮かんだ。医師免許も持つ貿易商人、ルイス・デ・アルメイダ。
1552年、ポルトガルから日本や中国を結ぶ貿易商として来日した。いわゆる南蛮貿易で巨万の富を築いたが、豊後国(大分県)の中心都市・府内(大分市)にとどまって、蓄えた財産で病院を設立する。外科診療も行う日本初の西洋式総合病院だった。
その運営支援を託されたのがミゼリコルディアと呼ばれた、地元のキリスト教信徒らでつくる互助組織だ。アルメイダが祖国に倣って結成を呼び掛けたという。ミゼリコルディアは「慈悲」を意味するラテン語だそうだ。
そこで二つの疑問が湧く。なぜポルトガルの貿易商人は大分の地を選んだのか。そして、なぜ私財を投じてまで日本で病院を建てたのか-。
キーパーソンがもう一人いた。戦国大名の大友宗麟だ。
16世紀半ば、別府湾は南蛮貿易の要衝で、ポルトガル船が盛んに往来していた。貿易を積極的に進め勢力を広げたのが府内生まれの宗麟だった。「キリシタン大名」と呼ばれるほどキリスト教に理解を示しており、そのお膝元はアルメイダら貿易商にとって“安全地帯”だったはずだ。
やがてアルメイダは、貧困を理由に生まれたばかりの子どもに手をかける悪習「間引き」を知る。彼はこの地にとどまり、母親が罪を犯す前に子どもを引き取ろうと育児院を開いた。これを拡充したのが病院で、貧者は無料で診療したそうだ。宗麟はこの病院建設でも全面支援した。
アルメイダの病院建設から460年余。市街地にはアルメイダや宗麟の銅像が建てられ、彼らを顕彰している。
ただ、ミゼリコルディアに関する資料は乏しく、地元でも知名度は低いという。彼らの活動はアルメイダへの共感が原動力だったはずだ。偉人の名を冠した大分市医師会立アルメイダ病院は4月1日、開設50周年を迎える。これを機に、ボランティア組織としてのミゼリコルディアにも改めて光を当てたい。
=2019/03/30付 西日本新聞朝刊=
元稿:西日本新聞社 朝刊 主要ニュース オピニオン 【風向計】 2019年03月30日 10:57:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。