《社説②・12.24》:被爆者への補償 我慢強いる政治の無責任
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説②・12.24》:被爆者への補償 我慢強いる政治の無責任
終戦80年の節目が近づくにもかかわらず、戦争で被害を受けた民間人への補償の問題が置き去りになっている。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が今年のノーベル平和賞を受賞した。代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは授賞式での演説で、20万人を超える原爆犠牲者への補償を拒み続けている日本政府の姿勢を糾弾した。言葉を重ね「償いは全くしていない」と訴えた。
政府は死亡したり負傷したりした軍人・軍属らには、これまで60兆円を超す恩給などを出してきた。一方、民間人への補償はなく、被害の実態も調べていない。
根底にあるのが、1960年代から繰り返されてきた「受忍論」である。「戦争による損失は国民が等しく受け入れねばならず、国家は補償の義務を負わない」という考え方だ。
だが、被害を受けながら、民間人だという理由で耐え忍び、我慢しなければならないのは理不尽だ。
国は受忍論を盾に、被爆者にも十分な対応を取ってこなかった。
健康を損ねた人への医療・福祉施策はある。被爆者手帳の所持者は医療費の自己負担分が公費で賄われる。放射線に起因したがんなどを発症した場合、原爆症認定患者として特別手当も受け取れる。
これらは被爆者自身が声を上げ、裁判で勝訴を重ねた結果、徐々に対象が広がった。国は深刻な被害の実態から目を背け、過小評価してきたと言わざるを得ない。
「むごい生」という言葉がある。被爆者は生き永らえても、苦しみが生涯続くという意味だ。放射線による健康への影響におびえ、差別や偏見にもさらされる。家族や友人を助けられなかったことへの罪悪感を抱える人もいる。
空襲による被害者も、被爆者と同様、国の補償を求める運動を続けている。超党派の議員連盟が障害を負った人に一律50万円を給付する救済法案をまとめているが、国会提出に至っていない。
欧州の主要国には、軍人か民間人かを問わず犠牲者らを補償する制度がある。
戦争の体験を語れる世代は間もなくいなくなる。過ちを繰り返さないためにも、国民が受けた被害に国は真摯(しんし)に向き合い、何ができるかを議論すべきだ。
元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年12月24日 02:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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