昨日に続いて、今日は「君が代」のウソ、国民全体に奉仕する公務員論のスリカエをみてみよう。
小学校5年生用『初等科修身 二』(1942年版)
二 「君が代」
君が代は
ちよにやちよに
さざれ石の
いはほとなりて
こけのむすまで
この歌は、
「天皇陛下のお治めになる御代は、千年も萬年もつづいて、おさかえになりますやうに。」
といふ意味で、國民が、心からおいはひ申しあげる歌であります。
「君が代」の歌は、昔から、私たちの先租が、皇室のみさかえをおいのりして、歌ひつづけて来たもので、世々の國民のまごころのとけこんだ歌であります。
祝日や、おめでたい儀式には、私たちは、この歌を馨高く歌ひます。しせいをきちんと正しくして、おごそかに歌ふと、身も心も、ひきしまるやうな氣持になります。
戰地で、兵隊さんたちが、はるかに日本へ向かつて、聾をそろへて、「君が代」を歌ふ時には、思はず、涙が日にやけたほほをぬらすといふことです。
「教師用の指導書」
天皇陛下のお治めになるこの御代は、千年も萬年も、いや、いつまでもいつまでも續いて、限りなくお条えになるやうに、たとへば小さな石が大きな巌になり、それに苔が生えるまで、それほど、永く限りなくお榮えになるやうに。
この教材を通して、天皇陛下に對し奉る至誠の情と、御稜威(天皇の権威)を仰ぎ億兆心を一にする無上の喜びとを感得せしめなければならない。「君が代」は、實に國民こぞって御稜威のほどを畏み國體の精華を発揮し、唱和する歌である。
「君が代」が國歌として制定されたのは、明治の初年以降のことといはれてゐるが、しかしこの歌は、古く古今集や和漢朗詠集にもそのまま見え、各時代を通じ各地にわたって、ひろく國民の耳朶に親しまれたところであって、いつとはなしに國歌になってゐたと考へられる。文部省では、明治二十六年八月十二日に「小學校二於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用二供スル歌詞竝樂譜別冊ノ通撰定ス」と告示して、別冊にこの「君が代」の歌を掲げて、爾来それにしたがつてゐる。國運隆昌なるとともに、國歌はおのづから成立したのであって、その由来をここで詮議することは、さして意味のないことである。「聖壽の萬歳(天皇の長寿)を祈り奉ることが、そのままに皇國臣民のあらゆる祈念を含んでゐるといふところに、日本の國豊はあるからである。教師は、ここで國歌「君が代」と、さうして國旗「日の丸」とが、相共に皇國の威嚴を世界に向かって示す表徴たることを念頭におくべきである。
この歌を唱和するときには、嚴粛のうちに和やかなうれしい気持が胸に充ち滿ちて、心から天皇陛下の御ために身命をなげうち、皇室のみ榮えを祈り奉らずにはゐられないのである。
「礼法」
一、「君が代」を歌ふときは、姿勢を正し、まごころから寳祚の無窮をことほぎ奉ること。
二、「君が代」を聴くときにも、前と同じやうに謹嚴な態度をとること。
さて、戦後はどのように解釈しているか。政府の解釈は、以下のとおりだ。
「国旗・日の丸、国歌・君が代」法制化等に関する質問主意書 提出者 石垣一夫
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a145031.htm
11 「君が代」の歌詞について、旧憲法下、特に戦前における「君」の解釈と戦後の「君」の解釈とに相違があるのかないのか、相違があればその内容を明らかにされたい。
衆議院議員石垣一夫君提出「国旗・日の丸、国歌・君が代」法制化等に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
二の8及び11について
君が代の「君」とは、大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法の下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当であると考える。
二の9について
日本国憲法の下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当であると考える。
では、どのように教えているか。
【小学校学習指導要領解説音楽編】1 指導計画作成上の配慮事項を参照
児童が、将来国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長するためには、国歌を尊重する態度を養うようにすることが大切です。
小学校音楽科においては「国歌『君が代』は、いずれの、学年においても歌えるよう指導すること」と示されており、入学式や卒業式等必要なときには、児童がいつでも歌えるようにしておく必要があります。
そのためには、表現学習の目標や内容と関連させ、児童の発達の段階に即していずれの学年においても適切な指導を行うような指導計画を作成する必要があります。
国歌の指導に当たっては、国歌「君が代」は、日本国憲法の下において、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌であることを理解できるようにする必要があります。
1.同じ歌なのに、戦前と戦後では、その解釈が大きく違っていることは政府自身が認めている。
2.戦前は天皇主権、戦後は国民主権だが、戦後は天皇を「神から象徴」として残すことによって、一度は否定された「君が代」をアメリカの都合で復活させていただき、今後は解釈を変更している。「主権の存する」という言葉を意図的に削除して、「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌」と歪曲している。
3.橋下市長は、「公務員はルールに従え」として「起立」を「命令」しているが、政府自身が、ここでも子どもにウソをついているのだ。これに便乗して「命令」を発している橋下市長は、「ルール違反」だ。国民を含めて先生たちは、そういう橋下市長に、なぜ気付かないのだろう。教育公務員は「国民全体に奉仕する」のではないのか?先生たちはウソを教えることは出来ないのだから、橋下市長の「命令」に対する拒否権を行使するのは当然だ。
4.橋下市長の頭の構造は「復古・守旧」だ。彼は「君が代は立って歌うのは当然」としているが、戦前の「指導」を単に踏襲しているにすぎない。何も考えていない。頭をリセットしなければならないのは、彼そのものだ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111207/waf11120708450009-n1.htm
民の代は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで
主権在民の下で歌う「君が代」は「民の代」となる。したがって以上の歌に変えて歌えばいいのだ。みんなで歌ってみようよ!