「朝日」は24日「消費増税法案―首相の決断で提出を」という社説を掲載した。そこで「おかしな話である。法案の元になった『大綱』の中身は、昨年末の党内論議で決着したはずではないか。この期に及んでの紛糾は、民主党が政策集団というよりも、選挙互助会にすぎない実態を改めて示すものだ。これでも政権与党なのか、とあぜんとする」などと、感情を露に、民主党に催促している。
「朝日」が民主党に催促した理由の一つにあげているのは、「野田首相は3月中に法案を決めると言明してきた。自公政権時代の税制改正法が付則に『11年度までに必要な法制上の措置を講ずる』と明記したのを踏まえた対応である」としていることだ。
しかも面白いことには、自公政権とは政策の違いで政権交代したはずの民主党政権に対して自公税権時代の政策を「踏まえた対応」を迫っているのだ。「だから首相が月内に法案を提出するのは、法律に沿った当然の行動だ。ずるずると結論を先送りしてはならない」とプロセス論を理由に督促している。橋下市長に言われるのも仕方ない。
もう一つは、「財政の健全化と社会保障の安定のため、あえて不人気な政策を旗印に掲げてきた野田政権の真価が問われる局面」として、消費税増税が「財政の健全化と社会保障の安定のため」だなどと、「朝日」の増税「大義名分」論を謳っている。
だが、そうした「朝日」の「立場」と、ある意味全く逆の「立場」の記事が27日から始まった。「教えて! 消費税」だ。吉川啓一郎氏の個人記事だ。
この記事の意味を述べておこう。一つは、国民の運動が反映していること、二つは、そうした国民の増税反対の声をマスコミとして反映させているのだという「朝日」の「立場」「姿勢」を示そうとしていること、三つ目は、増税法案がとおり、増税による「懸念」が現実的なものになった時、「朝日」は「懸念」を指摘していたと、正当化するため、という意味、と、四つ目には、消費税増税問題の本質から眼を逸らす意味があるのだ。
以下、その記事の部分を指摘しておこう。
3月27日付 「増税必要なの?」「財産はないの?」
「東日本大震災からの復興はこれからだし、景気回復はまだ実感できない。物価が下がり続ける『デフレ』で企業もなかなかもうからず、給与も増えない。こんな時になぜ消費税を上げなければならないのか」と連載の理由を述べている。
そこで先ず第一に、「増税必要なの?」と、増税の必要性を「野田さんちの家計」にたとえて説明している。しかし、税制・金融・外交、社会保障や教育、軍事など多面的で複雑な国家の財政政策を、ひとつの家計と比較するのにはムリがある。事実「給与」「税収」の中身が単純化されていることが、何よりの証拠だ。
だが、「少しでも多くを、借金に頼らずに税収で賄おうというのが消費増税のねらいだ」と財務省の「ねらい」を説明している。
そこで第二に「財産はないの?」のなかで、「政府は借金まみれだが、国民や企業などには財産がある」として、財務省に対する国民の批判を紹介している。
一つは、「日本の国民が預金などとして持っている金融資産」、二つは、「金融機関や企業も含めた日本全体では、外国に借りている「負債」より外国に貸している「資産」のほうが約240兆円多い」、三つは、「日本は輸出などでもうけた蓄えなどの財産」、四つは、「歳出を切り詰めずに増税していいのか」という「批判」として「巨額のお金がかかる高速道路や新幹線の建設」「国会議員の数の削減、官僚の天下りや宿舎などの特権」などをあげている。
3月28日付 何故標的にされるの?
「財務省などの理屈」を説明しながら、「しかし、本当に良いことばかりなのか。問題はないのか」と、国民の「批判」を、以下、説明している。
「幅広く」という特徴は裏返せば、所得や財産が多い人も所得が少ない人も、同じ税率で負担するということだ。ちなみに所得税は所得が多いほど税率を高くしている。
消費税は皆が買う食品などの生活必需品にかかっている。所得が多い人は増税してもゆとりがあるが、少ない人は増税されれば負担増をより感じる。こうした「逆進性」の問題がある。消費税が上がれば税込み価格も上がるから、消費が減るかもしれない。それを恐れて店や企業が増税分を自腹で負担すれば、経営が苦しくなる。こうして景気が悪くなる可能性も否定はできない。
3月29日付 本当に税収は増えるの?
「景気や政策によっては、税収総額が伸びない可能性もある」と「1989年4月」の「導入」から「最も高い税率は88年には課税所得の60%だったが、99年には37%(課税所得が1800万円超の入)まで下げるなど(今の最高税率は40%)、所得税を減らし」「国が企業からとる法人税の税率は89年度には利益の40%だったが、99年度には30%まで下げた」と、「消費増税の一方、減税もしていた」と「野田さんちの家計」の「火の車」の本質的事実を述べ、以下の事実をあげて「説明」している。
政府は、国民から幅広くとることで景気に左右されにくい消費税を増やしたいと考えてきた。収入が多い人たちや企業は、もうけを増やして経済を活発にするため、自分たちの税を軽くしろ、と強く求めた。その結果、収入が多い入や企業の税負担が減った分、多くの国民の消費税負担が増えたという側面は否めない。それでは、肝心の税収総額はどうなったか。97年度から消費税収は毎年10兆円ほどで安定している。だが、税収総額は97年度の53・9兆円を超えたことはない。リーマンーショツク直後の2009年度は38・7兆円に落ち込んだ。
ここで大きな問題を指摘しておこう。それは「収入が多い人たちや企業」とは何か、それを具体的に指摘していないこと、曖昧にしていることだ。ここが最大の穴だ。これが指摘できなければ、根本的な解決、展望は見えてこない。日本のマスコミの最大の弱点だ。99%の国民を分断し、1%に迫っていく動きを防ぐわ役割を演じているのだ。
「だが、税収総額が増えるかどうかははっきりしない」というような消費税増税を社説では「財政の健全化と社会保障の安定のため、あえて不人気な政策」として「法案を提出するのは、法律に沿った当然の行動」「ずるずると結論を先送りしてはならない」と煽っているのだから、無責任だな。
3月30日付 国の赤字はなくなるの?
「景気や政策によっては、税収総額が伸びない可能性もある」「消費税収が増えても、税収総額が増えるかどうかは、景気や他の税の収入にも左右される」というが、「税収総額」は「景気」によって左右されるのではなく、「収入が多い人たちや企業」を優遇し、国民の懐を温めてこなかったことが最大の要因なのだ。
だから、「97年4月に今の5%に引き上げられた。・・・翌98年度に税収総額は49・4兆円へと激減する。景気が悪くなり、給与などにかかる『所得税』や、企業のもうけにかかる『法人税』の税収が落ち込んでしまった」と述べ、消費税増税の最悪的事実の意味を語らず、さらに「最も高い税率は88年には課税所得の60%だったが、99年には37%(課税所得が1800万円超の入)まで下げるなど(今の最高税率は40%)、所得税を減らし」「国が企業からとる法人税の税率は89年度には利益の40%だったが、99年度には30%まで下げた」ことで「収入が多い人たちや企業」を優遇してきたことと関連させて述べることができないのだ。
このような視点では「消費税は10%に上がった後、さらに増税される可能性もある」など、傍観者立場にならざるを得ない。これでは国の「赤字」はなくならない。勿論「国の赤字」など有るはずがないというが、愛国者の邪論の立場だが。
最後に、もう一度言っておこう。「景気」とは企業の儲けのための「景気」論ではなく、国民の生活のための「景気」論を軸にしなければならない。この間マスコミで言われている「景気」論は「収入が多い人たちや企業」優先の「景気」論だった。
そうではなく、国民の購買力を向上させる「景気」論だ。「収入が多い人たちや企業」が溜め込んだカネを社会に還元させるのだ。そのカネを国民の懐へ入れていく。そうして良質の商品を国民の購買力によって消化していく、購買力の向上によって企業の儲けをも保障するのだ。こうしてカネを循環させるのだ。溜め込んだカネを社会に還元させ、循環させる、これを企業の社会的責任としてルール化するのだ。
天下(あめした)の巡るカネの値(ね)公平に溜め込む輩(やから)世のためにこそ
「朝日」が民主党に催促した理由の一つにあげているのは、「野田首相は3月中に法案を決めると言明してきた。自公政権時代の税制改正法が付則に『11年度までに必要な法制上の措置を講ずる』と明記したのを踏まえた対応である」としていることだ。
しかも面白いことには、自公政権とは政策の違いで政権交代したはずの民主党政権に対して自公税権時代の政策を「踏まえた対応」を迫っているのだ。「だから首相が月内に法案を提出するのは、法律に沿った当然の行動だ。ずるずると結論を先送りしてはならない」とプロセス論を理由に督促している。橋下市長に言われるのも仕方ない。
もう一つは、「財政の健全化と社会保障の安定のため、あえて不人気な政策を旗印に掲げてきた野田政権の真価が問われる局面」として、消費税増税が「財政の健全化と社会保障の安定のため」だなどと、「朝日」の増税「大義名分」論を謳っている。
だが、そうした「朝日」の「立場」と、ある意味全く逆の「立場」の記事が27日から始まった。「教えて! 消費税」だ。吉川啓一郎氏の個人記事だ。
この記事の意味を述べておこう。一つは、国民の運動が反映していること、二つは、そうした国民の増税反対の声をマスコミとして反映させているのだという「朝日」の「立場」「姿勢」を示そうとしていること、三つ目は、増税法案がとおり、増税による「懸念」が現実的なものになった時、「朝日」は「懸念」を指摘していたと、正当化するため、という意味、と、四つ目には、消費税増税問題の本質から眼を逸らす意味があるのだ。
以下、その記事の部分を指摘しておこう。
3月27日付 「増税必要なの?」「財産はないの?」
「東日本大震災からの復興はこれからだし、景気回復はまだ実感できない。物価が下がり続ける『デフレ』で企業もなかなかもうからず、給与も増えない。こんな時になぜ消費税を上げなければならないのか」と連載の理由を述べている。
そこで先ず第一に、「増税必要なの?」と、増税の必要性を「野田さんちの家計」にたとえて説明している。しかし、税制・金融・外交、社会保障や教育、軍事など多面的で複雑な国家の財政政策を、ひとつの家計と比較するのにはムリがある。事実「給与」「税収」の中身が単純化されていることが、何よりの証拠だ。
だが、「少しでも多くを、借金に頼らずに税収で賄おうというのが消費増税のねらいだ」と財務省の「ねらい」を説明している。
そこで第二に「財産はないの?」のなかで、「政府は借金まみれだが、国民や企業などには財産がある」として、財務省に対する国民の批判を紹介している。
一つは、「日本の国民が預金などとして持っている金融資産」、二つは、「金融機関や企業も含めた日本全体では、外国に借りている「負債」より外国に貸している「資産」のほうが約240兆円多い」、三つは、「日本は輸出などでもうけた蓄えなどの財産」、四つは、「歳出を切り詰めずに増税していいのか」という「批判」として「巨額のお金がかかる高速道路や新幹線の建設」「国会議員の数の削減、官僚の天下りや宿舎などの特権」などをあげている。
3月28日付 何故標的にされるの?
「財務省などの理屈」を説明しながら、「しかし、本当に良いことばかりなのか。問題はないのか」と、国民の「批判」を、以下、説明している。
「幅広く」という特徴は裏返せば、所得や財産が多い人も所得が少ない人も、同じ税率で負担するということだ。ちなみに所得税は所得が多いほど税率を高くしている。
消費税は皆が買う食品などの生活必需品にかかっている。所得が多い人は増税してもゆとりがあるが、少ない人は増税されれば負担増をより感じる。こうした「逆進性」の問題がある。消費税が上がれば税込み価格も上がるから、消費が減るかもしれない。それを恐れて店や企業が増税分を自腹で負担すれば、経営が苦しくなる。こうして景気が悪くなる可能性も否定はできない。
3月29日付 本当に税収は増えるの?
「景気や政策によっては、税収総額が伸びない可能性もある」と「1989年4月」の「導入」から「最も高い税率は88年には課税所得の60%だったが、99年には37%(課税所得が1800万円超の入)まで下げるなど(今の最高税率は40%)、所得税を減らし」「国が企業からとる法人税の税率は89年度には利益の40%だったが、99年度には30%まで下げた」と、「消費増税の一方、減税もしていた」と「野田さんちの家計」の「火の車」の本質的事実を述べ、以下の事実をあげて「説明」している。
政府は、国民から幅広くとることで景気に左右されにくい消費税を増やしたいと考えてきた。収入が多い人たちや企業は、もうけを増やして経済を活発にするため、自分たちの税を軽くしろ、と強く求めた。その結果、収入が多い入や企業の税負担が減った分、多くの国民の消費税負担が増えたという側面は否めない。それでは、肝心の税収総額はどうなったか。97年度から消費税収は毎年10兆円ほどで安定している。だが、税収総額は97年度の53・9兆円を超えたことはない。リーマンーショツク直後の2009年度は38・7兆円に落ち込んだ。
ここで大きな問題を指摘しておこう。それは「収入が多い人たちや企業」とは何か、それを具体的に指摘していないこと、曖昧にしていることだ。ここが最大の穴だ。これが指摘できなければ、根本的な解決、展望は見えてこない。日本のマスコミの最大の弱点だ。99%の国民を分断し、1%に迫っていく動きを防ぐわ役割を演じているのだ。
「だが、税収総額が増えるかどうかははっきりしない」というような消費税増税を社説では「財政の健全化と社会保障の安定のため、あえて不人気な政策」として「法案を提出するのは、法律に沿った当然の行動」「ずるずると結論を先送りしてはならない」と煽っているのだから、無責任だな。
3月30日付 国の赤字はなくなるの?
「景気や政策によっては、税収総額が伸びない可能性もある」「消費税収が増えても、税収総額が増えるかどうかは、景気や他の税の収入にも左右される」というが、「税収総額」は「景気」によって左右されるのではなく、「収入が多い人たちや企業」を優遇し、国民の懐を温めてこなかったことが最大の要因なのだ。
だから、「97年4月に今の5%に引き上げられた。・・・翌98年度に税収総額は49・4兆円へと激減する。景気が悪くなり、給与などにかかる『所得税』や、企業のもうけにかかる『法人税』の税収が落ち込んでしまった」と述べ、消費税増税の最悪的事実の意味を語らず、さらに「最も高い税率は88年には課税所得の60%だったが、99年には37%(課税所得が1800万円超の入)まで下げるなど(今の最高税率は40%)、所得税を減らし」「国が企業からとる法人税の税率は89年度には利益の40%だったが、99年度には30%まで下げた」ことで「収入が多い人たちや企業」を優遇してきたことと関連させて述べることができないのだ。
このような視点では「消費税は10%に上がった後、さらに増税される可能性もある」など、傍観者立場にならざるを得ない。これでは国の「赤字」はなくならない。勿論「国の赤字」など有るはずがないというが、愛国者の邪論の立場だが。
最後に、もう一度言っておこう。「景気」とは企業の儲けのための「景気」論ではなく、国民の生活のための「景気」論を軸にしなければならない。この間マスコミで言われている「景気」論は「収入が多い人たちや企業」優先の「景気」論だった。
そうではなく、国民の購買力を向上させる「景気」論だ。「収入が多い人たちや企業」が溜め込んだカネを社会に還元させるのだ。そのカネを国民の懐へ入れていく。そうして良質の商品を国民の購買力によって消化していく、購買力の向上によって企業の儲けをも保障するのだ。こうしてカネを循環させるのだ。溜め込んだカネを社会に還元させ、循環させる、これを企業の社会的責任としてルール化するのだ。
天下(あめした)の巡るカネの値(ね)公平に溜め込む輩(やから)世のためにこそ