昨日は日本中が鎮魂に包まれた。愛国者の邪論も、とある集会に参加し、署名集めをやった。帰宅し居住地域にビラと署名用紙を配布した。
ところでテレビはずっと、この問題を報道していた。未だ行方不明者を「救出」する立場から、「復旧」「復興」の現状を告発する立場から。さらには、今後起こるであろう「日本沈没」の危機と対策を訴える立場から。また「トモダチ」作戦を賛美し、事実上日米同盟容認を鼓吹する立場もあった。「トモダチ」作戦と日米同盟については、後日に。
だが、原発によって利益を得ていたムラビトたちの「責任」を追及するものは、愛国者の邪論が見た限り、ほとんどなかったように思う。
そこで、以下の記事を掲載して、以上の問題を指摘しておこう。
【3・11から1年】天皇陛下おことば2012.3.11 15:31
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120311/dst12031115320024-n1.htm
東日本大震災から一周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。
一年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ二万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。
さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。
この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。
また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。
被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
「お言葉」の「政治利用」については、「君が代強制」発言や岡田・小沢発言などなど、繰り返し問題となってきた。この場合「誰」が「象徴」しての「天皇」を「政治利用」するのか、一つ一つ明らかにしなければならないだろう。
その際の原則は、天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ということだ。「主権の存する日本国民の総意」、すなわち「橋下流」に言えば「民意」だ。この「民意」を体現したときにのみ「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となることができるのだ。
しかも、その「象徴」という「立場と行動」は「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」のだ。その行動は「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」というもので、その限りにおいてのみ「象徴」としての存在が可能になるのだ。
そういうことをふまえて、今回の「お言葉」はどのような「内閣の助言と承認」の下におこなわれたか、この「お言葉」に「内閣」はどのような「その責任を負ふ」ことができるか、そのことを指摘してみたい。
その際、「原発」問題についての「お言葉」は、この程度になるだろうな、というのが、率直な気持ちだ。だが、以下の「お言葉」は「政治的」だった。
これは「象徴としての天皇明仁」がどうのこうのということではない。断っておくが、「象徴としての天皇明仁」は、「人格」が、私たち国民とは異なるので、あえて「天皇明仁」と呼ぶことにする。
>国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。
>そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
>今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
この「お言葉」の「主語」は「国民皆」である。「一億総懺悔」を思い出したのは愛国者の邪論だけだろうか?理由について、以下述べてみる。
万歩譲って「国民皆」が妥当であるならば、その「国民皆」の中に入っていない「国民」がいることを、天皇明仁をとりまく「国民」は、想像できていないことになる。いや天皇の「お言葉」にはそのような問題を差し入れることはできないのかももしれない。
そのことを百歩認めたとすると、では、「内閣の助言と承認を必要」としているこの「お言葉」に対しては「内閣が、その責任を負ふ」ことになる。
そうすると、とんでもない「象徴としての天皇明仁」の「政治利用」ということになる。
確かに「象徴としての天皇明仁」は高齢の手術後の身体である。自分から出席することを公表しての参加である。それなりの決意があったであろことは想像に難くない。
だが、この「お言葉」のもつ「政治的」意味を考えると、どのような「助言と承認」の下に発せられたのか。それが問題なのだ。「助け合い」「感謝」「恩返し」「日本の再生」を強調、説教した野田首相の「式辞」とリンクすると、良く見えてくる。
では抜き出した「国民」は誰か。
原発によって利益を得てきた「国民」に他ならない。復興に対して「絆」を強調し、その「絆」の枠外に身を置いて、「身を切る」ことをしない「国民」だ。
「安全な国土を目指して」「人々が安心して生活できる国土」に「進んでいく」ために必要なカネを出していない「国民」がいることをいっさい語らないこと、このことを問題の枠外におくために「象徴としての天皇明仁」の「政治利用」を図った「内閣の責任」を正していかなくてはならない。
このことは以下の記事を見れば、いっそう明らかになる。
【3・11から1年】推計被害は17兆4200億円2012.3.11 20:29
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120311/plc12031120300013-n1.htm
東日本大震災の推計被害額は約17兆4200億円に上る。ただ、多くの項目は内閣府が昨年6月にとりまとめて以降、更新されておらず、今後大幅に上回る可能性もある。
項目別の被害額は、住宅、工場などの建築物=10兆4千億円▽水道、電気設備などのライフライン=1兆3千億円▽道路、港湾などの社会基盤=2兆2千億円▽その他(文教、福祉施設など)=1兆1000億円。 農林水産関係は1兆9000億円だったが、農林水産省のその後の調査で、2兆4268億円(3月5日時点)と大幅に増加した。
一方、国の復興・復旧費は平成23年度1~3次補正予算で計15兆2579億円が計上。24年度予算案では3兆7754億円が盛り込まれており、全体で19兆333億円に上っている。
以上の金額は、以下に述べる「国民」がカンパすれば、復興はできるだけ早く実現できるだろう。それは、どんな「国民」か。
それは労働者のうち4割もの「国民」を非正規労働者にしておきながら、長時間過密労働下に置き、その賃金をピンハネして、その作り出した富・価値を、しこたまタクワエ、この「タクワエ」を復興資金に使ってくれというのではなく、逆に消費税増税と法人減税を迫り、輸出品に一円も消費税を支払うことなく、増税によってさらに大儲けしようとしている「国民」だ。
だが、曖昧な「国民皆」とすることで、塗炭の苦しみを与えた「国民」の先輩たちを免罪したように、今回の「国民皆」によって、さらに「免罪」しようとしているのだ。
付け加えておけば、以下の文章を「お言葉」として挿入することこそ、今回の「一億総懺悔」式の「国民皆」を根本から克服することになるのだということを、声を大にして言っておこう。
>そしてこの戦争の惨禍の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、戦争と平和に対する心掛けを育み、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しながら連帯し、平和で安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
>今後、人々が安心して生活できる国土が築かれ、国際社会において、名誉ある地位を占めていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
お言葉の術を捻じ曲げまたしてもいつまでつづくホンネも言へぬ
曖昧なショーチョーやめて住む処西の都の山里の館(たち)
一億の総ての懺悔日の本の政治の性(さが)を語らぬ政治
またしても的射ぬらせぬ言の葉にしこたま儲くる輩の笑ひ
日の本の騙す輩に矢を射ぬと一矢一矢に磨きかけたり
ところでテレビはずっと、この問題を報道していた。未だ行方不明者を「救出」する立場から、「復旧」「復興」の現状を告発する立場から。さらには、今後起こるであろう「日本沈没」の危機と対策を訴える立場から。また「トモダチ」作戦を賛美し、事実上日米同盟容認を鼓吹する立場もあった。「トモダチ」作戦と日米同盟については、後日に。
だが、原発によって利益を得ていたムラビトたちの「責任」を追及するものは、愛国者の邪論が見た限り、ほとんどなかったように思う。
そこで、以下の記事を掲載して、以上の問題を指摘しておこう。
【3・11から1年】天皇陛下おことば2012.3.11 15:31
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120311/dst12031115320024-n1.htm
東日本大震災から一周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。
一年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ二万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。
さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。
この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。
また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。
被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
「お言葉」の「政治利用」については、「君が代強制」発言や岡田・小沢発言などなど、繰り返し問題となってきた。この場合「誰」が「象徴」しての「天皇」を「政治利用」するのか、一つ一つ明らかにしなければならないだろう。
その際の原則は、天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ということだ。「主権の存する日本国民の総意」、すなわち「橋下流」に言えば「民意」だ。この「民意」を体現したときにのみ「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となることができるのだ。
しかも、その「象徴」という「立場と行動」は「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」のだ。その行動は「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」というもので、その限りにおいてのみ「象徴」としての存在が可能になるのだ。
そういうことをふまえて、今回の「お言葉」はどのような「内閣の助言と承認」の下におこなわれたか、この「お言葉」に「内閣」はどのような「その責任を負ふ」ことができるか、そのことを指摘してみたい。
その際、「原発」問題についての「お言葉」は、この程度になるだろうな、というのが、率直な気持ちだ。だが、以下の「お言葉」は「政治的」だった。
これは「象徴としての天皇明仁」がどうのこうのということではない。断っておくが、「象徴としての天皇明仁」は、「人格」が、私たち国民とは異なるので、あえて「天皇明仁」と呼ぶことにする。
>国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。
>そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
>今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
この「お言葉」の「主語」は「国民皆」である。「一億総懺悔」を思い出したのは愛国者の邪論だけだろうか?理由について、以下述べてみる。
万歩譲って「国民皆」が妥当であるならば、その「国民皆」の中に入っていない「国民」がいることを、天皇明仁をとりまく「国民」は、想像できていないことになる。いや天皇の「お言葉」にはそのような問題を差し入れることはできないのかももしれない。
そのことを百歩認めたとすると、では、「内閣の助言と承認を必要」としているこの「お言葉」に対しては「内閣が、その責任を負ふ」ことになる。
そうすると、とんでもない「象徴としての天皇明仁」の「政治利用」ということになる。
確かに「象徴としての天皇明仁」は高齢の手術後の身体である。自分から出席することを公表しての参加である。それなりの決意があったであろことは想像に難くない。
だが、この「お言葉」のもつ「政治的」意味を考えると、どのような「助言と承認」の下に発せられたのか。それが問題なのだ。「助け合い」「感謝」「恩返し」「日本の再生」を強調、説教した野田首相の「式辞」とリンクすると、良く見えてくる。
では抜き出した「国民」は誰か。
原発によって利益を得てきた「国民」に他ならない。復興に対して「絆」を強調し、その「絆」の枠外に身を置いて、「身を切る」ことをしない「国民」だ。
「安全な国土を目指して」「人々が安心して生活できる国土」に「進んでいく」ために必要なカネを出していない「国民」がいることをいっさい語らないこと、このことを問題の枠外におくために「象徴としての天皇明仁」の「政治利用」を図った「内閣の責任」を正していかなくてはならない。
このことは以下の記事を見れば、いっそう明らかになる。
【3・11から1年】推計被害は17兆4200億円2012.3.11 20:29
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120311/plc12031120300013-n1.htm
東日本大震災の推計被害額は約17兆4200億円に上る。ただ、多くの項目は内閣府が昨年6月にとりまとめて以降、更新されておらず、今後大幅に上回る可能性もある。
項目別の被害額は、住宅、工場などの建築物=10兆4千億円▽水道、電気設備などのライフライン=1兆3千億円▽道路、港湾などの社会基盤=2兆2千億円▽その他(文教、福祉施設など)=1兆1000億円。 農林水産関係は1兆9000億円だったが、農林水産省のその後の調査で、2兆4268億円(3月5日時点)と大幅に増加した。
一方、国の復興・復旧費は平成23年度1~3次補正予算で計15兆2579億円が計上。24年度予算案では3兆7754億円が盛り込まれており、全体で19兆333億円に上っている。
以上の金額は、以下に述べる「国民」がカンパすれば、復興はできるだけ早く実現できるだろう。それは、どんな「国民」か。
それは労働者のうち4割もの「国民」を非正規労働者にしておきながら、長時間過密労働下に置き、その賃金をピンハネして、その作り出した富・価値を、しこたまタクワエ、この「タクワエ」を復興資金に使ってくれというのではなく、逆に消費税増税と法人減税を迫り、輸出品に一円も消費税を支払うことなく、増税によってさらに大儲けしようとしている「国民」だ。
だが、曖昧な「国民皆」とすることで、塗炭の苦しみを与えた「国民」の先輩たちを免罪したように、今回の「国民皆」によって、さらに「免罪」しようとしているのだ。
付け加えておけば、以下の文章を「お言葉」として挿入することこそ、今回の「一億総懺悔」式の「国民皆」を根本から克服することになるのだということを、声を大にして言っておこう。
>そしてこの戦争の惨禍の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、戦争と平和に対する心掛けを育み、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しながら連帯し、平和で安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
>今後、人々が安心して生活できる国土が築かれ、国際社会において、名誉ある地位を占めていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
お言葉の術を捻じ曲げまたしてもいつまでつづくホンネも言へぬ
曖昧なショーチョーやめて住む処西の都の山里の館(たち)
一億の総ての懺悔日の本の政治の性(さが)を語らぬ政治
またしても的射ぬらせぬ言の葉にしこたま儲くる輩の笑ひ
日の本の騙す輩に矢を射ぬと一矢一矢に磨きかけたり