愛国者の邪論

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卒業式や入学式に起立・礼/斉唱の「命令」は天皇礼賛と忠君愛国教育の遺産、体育館から博物館へ

2012-03-10 | 日の丸・君が代

橋下「維新の会」が条例で強制しようとする「日の丸」礼拝、「君が代」斉唱の命令は、大いなる憲法違反である。

だが、以下の記事をみるように、最高裁判決の事実を伝えない都合の良い解釈と歴史を偽造し、愚弄する思想が、日本の最高裁で行われたことは、日本の歴史に重大な汚点を残すものとして、忘れてはならないだろう。以下指摘してみる。

「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断2011.5.30 17:42 (1/2ページ)[憲法・法律]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110530/trl11053017440005-n1.htm

卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
 最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
 1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
 同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
 その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
 判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
 1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。

<最高裁判決>読みやすくするために、読みやすくするために分けて掲載してみた。

しかしながら,本件職務命令当時,公立高等学校における卒業式等の式典において,
国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,

学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,
かつ,
そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。

したがって,上記の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,

上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。

また,上記の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,
職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,

本件職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。

そうすると,本件職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。

そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。

そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。

したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。

(3) これを本件についてみるに,
本件職務命令に係る起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人の歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人にとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為となるものである。

この点に照らすと,本件職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。

他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,

生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。

法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),

同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,

また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。

そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,

公立高等学校の教諭である上告人は,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあるところ,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の校長から学校行事である卒業式に関して本件職務命令を受けたものである。

これらの点に照らすと,本件職務命令は,公立高等学校の教諭である上告人に対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって,

高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い,かつ,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。

以上の諸事情を踏まえると,本件職務命令については,前記のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,

職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。

(4) 以上の諸点に鑑みると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。(引用ここまで

長々と掲載してみたが、人のことは言えないが、わかりにくい文章だな。だが、いろいろ言っているが、「職務命令」を「合憲」とする最高裁判決の理由は、以下のとおりである。

1.日の丸君が代は広く行われていた
2.起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有する
3.歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。
4.職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。
5.当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするもので
6.生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るもの
7.高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い,
8.かつ,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた

だが、これらの「理由」は、最初から結論が決まっていて、ただあれこれの言い訳を言っているだけだ。

だが、重大なことを無視しているという点で間違っている。

1.「広く行われていた」とする「日の丸」礼拝と「君が代」斉唱の戦前・戦後の歴史を語っていない。

2.学校の卒業式や入学式という儀式における「日の丸」礼拝と「君が代」斉唱の教育的意味を語っていない。小学生においては12回、中学生においては6回、高校生においては6回、合計24回の儀式において、礼拝と斉唱がどのような教育的意味をもっているかだ。生徒に何を獲得させるのか、はっきりしていない。

3.儀式における「教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行」の教育的意味は何か、語っていない。

4.「学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ」ているとあるが、具体的に指摘もしていないし、「高等学校教育の目標」とは何かも語っていない。しかもそのような「目標」が24回の儀式で獲得できるかどうかも無視しいている。全く非教育的判決文と言える。

5.学校教育における24回の儀式の歴史がどのような経過をもって実践され、どのような人格形成がなされたか、判決文は、全く語っていない。これは歴史に対する冒涜と言えるもので、最高裁判事の文章としては耐えることのできないシロモノである。

そこで、最高裁の儀式認識の誤りについて、以下の事実をあげておこう。

それはまず一つ目、『児童用 尋常小学修身書 巻四』(昭和二年十月版)をあげておこう。

第二十二 國旗
このは紀元節に家々で日の丸の旗を土てたのを、子供たちが見て、よろこばしさうに話をしてゐる所です・
どこの國にもその國のしるしの旗があります。これを國旗と申します。日の丸の旗は、我が國の國旗でございます。
我が國の祝日や祭日には、学校でも家々でも國旗を立てます。その外、我が國の船が外國の港にとまる時にも之を立てます。
國旗はその國のしるししでございますから、我等日本人は日の丸を大切にしなければなりません。又禮儀を知る國民としては外國の國旗もさうたうにうやまはなければなりません。

第二十三 祝日・大祭日
我が國の祝日は新年・紀元節・天長節・明治節でございます。新年は一月一日・二日・五日、紀元節は二月十一日、天長節は四月二十九日、明治節は十一月三日で、いづれもmrでたい日でございます。
大祭日は元始祭・春季皇霊祭・神武天皇祭・秋季皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭・大正天皇祭でございます。・・・祝日・大祭曰は我が國にてまことに大切な日で、宮中ではおごそかな御儀式を行はせられます。我等はよくその日のいはれをわきまへて忠君愛國の精神を養はなければなりません。

第二十七 よい日本人  掲載しなくとも可能だろう。想像してほしい。

キィーワードは「天皇陛下の御恩」「忠君愛國」「國旗を大切に」「祝祭日のいはれをわきまへ」「日本人には忠義と孝行がいちばん大切」「礼儀を守り」「規律ただしく」だ。

さて、こうした思想が、どこに温存され続けてきたか、明瞭だろう。そして、今誰がどこで具体化しようとしているか、だ。

さて、「よい日本人」となるために「儀式」を最大限利用しようとした。

次の事例は以下の規定だ。どこかの条例と似ていないか?

「小学校祝日大祭日儀礼規程 文部省令第4号」(1891年6月17日)

明治二十三年十月勅令第二百十五號小學校令第十五條ニ基キ小學校ニ於ケル祝日大祭日ノ儀式ニ關スル規程ヲ設クルコト左ノ如シ

  小學校祝日大祭日儀式規程

第一條 紀元節、天長節、元始祭、嘗祭及新嘗祭ノ日ニ於テハ學校長、員及生徒一同式場ニ
參集シテ左ノ儀式ヲ行フヘシ
 一 學校長員及生徒
   天皇陛下及
   皇后陛下ノ 御影ニ對シ奉リ最敬禮ヲ行ヒ且兩陛下ノ萬歳ヲ奉祝ス
   但未タ 御影ヲ拜戴セサル學校ニ於テハ本文前段ノ式ヲ省ク
 二 學校長若クハ員、育ニ關スル 勅語ヲ奉讀ス
 三 學校長若クハ員、恭シク育ニ關スル 勅語ニ基ヅキ 聖意ノ在ル所ヲ誨告シ又ハ
   歴代天皇ノ 盛 鴻業ヲ敍シ若クハ祝日大祭日ノ由來ヲ敍スル等其祝日大祭日ニ相應ス
 ル演説ヲ爲シ忠君愛國ノ志氣ヲ涵養センコトヲ務ム

第二條 孝明天皇祭、春期皇靈祭、武天皇祭及秋期皇靈祭ノ日ニ於テハ學校長、員及生徒一
同式場ニ參集シテ第一條第三款及第四款ノ儀式ヲ行フヘシ

第三條 一月一日ニ於テハ學校長、員及生徒一同式場ニ參集シテ第一條第一款及第四款ノ儀式
ヲ行フヘシ

第四條 第一條ニ掲クル祝日大祭日ニ於テハ便宜ニ從ヒ學校長及員、生徒ヲ率ヰテ體操場ニ臨
ミ若クハ野外ニ出テ遊戲體操ヲ行フ等生徒ノ心情ヲシテ快活ナラシメンコトヲ務ムヘシ

第五條 市町村長其他學事ニ關係アル市町村吏員ハ成ルヘク祝日大祭日ノ儀式ニ列スヘシ

第六條 式場ノ合ヲ計リ生徒ノ父母親戚及其他市町村住民ヲシテ祝日大祭日ノ儀式ヲ參觀スル
コトヲ得サシムヘシ

第七條 祝日大祭日ニ於テ生徒ニ茶菓又ハ育上ニ裨アル繪畫等ヲ與フルハ妨ナシ

第八條 祝日大祭日ノ儀式ニ關スル次第等ハ府縣知事之ヲ規定スヘシ

この中で、「御影ニ對シ奉リ最敬禮」という事実が、今でも学校に残っていることを知る人はいないだろう。教師でさえも、すっかり忘れているか、知らないか、だから。
体育館の壁に向かって「一同礼」を「節目となる儀式的行事」において、「慣例上の儀礼的な所作」として、行われているのだ。彼らは、決して思想信条が侵されたとは、ちっとも思っていないのだ。それは事実を知らないからだ。丁度11月月3日が「文化の日」で休めるからいいじゃないか、11月23日が勤労感謝の日として休みだから嬉しいということと同じだ。

これは日本人の歴史認識に係る問題で、この無頓着が、加害の事実をも忘れてしまうという国民性、いや意図的なイデオロギー注入だということなのだ。これで外国の国旗・国歌に対する礼儀を培うことができるかどうか、最高裁判事は、よくよく学習しなおしたほうが良い。

最高裁判事は、先に述べたことに対して、少し後ろめたさを感じていたのだろうか?補足的意見を述べている。日の丸・君が代斉唱礼賛者たちが意識的に無視をする文章である。

これについては、後日に。


広げよう!国民主権の国の「国歌」=「民の代」を!

民の代は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで

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