愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

意図的に仕組まれた「ルール違反」の「口元チェック」を正当化する橋下市長の論理を分析してみた!

2012-03-17 | 日の丸・君が代

橋下市長のツィッターを観てみた。http://twilog.org/t_ishin
彼の論理は明解だ。以下まとめてみた。「結論」は彼の言いたいことをまとめてみた。

1.今回の口元チェックの経過と正当性について
(1)命令を出すには法的な権限が必要
(2)大阪では議会の正当な手続きによって起立斉唱の条例が成立
(3)起立斉唱条例について批判があることは承知している。それを引き受けても実行していくのが政治や行政
(4)教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じ
教育委員会が「斉唱」の確認を校長に求め
(5)教育委員会は府立高校の全校長に、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求め
(6)中原校長は教育委員会からの職務命令が実行されたかどうか、まさに求められる報告を行うために教員の口元チェックをしました。
(7)口元チェックがおかしいと言うなら、それを命じた教育委員会とその委員を任命した元知事である僕に責任がある
(8)行政が出す命令は重い。他人に嫌なことでも強いる権力行使そのもの
結論
(1)ところが、口元チェックの「責任」は「僕」にはない。
(2)何故ならば、正当な手続きで成立した条例に基づいて「命令」が出されているからだ。
(3)「起立斉唱」だけでは命令が徹底できているかどうか判らないので、「起立『斉唱』」を求めたのだ。

2.口元チェックがおかしいと批判した教育委員会批判について
(1)起立斉唱の職務命令を出し、そして校長にその状況確認を求めた教育員会の最高責任者である教育委員長と委員が、校長の口元チェックを批判した。
(2)府教育委員会の委員長と一部委員が、中原校長の行動がおかしいと批判
(3)教育行政の最終責任者は教育委員であり、それを任命した知事である。口元チェックがおかしいなら、その責任は教育委員にあり任命した知事にある。
(4)もし中原校長の行動がおかしいと言うのであれば、それは、それを教員に起立斉唱を命じ、校長に状況確認を求めた教育委員会がおかしい
(5)中原校長の口元チェックがおかしいと言うなら、起立斉唱を求める職務命令を出さなければ良い。この条例を教育委員会は守らないと宣言すれば良い。これまで教育委員会が言ってきたこととの整合性はどうなる?
(6)全教員へ起立斉唱を命じる職務命令を出し、そしてその状況報告を全校長に求めながら、実際校長が斉唱の確認をやったら校長を批判する。こんなトップの下で現場が動くはずがない。組織として完全に成り立っていない。これは大問題だ。
(7)結局、教育委員は、自分が責任者だという認識が皆無。これが今の教育委員会制度の最大の欠陥
(8)教育委員会は自分たちが行政の責任者であることの認識が全くありません。コメンテーターの気分
(9)教育委員会の事務局は委員会の補助機関。委員の考えと違うことを事務局が勝手に言っているのであれば、それは適切な対応を執らなければなりませんが、委員にはその覚悟はない
(10)教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈
(11)「斉唱」の確認は口元チェック以外にどうやってやるのでしょうか?
(12)府教育委員会に問いたい。どうやって斉唱の確認をするのだ
(13)府教委の事務局は、中原校長の行動は間違っていないと言っています。
結論
(1)行政手続きを踏まえない口元チェック批判は教育委員会制度の「末期的症状」
(2)「現在の教育行政が府民の感覚を紛失していることの原因は制度の問題・・・『現在の教育委員会は形骸化している』というのが圧倒的多数の世間の意見」だから、こんな組織は「リセット」すべきだ。

3.中原校長弁護論の展開について
(1)口元チェックがおかしいなら、その責任は教育委員にあり任命した知事にある。職務命令がおかしいのか、条例がおかしいのか、そこを検討する権限は校長にはない。ゆえに校長には責任はない
(2)メディアが本質を伝えていない所は、中原校長の慎重な手続きである。まず式を乱さない形での数秒のチェック。
(3)中原校長は卒業式の雰囲気を乱さないために、教頭を通じて遠目に数秒間チェックを行い、そして式が終わってから別室で教員に確認をした。式には一切影響を与えていません
(4)斉唱していないと思われた教員3名を別室において確認
(5)2名は斉唱したと答えたので、それで良しとした
(6)残る一名が、「起立だけで良いと思った。斉唱はしてない」と答えた。
(7)そして教育委員会に報告をした
(8)口元をチェックして、動いていないと一方的に非難しているわけではない。
(9)中原校長も弁護士。あやふやな証拠であることも十分承知していて、本人確認を行った。
結論
(1)中原校長の慎重な手続きから見ても口元チェックは間違っていない。
(2)式を乱していない。
(3)本人確認を行っている。

4.口元チェック批判の批判について
(1)口元がどうであれ、斉唱したと本人が言うのであれば、それは問題ないとしたのが中原校長の判断。
(2)ただし本人が斉唱していないと認めたのであれば、それは教育委員会への報告事項でしょう。当り前でしょ。
(3)このやり方がおかしいと言うのであれば、教育委員会はやり方を示すべきだ。

結論
(1)本人の意思を尊重しているのだから問題はない。
(2)教育委員会は条例に沿って出された「命令」である「起立『斉唱』」の方法について対案を示せ。

5.橋下市長は「確信犯」的行為を自ら表明、主語に注目!
(1)教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じ
(2)教育委員会は、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求めた
(3)中原校長は僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告してきました。
(4)僕は、このメールを情報公開対象のシステムに乗せて敢えて公にしました。
(5)中原校長は世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公にすることを了承してくれました
(6)まずこの事案を公にしたのは、僕と中原校長の合意に基づくもの
(7)中原校長は僕の大学時代からの友人で、公募校長に合格した民間人校長
結論
(1)中原校長は、僕と松井知事にメールで報告してきた。
(2)僕は、敢えて中原校長のメールを公にした。
(3)大学時代からの友人である中原校長は公にすることを了承してくれた
(4)口元チェックの事案を公にしたのは合意である。
(5)その事案の本質は「職務命令の達成度チェック」=「口元チェック」だった。

以上、橋下市長の述べる「正統性」、論理展開を整理してみたがどうか。さらに検討が必要だ。

そこで長くなるが、以下、実物を掲載しておこう。「つぶやき」の各項目の後に「問題点」を記しておいた。

Permalink - 2012年03月16日
2012年03月15日(木) 17 tweets
君が代起立斉唱条例について、大阪府立和泉高校の中原校長が行った教員の口元チェックについて賛否両論が起きています。まずこの事案を公にしたのは、僕と中原校長の合意に基づくものです。中原校長は僕の大学時代からの友人で、公募校長に合格した民間人校長です。posted at 15:43:40
問題点
1.「賛否両論が起きて」いるとあるが、その内容は全く触れていない。
2.形式論のみで、中身がないのが最大の特徴だ。
3.形式論理をお得意とする橋下市長にとって、人権問題を論じる視点は、恐らくないのだろうな。
4.この「つぶやき」がどこで行われたか、だ。「勤務中」「執務中」ではないのか?
5.そうだとすれば、サボり?職員や組合に言えるか?

中原校長は僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告してきました。僕は、このメールを情報公開対象のシステムに乗せて敢えて公にしました。普通の校長なら公になることを嫌がるでしょうが、中原校長は世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公にすることを了承してくれましたposted at 15:47:04
問題点
1.「大阪府立和泉高校の中原校長」「僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告」って、何故「校長」が「大阪市長」と「大阪府知事」に「報告」?
2.府立和泉高校の中原校長の任命権者は?
3.中原校長は橋下大阪市長と松井大阪府知事に「卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告」って、大阪市役所の職員が、「任命権者」の「市長」とは別の人間、「友達」に「市政の問題」を「メール」でやりとりをしたら、橋下市長はどうする?
4.しかも、校長がメールしたのは「何時」だったのか?橋下市長は「情報公開の対象のシステムに乗せ」なければならない。
5.ここでも自分に甘く、他人に厳しい市長独特の人格が垣間見えてくる。

まず中原校長の行動が批判を受けているようですが、これは全くの誤りです。もし口元チェックがおかしいと言うなら、それを命じた教育委員会とその委員を任命した元知事である僕に責任があるのです。教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じました。posted at 15:48:29

そして教育委員会は府立高校の全校長に、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求めたのです。中原校長は教育委員会からの職務命令が実行されたかどうか、まさに求められる報告を行うために教員の口元チェックをしました。posted at 15:50:52
問題点
1.橋下市長の今回の狙いが「確信犯」的なものであることは、「起立斉唱」から「起立『斉唱』」に変えていることで明瞭だ。
2.彼は「起立」しても「斉唱」していない教員がいることを把握し、「起立斉唱」の「命令」が徹底していないことをハッキリさせるために「口元チェック」を「敢えて」「世に問題提起」した。
3.「他人に嫌なことでも強いる権力行使そのもの」の事例として口元チェックを行い、「世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公」にしたのだ。
4.世論は、必ず味方してくれるとの思い上がりがある。

教育委員会が「斉唱」の確認を校長に求めています。「斉唱」の確認は口元チェック以外にどうやってやるのでしょうか?しかも中原校長は卒業式の雰囲気を乱さないために、教頭を通じて遠目に数秒間チェックを行い、そして式が終わってから別室で教員に確認をしたのです。式には一切影響を与えていませんposted at 15:53:20
問題点
1.教育委員会=「悪者」論、校長弁護論と居直り、反対論者を攻撃し、正当化するのだ。
2.「卒業式の雰囲気を乱さない」「式には一切影響を与えていません」と言うのであれば、「不起立」だって同じだ。まして「起立不斉唱」だってそうだろう。
3.「口元チェック」方式が個人の尊厳、人権を踏みにじる行為であるという本質をスリカエテいるのだが、彼にはそのようは人権感覚的「発想」は微塵もない。
4.彼にあるのは「命令」の流れの沿って自論を展開し、正当化するという思考回路だ。だから「教育委員会」の「命令」にしたがって「口元チェック」方式を実施した校長は何も問題はないのだと。
5.しかもその教育委員を任命したのは「僕」であり、その「僕」は選挙で選ばれ、「議会の正当な手続きによって起立斉唱の条例が成立した」のだから「責任」は誰にもないのだ、ということになるのだ。
6.「責任」があるというのであれば、選挙で私を当選させ、「維新の会」を議会で多数派にしてくれた大阪府民にあるということになるだろう。彼の論理展開をそのまま使うとすれば。

もし中原校長の行動がおかしいと言うのであれば、それは、それを教員に起立斉唱を命じ、校長に状況確認を求めた教育委員会がおかしいのです。ところが、この府教育委員会の委員長と一部委員が、中原校長の行動がおかしいと批判した。もう教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈しました。posted at 15:55:37
問題点
1.橋下市長のお得意の論理が展開される。「もし・・・であれば、おかしいのです。ところが・・・と批判した。もう教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈」したと正当化だ。
2.「府教育委員会の委員長と一部委員」と分ける手法を使いながら、教育委員会批判の正当性とその狙いを「露呈」させるのだ。だが、もう一度確認しておこう。
3.だが、教育委員会批判と一体のものとして「僕」である「元知事」に逆らって「僕の大学時代からの友人」の「行動がおかしいと批判した」のが、よほど気に食わないのか?

残念ながら教育委員会は自分たちが行政の責任者であることの認識が全くありません。コメンテーターの気分なのでしょう。行政が出す命令は重い。他人に嫌なことでも強いる権力行使そのものです。だからその命令を出すには法的な権限が必要であり、その全責任も負わなければならない。posted at 15:57:09
問題点
1.「コメンテーター」という言葉を使って教育委員会批判のボルテージをあげている。
2.教育委員会無責任論を吹聴することで公務員バッシングの悪用と正当化だ。
3.だが、その教育委員を任命したのは、橋下府知事だと言うことは、ここで言っていない。
4.任命責任は不問だ。手続き上の責任は述べるが、口だけだ。
5.橋下氏のルール違反は問題ないのか?以下の条文が参考になる。
「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第4条)

起立斉唱の職務命令を出し、そして校長にその状況確認を求めた教育員会の最高責任者である教育委員長と委員が、校長の口元チェックを批判した。では、府教育委員会に問いたい。どうやって斉唱の確認をするのだと?府教委の事務局は、中原校長の行動は間違っていないと言っています。posted at 15:58:39
問題点
1.逆ギレの典型だ。逆に質問して、自分の土俵で相撲をとろうとしている。
2.「斉唱の確認」というが、これまでの式に問題があったのかどうか、ここではいっさい不問だ。スリカエの典型だ。

教育委員会の事務局は委員会の補助機関。委員の考えと違うことを事務局が勝手に言っているのであれば、それは適切な対応を執らなければなりませんが、委員にはその覚悟はないでしょう。結局、教育委員は、自分が責任者だという認識が皆無。これが今の教育委員会制度の最大の欠陥なんです。posted at 16:00:08
問題点
1.今度は「責任」から「覚悟」へと攻撃の言葉を発展させている。
2.「無責任」「覚悟なし」から「制度の欠陥」へと飛躍させ、しかも「最大」と。
3.言葉があるときは「情緒」に、あるときは「短絡」的に、というのが彼のお得意の手法だ。

もし中原校長の口元チェックがおかしいと言うなら、起立斉唱を求める職務命令を出さなければ良い。では、これまで教育委員会が言ってきたこととの整合性はどうなる?また大阪では議会の正当な手続きによって起立斉唱の条例が成立した。この条例を教育委員会は守らないと宣言すれば良い。posted at 16:02:00
問題点
1.ここでもお得意の論理展開だ。「もし・・・言うなら」と仮定の話を持ち出して整合性を持ち出し、条例を守らないと宣言しろとして正当化する。
2.「口元チェック」の人権上の、社会常識上の問題は無視して、形式論理で正当化する。
3.だが世の中実態は多様である。これを無視している。
4.「起立」しなくても、「斉唱」しなくても何ら問題はなかった「式」のことは一切語らない。

そこまでの勇気や覚悟がなく、全教員へ起立斉唱を命じる職務命令を出し、そしてその状況報告を全校長に求めながら、実際校長が斉唱の確認をやったら校長を批判する。こんなトップの下で現場が動くはずがない。組織として完全に成り立っていない。これは大問題だ。posted at 16:03:20
問題点
1.「無責任」「覚悟」から、今度は「勇気」に。そして「こんなトップの下」と職員の分断になった。
2.組織は上意下達でしか動かせないという発想が象徴的だ。
3.職場の民主主義観、職場の合意形成などという手法は皆無だ。
4.強いリーダーを求める風潮に便乗したものだ。

起立斉唱条例について批判があることは承知している。それを引き受けても実行していくのが政治や行政である。批判が出たら、自分たちの責任ではないと言わんばかりに、自分たちの部下でもある校長に責任を押し付ける教育委員会とはどんな組織なのか。全ての批判、責任を負うのがトップである。posted at 16:05:48
問題点
1.「批判」は「承知」と、一見人の話を訊く姿勢を示しているようだが、本質は違う。
2.批判を引き受けても(無視しても)実行する。
3.すべての批判、責任を負うというが、中身がない責任論だ。
4.被害者は国民であり、教育現場は子どもだ。
5.どうやって責任を取るのか、いっさい語っていない。言葉が「美しい」が。

教育行政の最終責任者は教育委員であり、それを任命した知事である。口元チェックがおかしいなら、その責任は教育委員にあり任命した知事にある。職務命令がおかしいのか、条例がおかしいのか、そこを検討する権限は校長にはない。ゆえに校長には責任はないのである。posted at 16:07:33

中原校長の言い分はhttp://t.co/l3SrJYgBです。
posted at 16:11:45
そしてメディアが本質を伝えていない所は、中原校長の慎重な手続きである。まず式を乱さない形での数秒のチェック。そしてここが一番重要だが、彼は斉唱していないと思われた教員3名を別室において確認した。そして2名は斉唱したと答えたので、それで良しとしたのである。posted at 16:18:47

残る一名が、「起立だけで良いと思った。斉唱はしてない」と答えた。そして教育委員会に報告をしたのである。口元をチェックして、動いていないと一方的に非難しているわけではない。中原校長も弁護士。あやふやな証拠であることも十分承知していて、本人確認を行った。posted at 16:20:36

口元がどうであれ、斉唱したと本人が言うのであれば、それは問題ないとしたのが中原校長の判断。ただし本人が斉唱していないと認めたのであれば、それは教育委員会への報告事項でしょう。当り前でしょ。このやり方がおかしいと言うのあれば、教育委員会はやり方を示すべきだ。posted at 16:22:22
結論
1.だが、これはあくまで「本人」の自己申告なのだ。「起立」しても「斉唱しました」と言えばすむことになる。
2.そうであれば、「起立斉唱」「命令」は言葉だけになる。だったら「起立」しても「斉唱」していない教員が大勢いた従来と同じではないか?
3.では、本人がウソをついていたら「起立『斉唱』」の「命令」は徹底していないことに、さらには「『斉唱』の確認」はできていないことになる。
4.そうなると、どうするか、橋下市長の論理展開からすると、「映像確認」から「マイク確認」が必要になってくる。そこまでやる「覚悟」は橋下市長にあるか、どうかだ。

以上、橋下市長の論理と発想を観てきたが、大いに研究する必要があるだろう。彼がこのような理不尽なことを公然と発信できるのは、彼を支持する国民がいるからだ。彼の「つぶやき」登録者は、確か60万人を越えていたようだ。「朝日」に出ていたことを記憶している。間違っていなければ。

しかもこの「つぶやき」を全国紙やテレビがメディアとなって逐一伝えている。それが世論調査の支持率となって、「政局」が形成され、国民生活に大きな津波となって押し寄せてくるのだ。
波紋どころではないだろう。今の日本の状態は。

なんとしても津波を止めなければならない。事前に調査して、被害を最小限にとどめなければならない。

ところで世論形成の鉄則は「量と質」だ。

つぶやきを放つマスゴミ溢れたり真(まこと)伝ふるメディア増やさむ
民目線点から線へ動かさむ面つくりてこそ民食へるなり

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