今日は憲法記念日、「記念日」とはいうものの、しかも戦後の出発点であったにもかかわらず、さらには国の最高法規なのに、政府主催の記念行事などなく、国際的に見ても恥を晒した。そして全国紙(東京は共同として全国紙に組み込むこととする)は、このことを何ら問うこともなく、以下の内容で社説=主張を展開した。
産経 憲法施行65年 自力で国の立て直し図れ 今のままでは尖閣守れない
読売 憲法記念日 改正論議で国家観が問われる
日経 憲法改正の論議を前に進めよう
毎日 論憲の深化 統治構造から切り込め
朝日 憲法記念日に―われらの子孫のために
東京 憲法記念日に考える 人間らしく生きるには
もう一つ掲載しておこう。それは昨日(2日)の「社説」である。日米共同声明が憲法9条とどのように係っているか、改憲の最大のターゲットが9条であるので、その関連をみるうえで大変参考になる。
産経 日米首脳会談 対中抑止の実が問われる
読売 日米首脳会談 同盟深化へ戦略的行動重ねよ
日経 日米同盟の強化に欠かせぬ有言実行
毎日 日米同盟 元のもくあみにするな
朝日 日米防衛協力―このなし崩しは危うい
東京 日米首脳会談 「軍事」突出を危惧する
特徴をみてみよう。
1.現行憲法は自立した国家観を明らかにしているのに、アメリカ従属メディアは平気でウソをつく。
「産経」 「占領下で日本無力化を目的に米国から強制された格好の現行憲法」「憲法施行65年の今日、はっきりしたことがある。それは自国の安全保障を他人任せにしている憲法体系の矛盾であり、欠陥だ」というが、「日本人自らの力で国家を機能させ、危難を克服できるように日本を根本的に立て直すことだ」と、改憲=改悪を正当化するために戦後の日米安保体制に寄りかかって政権を維持してきた自民党政権を「否定」しているのだ。
だが、待て!
「産経」は、前日の「主張」では、「日米が主体となってアジア太平洋で中国を抑止する決意を示した」「民主党政権下で繰り返された同盟関係の迷走を正し、あるべき方向へ引き戻す再出発点として、訪米を評価したい」と述べているではないか。さらには、「これまでは『米国任せ』で安住していたことも否定できない。日本人が誇りを持てる国づくりをどう実現できるか。問われているのは日本国民自身である」として一方ではアメリカを否定し、一方ではアメリカとの同盟を強調するというトンデモない矛盾を平気で言っているのだ。
だが、米国によって「押し付けられた憲法」だから改憲しなければならないという論理を、「米国任せ」という言葉でごまかし、「注目したいのは、共同訓練や共同施設利用などを通じ『緊急事態の同盟の対応力を高める』としたことだ。日本に『力の空白』が生じないように『動的防衛協力』が明記されたことは支持したい」「日米の足並みがやっとそろったといえるが、課題を着実に具体化して初めて成果は実効性を持つ。そのことを忘れてはならない」と述べ、あたかも日米が「対等」であるかのようにウソをついているのだ。そもそも日米安保条約は対等な関係で調印されたものではないことは、「産経」と言えども否定はできないだろう。それを「対等」な関係であるかのようにウソをつき、ごまかして、憲法を改悪しようとしているのだ。
さらに「声明にはエネルギー、人的交流など幅広い目標も含まれた。これらも具体的行動が伴わなければ、同盟の血や肉とはならない」と述べている。これも戦後の日米安保体制化で、アメリカの食糧を買わせられ、その自給率を低下させ、食糧安保を崩壊寸前にまで追いやり、さらには石炭から石油へ、そして米国ウランの購入によって、資源安保をアメリカに委ね、さらにはアメリカ型の原子力開発を「原発神話」を振りまくことで原発マネーによって大儲けしてきた結果、何が起こったか、反省も責任の自覚もない、平気でウソをつくのである。まさにこれこそがアメリカ従属メディアの本質である。
また「仮に中国側が漁民を装った海上民兵を尖閣諸島に上陸させ、占拠しても、現行法の解釈では、自衛隊は領土が侵されたとして対処することはできない。代わりに警察が出動し、入管難民法違反などで摘発するしかないのだ」と「仮」の話をでっち上げ、「国家の機能」の「欠陥」を「立て直す」などと暴論を持ち出している。まさに9条の外交政策がどのように展開されるかという想定などは、「産経」には全く浮かんでこないようだ。想像力の極めて貧困な「欠陥」メディアと言えよう。
2.東日本大震災の被害を利用して改憲を正当化している。
「読売」は「日本は今、東日本大震災からの復興や原子力発電所事故の収束、経済・軍事で膨張する中国への対応など、内外に多くの懸案を抱えている。国家のあり方が問われているからこそ、基本に戻りたい。与野党は憲法改正の論議を深め、あるべき国家像を追求すべきだ」として、自民党政権時代以来の憲法ないがしろ政策の「結果」と憲法を生かした政治を展開していない民主政権に眼を向けるのではなく、「憲法が悪いからだ」との主張を展開している。
「日経」も「2011年3月の東日本大震災を経て、戦後日本が新たな段階に入った現在。国家の将来像をどう描くかも含め、憲法と真っ正面から向き合い、改憲論議を前に進めるときだ」と、東日本大震災を「改憲」の口実に使っている。
こうした視点は、以下の文によって判る。
「読売」は、「武力攻撃や内乱、大規模災害の際、首相は「緊急事態」を宣言できる。それに基づき、地方自治体の首長に指示することなどを可能にした。国民の生命と財産を守るためには、居住及び移転の自由、財産権など基本的人権を必要最小限の範囲で一時的に制限することにもなろう。それだけに、緊急事態条項への反対論はある。しかし、何の規定もないまま、政府が緊急事態を理由に超法規的措置をとることの方がよほど危険だ」などと人権制限を公然と言っているのだ。それこそ「危険」な兆候だ。どこかの国と同じではないか!
「日経」は、「緊急事態への対応である。東日本大震災で明らかになった大規模災害時をはじめとして、武力攻撃やテロなどの際に首相への権限を集中するなどの規定を設けるものだ」として、震災や武力攻撃、テロを改憲の口実に使い、それらを「期待」していることだ。
まさに火事場の盗人だ。「盗人にも三分の理」というものがあるが、これは全く別物だ。何故か、地震や津波、原発による被災者たちのことを考えれば、当然だろう。彼らは東日本大震災を憲法改悪のための千載一遇と捉えているのだ。
憲法の前文にある平和的生存権、生存権・教育権・勤労権、幸福追求権を具体化しなければならないはずだが、そうした視点は、改憲勢力には全く欠落しているのだ。
以上、3つの社説の2つの問題点をみてきたが、今日はこれにてオワリにしておこう。
明日は、さらに、憲法を生かす視点から、社説と改憲案を診ていきたいと思う。
憲法を生かす議論と行動は改憲論の中にこそあり
産経 憲法施行65年 自力で国の立て直し図れ 今のままでは尖閣守れない
読売 憲法記念日 改正論議で国家観が問われる
日経 憲法改正の論議を前に進めよう
毎日 論憲の深化 統治構造から切り込め
朝日 憲法記念日に―われらの子孫のために
東京 憲法記念日に考える 人間らしく生きるには
もう一つ掲載しておこう。それは昨日(2日)の「社説」である。日米共同声明が憲法9条とどのように係っているか、改憲の最大のターゲットが9条であるので、その関連をみるうえで大変参考になる。
産経 日米首脳会談 対中抑止の実が問われる
読売 日米首脳会談 同盟深化へ戦略的行動重ねよ
日経 日米同盟の強化に欠かせぬ有言実行
毎日 日米同盟 元のもくあみにするな
朝日 日米防衛協力―このなし崩しは危うい
東京 日米首脳会談 「軍事」突出を危惧する
特徴をみてみよう。
1.現行憲法は自立した国家観を明らかにしているのに、アメリカ従属メディアは平気でウソをつく。
「産経」 「占領下で日本無力化を目的に米国から強制された格好の現行憲法」「憲法施行65年の今日、はっきりしたことがある。それは自国の安全保障を他人任せにしている憲法体系の矛盾であり、欠陥だ」というが、「日本人自らの力で国家を機能させ、危難を克服できるように日本を根本的に立て直すことだ」と、改憲=改悪を正当化するために戦後の日米安保体制に寄りかかって政権を維持してきた自民党政権を「否定」しているのだ。
だが、待て!
「産経」は、前日の「主張」では、「日米が主体となってアジア太平洋で中国を抑止する決意を示した」「民主党政権下で繰り返された同盟関係の迷走を正し、あるべき方向へ引き戻す再出発点として、訪米を評価したい」と述べているではないか。さらには、「これまでは『米国任せ』で安住していたことも否定できない。日本人が誇りを持てる国づくりをどう実現できるか。問われているのは日本国民自身である」として一方ではアメリカを否定し、一方ではアメリカとの同盟を強調するというトンデモない矛盾を平気で言っているのだ。
だが、米国によって「押し付けられた憲法」だから改憲しなければならないという論理を、「米国任せ」という言葉でごまかし、「注目したいのは、共同訓練や共同施設利用などを通じ『緊急事態の同盟の対応力を高める』としたことだ。日本に『力の空白』が生じないように『動的防衛協力』が明記されたことは支持したい」「日米の足並みがやっとそろったといえるが、課題を着実に具体化して初めて成果は実効性を持つ。そのことを忘れてはならない」と述べ、あたかも日米が「対等」であるかのようにウソをついているのだ。そもそも日米安保条約は対等な関係で調印されたものではないことは、「産経」と言えども否定はできないだろう。それを「対等」な関係であるかのようにウソをつき、ごまかして、憲法を改悪しようとしているのだ。
さらに「声明にはエネルギー、人的交流など幅広い目標も含まれた。これらも具体的行動が伴わなければ、同盟の血や肉とはならない」と述べている。これも戦後の日米安保体制化で、アメリカの食糧を買わせられ、その自給率を低下させ、食糧安保を崩壊寸前にまで追いやり、さらには石炭から石油へ、そして米国ウランの購入によって、資源安保をアメリカに委ね、さらにはアメリカ型の原子力開発を「原発神話」を振りまくことで原発マネーによって大儲けしてきた結果、何が起こったか、反省も責任の自覚もない、平気でウソをつくのである。まさにこれこそがアメリカ従属メディアの本質である。
また「仮に中国側が漁民を装った海上民兵を尖閣諸島に上陸させ、占拠しても、現行法の解釈では、自衛隊は領土が侵されたとして対処することはできない。代わりに警察が出動し、入管難民法違反などで摘発するしかないのだ」と「仮」の話をでっち上げ、「国家の機能」の「欠陥」を「立て直す」などと暴論を持ち出している。まさに9条の外交政策がどのように展開されるかという想定などは、「産経」には全く浮かんでこないようだ。想像力の極めて貧困な「欠陥」メディアと言えよう。
2.東日本大震災の被害を利用して改憲を正当化している。
「読売」は「日本は今、東日本大震災からの復興や原子力発電所事故の収束、経済・軍事で膨張する中国への対応など、内外に多くの懸案を抱えている。国家のあり方が問われているからこそ、基本に戻りたい。与野党は憲法改正の論議を深め、あるべき国家像を追求すべきだ」として、自民党政権時代以来の憲法ないがしろ政策の「結果」と憲法を生かした政治を展開していない民主政権に眼を向けるのではなく、「憲法が悪いからだ」との主張を展開している。
「日経」も「2011年3月の東日本大震災を経て、戦後日本が新たな段階に入った現在。国家の将来像をどう描くかも含め、憲法と真っ正面から向き合い、改憲論議を前に進めるときだ」と、東日本大震災を「改憲」の口実に使っている。
こうした視点は、以下の文によって判る。
「読売」は、「武力攻撃や内乱、大規模災害の際、首相は「緊急事態」を宣言できる。それに基づき、地方自治体の首長に指示することなどを可能にした。国民の生命と財産を守るためには、居住及び移転の自由、財産権など基本的人権を必要最小限の範囲で一時的に制限することにもなろう。それだけに、緊急事態条項への反対論はある。しかし、何の規定もないまま、政府が緊急事態を理由に超法規的措置をとることの方がよほど危険だ」などと人権制限を公然と言っているのだ。それこそ「危険」な兆候だ。どこかの国と同じではないか!
「日経」は、「緊急事態への対応である。東日本大震災で明らかになった大規模災害時をはじめとして、武力攻撃やテロなどの際に首相への権限を集中するなどの規定を設けるものだ」として、震災や武力攻撃、テロを改憲の口実に使い、それらを「期待」していることだ。
まさに火事場の盗人だ。「盗人にも三分の理」というものがあるが、これは全く別物だ。何故か、地震や津波、原発による被災者たちのことを考えれば、当然だろう。彼らは東日本大震災を憲法改悪のための千載一遇と捉えているのだ。
憲法の前文にある平和的生存権、生存権・教育権・勤労権、幸福追求権を具体化しなければならないはずだが、そうした視点は、改憲勢力には全く欠落しているのだ。
以上、3つの社説の2つの問題点をみてきたが、今日はこれにてオワリにしておこう。
明日は、さらに、憲法を生かす視点から、社説と改憲案を診ていきたいと思う。
憲法を生かす議論と行動は改憲論の中にこそあり