愛国者の邪論

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「毎日」の「沖縄差別」論は日米安保廃棄から日米平和友好条約体制構築の最大の壁となっている

2012-05-17 | 沖縄

「毎日」の「沖縄本土復帰40年」の社説を検討してみた。「沖縄差別」論について、いくつかの記事があるが、どれも日米安保条約廃棄を論ずるものはない。「差別」をなくすことは当然だ。だが、本当に「差別」の「声」に向き合って、なくしていくためには、日本国憲法を使うしかない。だが、沖縄の問題に日本国憲法を使う視点は極めて希薄だ。同時に「本土の」米軍基地に対して日本国憲法を使うことも稀だ。いわゆる日米安保条約の方が日本国憲法の上位に位置づけられているからだろう。「安全保障」と「国益」の名の下に思考停止になっているのだ。

事実、「毎日」の「社説」には、どこを探しても「日本国憲法」という文字は出てこない。視点もない。そこに最大の問題がある。以下その視点でみてみよう。

沖縄本土復帰40年 「差別」の声に向き合う 毎日新聞 2012年05月15日 02時30分http://mainichi.jp/opinion/news/20120515k0000m070131000c.html

戦後、長年にわたり米国の統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還されて、15日で40年を迎えた。 政府と沖縄県は共催で記念式典を開く。会場は、移設が難航する米軍普天間飛行場から約1キロ。政府と沖縄の間に横たわる基地問題の最大の懸案を眼前にしての催しとなる。 式典には野田佳彦首相が出席し式辞を述べる。しかし、政府に向ける沖縄の視線は厳しさを増している。 仲井真弘多沖縄県知事が、過重な米軍基地の負担を「差別」と表現したのは2年前だった。そして、今、同じ意識が県民に広がっている。本土復帰から節目となる年に、その言葉の重みを改めてかみしめたい。(引用ここまで)

「米国の統治下」から「沖縄の施政権が日本に返還され」たことの意味は、サンフランシスコ条約第3条日本国憲法と日米安保条約が適用されたことだ。それは当時沖縄からベトナム・インドシナに出撃していた米軍は、日米安保条約に「規制」されることになる。しかし、実際は、韓国の安全は日本の安全にとって「緊要」、日本は太平洋の「かなめ石」路線のなかで、「日本全土の沖縄化」によって自由出撃と核兵器の持込の自由が約束されたことだ。同時に、自衛隊の沖縄配備、それは今も同じだ。これはとても「沖縄差別」論などではない。


 ◇変わらぬ基地集中
 沖縄は、「本土による差別」を、過去4回経験したといわれる。
 1872年の琉球王国強制廃止・琉球藩設置に始まり、7年後の沖縄県設置で琉球を近代日本に組み入れた「琉球処分」、本土決戦に向けた「時間稼ぎ」作戦で住民9万4000人を含む18万8000人が犠牲となった1945年の地上戦、沖縄などを本土から切り離し、米国統治下に置くことを認めた52年のサンフランシスコ講和条約発効。そして、72年の施政権返還・本土復帰である。本土復帰は、他の3件と違って、米国統治下の沖縄の悲願だった。それが「差別」とされる理由は、復帰後も続く過重な基地負担にある。(引用ここまで)

「琉球処分」にしても、「時間稼ぎ」=「捨て石」にしても、「米国統治下に置くことを認めた」にせよ、「過重な基地負担」論にせよ、これらには、「差別」論一般を口実に天皇と天皇制が深く関与していたことを覆い隠すものだ。天皇制そののものが「差別」の象徴ではあるが。


「核抜き・本土並み」の返還。当時の佐藤栄作首相はこう公約し、学者を密使として派遣するなど政治主導で米側と交渉を重ねた。領土返還という最も難しい外交課題を、粘り強い交渉によって成し遂げたことは正当に評価されるべきだろう。(引用ここまで)


冗談じゃない。沖縄「差別」論者は、沖縄県民の闘いを黙殺するのだろうか?「沖縄返還」の最大の功労者は県民と日本国民の血みどろの闘いだった。


しかし、返還後の現実は、沖縄が願っていた姿とはほど遠かった。本土と同じく、米軍への基地提供を定めた日米安保条約を沖縄に適用する−−これが、政府にとっての「本土並み」の意味だった。 返還後、本土の米軍基地削減と表裏をなして、沖縄の基地の比重が高まった。今、国土面積比0.6%の沖縄に、全国の米軍基地施設面積の74%が集中する。沖縄本島の18.4%を米軍基地が占めている。復帰前と変わらず、住民は、米軍機墜落の危険、騒音などの生活被害に耐えることを強いられた。米兵による事件・事故が繰り返され、その対応には日米地位協定が立ちはだかった。沖縄が期待した基地のない「本土並み」の暮らしと現実の落差は、あまりに大きかった。「核抜き」はどうだろう。沖縄に配備されていた戦術核ミサイルは撤去されたが、返還後の沖縄には、核再持ち込みの「密約」疑惑がつきまとった。一連の密約問題を検証した外務省の有識者委員会は一昨年、核再持ち込みについて「必ずしも密約とは言えない」としたが、佐藤首相とニクソン米大統領が署名した、再持ち込みに関する極秘扱いの文書の存在は否定しようがない。委員会の結論には強い違和感が残る。また、返還の見返りに、本来、米国が支払うべき土地の復元費用を日本政府が肩代わりする約束をしていたことも明らかになった。こちらは有識者委員会も密約と認定した。これら「沖縄密約」は、国民と沖縄を裏切る外交史の暗部である。(引用ここまで)


「核密約」と「沖縄密約」こそ、日米安保条約の本質を物語っているが、そこに目を向けることはない。「日米地位協定」も日米安保条約があるが故の「協定」だが、そうした視点は欠落している。


◇本土も負担の覚悟を
毎日新聞と琉球新報の共同世論調査では、沖縄への米軍基地集中について沖縄の69%が「不平等だ」と回答、全国では33%だった。普天間移設は、「県外」「国外」「撤去」の合計が沖縄89%、全国63%だった。本土も沖縄も安全保障上の利益を等しく享受しながら沖縄に基地が集中していることに、県民は強い不満を抱いている。数字は、本土と沖縄の意識の隔たりも示している。厳しさを増す東アジアの安全保障環境を考えれば、在日米軍をただちに大幅削減することは難しい。選択肢は限られている。解決には、本土が負担を引き受ける以外にない。日米両政府は、在沖縄米海兵隊のグアム移転を普天間移設から切り離し、米空軍嘉手納基地以南の5施設・区域を先行返還することで合意した。実現すれば沖縄の負担軽減と経済振興に結びつく。早急に返還時期を確定し、着実に実施すべきだ。さらに、他の米軍施設についても返還の可能性を探るよう求めたい。 同時に必要なのが、沖縄の基地や訓練場の本土移転である。本土側が沖縄の意識を共有することが第一歩であり、政府の努力が不可欠だ。 米議会の有力議員が主張する普天間を嘉手納基地に統合する案は、現在の嘉手納基地機能の一部移転が前提になる。それなしには沖縄の理解は得られない。移転先は本土が想定される。また、普天間移設実現まで普天間の機能を分散移転する場合も本土の協力が欠かせない。 沖縄の地理的条件から本土への移転は抑止力低下になるとの見方があるが、装備品の近代化・技術革新で米兵力の即時対応能力は向上している。米軍に代わって自衛隊が役割を分担することも一つの方策だろう。
沖縄で米軍基地拒否がうねりになれば、基地の円滑な運営、安全保障政策の効果的推進は不可能となる。 政府も、本土も、沖縄の「叫び」に正面から向き合うべきである。(引用ここまで)


日本国憲法9条にもとづく外交努力を出すこともなく、「本土も沖縄も安全保障上の利益を等しく享受しながら沖縄に基地が集中している」と日米安保が「安全保障」の最大の要因であるかのような論調だ。

こうした視点は、「厳しさを増す東アジアの安全保障環境を考えれば」こそ、憲法を使うことを奨励しなければならないはずだ。沖縄の米軍への抵抗闘争は、まさに日本国憲法の理念にもとづくものだった。

その代表的人物が阿波根昌鴻である。彼の思想は『米軍と農民』(岩波新書)に描かれている。その思想と闘いを社説が紹介しないのは何故だろうか?この思想こそ、東アジアの安全保障論の基本中の基本となるであろう。

「本土が基地の負担を引き受ける」ことで基地「問題」は解決するのだろうか?沖縄からイラクやアフガンに出撃した米軍がやったことは、「問題」とはなっていないのだ。イラク戦争の大義はどうするのか?アフガンは?「沖縄差別」論の本質的問題点が、ここにある!基地の分散で、基地の弊害が減少することで「差別」が解消して、基地問題が解決するというのだ。

しかも「政府も、本土も、沖縄の『叫び』に正面から向き合うべきである」との「沖縄差別」論解消の本質は「沖縄で米軍基地拒否がうねりになれば、基地の円滑な運営、安全保障政策の効果的推進は不可能となる」と、日米安保条約廃棄に発展することになるぞ、と脅しているのだ。

米軍の兵器の性能まで期待してしまう。何と情けない社説だろうか?「米軍に代わって自衛隊が役割を分担する」などと、まさに憲法の「規制緩和」論そのものだ。呆れるばかりだ。

「沖縄差別」解消論の狙いがどこにあるか、その最大の争点が日米安保体制の廃棄か、日本国憲法にもとづく日米平和友好条約体制か、「毎日」の「社説」は、改めて強調してくれた。喜ぶべきことだ。

武器を捨て対手の立場踏まえつつ命 財産 宝物とせむ

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