今日は子どもの日、全国紙をはじめ地方紙は、こどもの日に、大人と子どもに何を語ったかをみてみた。ものさしは、子どもの現状をどのように捉えているか、子どもをどのようにみているか、その際のものさしは、日本国憲法と国際法としての子どもの権利条約だ。
<全国紙>
産経 こどもの日 家族に包まれ元気に育て
読売 こどもの日 次世代の「重荷」を減らしたい
東京 こどもの日に考える 未来を築く人たちへ
<地方紙>
北海道 ネット被害 対話通じ子供守りたい
河北新報 こどもの日/少しずつ痛みを乗り越えて
秋田さきがけ こどもの日 子育て環境の充実図れ
岩手日報 こどもの日 大人の社会を見直そう
信濃毎日 福島と信州 次世代を育てる交流に
新潟日報 こどもの日 世代超え笑顔のリレーを
北國新聞 こどもの日に ものづくり現場を見せたい
京都新聞 こどもの日 「社会で育てる」実現したい
神戸新聞 子どもたちへ/「挑戦」の姿勢を失わずに
山陽新聞 こどもの日 どんな未来を渡すのか
中国新聞 子どもシェルター 自立を支える「巣作り」
高知新聞 【こどもの日】家族で防災を語ろう
西日本新聞 こどもの日 地域で伸び伸び育てよう
南日本新聞 [こどもの日] 子育ての重さ考えたい
沖縄タイムス [こどもの日に]つながる社会築きたい
琉球新報 こどもの日 当たり前の環境整えよう
1.子どもを権利の主体者として捉えているかどうか、人類の知見の到達点を子供に提供しているかどうか、そうした視点で社説が書かれているかどうか、それらが具体的に明記されている部分について、抜粋してみる。
「産経」 昭和26年5月5日に制定された児童憲章は「児童は、よい環境のなかで育てられる」べきだとしている。
「読売」 一方で、必要な財源の多くを負担する中堅・若年層は減少していく。今の子どもたちも、苦しい支え手の世代に、やがて加わることになる。
「東京」 発ゼロ。特別なこどもの日。日本中どこの空にもこいのぼりが泳げるよう、大人たちが考え、話し合い、子どもたちより一足早く、行動を始める日。こどもの日。大人には“風送り”の日。
「北海道」 純真な心を傷つけられる子供をこれ以上出さないために、保護者には行動の異変を見逃さない目もあらためて求めたい。
「秋田さきがけ」 「こどもの日」は子どもの人格を重んじ、その幸福を図る日である。
「岩手」 「こどもの日」。国民の祝日に関する法律第2条は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日としている。1959年に国連総会が「児童の権利に関する宣言」を採択した11月20日を記念日とする国も少なくない。30年後の89年、国連は「児童の権利に関する条約」を採択、日本は94年に批准した。 同条約は子どもが自分に関係ある全てのことについて「自由に自己の意見を表明する権利」の確保をうたう。
「信濃毎日」 これからの「脱原発」社会を築くのは、次代を担う子どもや若者たちである。次世代を育てていく視点から、福島、長野両県の交流が息長く続く―。原発事故から2年目のことしは、そんな節目になってほしいと思う。
「新潟」 子供たちは次代の担い手であり、社会の大切な宝である。
「京都」 子どもを大切にする社会は、障害者や高齢者を含め、すべての人が大切され、個人の希望や夢、個性が尊重される社会へとつながっている。その先に、出生率の回復も見えてくるはずだ。
「神戸」 子どもが未来に想像をめぐらし、大人は自分が子どもだったころを思い出しながら、もう一度、子どものことを考える。そのためにも「君たちはどう生きるか」を一緒に読んでみてはどうでしょう。
「山陽」 子どもたちにどんな未来を残すかの重要な分岐点ともいえる。政府は早急に議論を深め、方針を示す必要がある。私たちも政治家任せではなく、さまざまな角度から社会や制度の在り方を見つめ直したい。子どもたちの明るい笑顔をその力にして。
「中国」あすは「こどもの日」。傷つき、苦しむ子どものサインを決して見逃してはならない。教育現場や地域も一体となって、孤立を防ぎたい。「信頼できる」と思える大人のまなざしこそ、巣立ちへの原動力になる。
「高知」 きょう5日は「こどもの日」。健やかな成長を願う一日です。
「西日本」 どうすれば子どもが健やかに成長できるのか、大人は知恵を絞りましょう。今日は「こどもの日」です。地域で開かれるイベントに参加し、友だちと遊んでみませんか。いろいろなことを体験する「学びの場」ともなるはずです。
「南日本」きょうは「こどもの日」だ。子どもの人格を重んじ、幸福をはかる日である。これに合わせて「児童福祉週間」も始まった。・・・親権とは、子どもを育てるために親の持つ権利と義務の総称で、民法に規定されている。権利であるとともに義務を伴う子育ての重要さを再認識したい。
「沖縄」食べて行くのがやっとの家もあれば、贅沢(ぜいたく)な家もある。なぜ世の中には、こんなことがあるのでしょう。それはお互いに助け合っていないからではなかろうか、と。 この問い掛けに答えるには助け合い、人と人がつながる社会を大人が築いていかなければならないと思うのです。
「琉球」 これら健康の問題は最優先だが、ほかにも課題は多い。例えば、経済事情で進学を断念する子どもがいる社会は、健全と言えるだろうか。日本の教育への財政支出は先進国中最低水準だ。汚名をそそぎ、子どもたちが当たり前の環境を生きられる社会にしよう。
子どもの権利条約は、その前文に、子どもの権利は大人の権利と同じように位置づけると同時に、特別な保護や援助の権利を持っていること、それらは二回の世界大戦という人類の悲惨な経験のなかで発展させられてきたことを踏まえて国際的に承認されたものだということを明記している。これが、現在の日本に根づいているか、どうか、それが最大の問題だ。
前文の抜粋
国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものである
国際連合加盟国の国民が、国際連合憲章において、基本的人権並びに人間の尊厳及び価値に関する信念を改めて確認し、かつ、一層大きな自由の中で社会的進歩及び生活水準の向上を促進することを決意し
国際連合が、世界人権宣言において、児童は特別な保護及び援助についての権利を享有することができることを宣明し
児童に対して特別な保護を与えることの必要性が、1924年の児童の権利に関するジュネーヴ宣言及び1959年11月20日に国際連合総会で採択された児童の権利に関する宣言において述べられており、また、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約(特に第23条及び第24条)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(特に第10条)並びに児童の福祉に関係する専門機関及び国際機関の規程及び関係文書において認められている
第一条には、「児童とは、18歳未満のすべての者」と規定し、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」と第三条に明記されている。「最善の利益」とは何か、日本で、どれだけ議論されているのだろうか。
さらには、第四条で「締約国(日本国政府)は、この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置を講ずる。締約国は、経済的、社会的及び文化的権利に関しては、自国における利用可能な手段の最大限の範囲内で、また、必要な場合には国際協力の枠内で、これらの措置を講ずる」と義務付けられていることを、どれだけの国民が議論しているのだろうか。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html
これらの考え方は、実は、戦後「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章(児童憲章)を定める」とし(1951年5月5日)、日本国憲法を具体化することと子どもの「幸福」を一体のものとして宣言した。そして子どもの日が制定された。だが、「押し付け憲法]論に立つ「産経」は、この部分を意図的に削除して「主張」を書いた。
以下、児童憲章が目標とした大人の責任、国家の責任を見てみよう。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれ
ない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
どうだろうか、いかに子どもがないがしろにされてきたか、一目瞭然だろう。だが、これらに書かれていることを、未来社会を担う子どもに具体的に保障することではじめて、こどもが未来社会を担っていくことができるということを、確認すべきだろう。
2.子どもを利用して政局を乗り切ろうとする見解が見られる。以下抜粋してみた。
「産経」 今日は「こどもの日」だ。子供を育てる過程で家族の絆が形成されていくことを再認識するような一日としたい。
「読売」 子どもたちのためにも、与野党の大人たちは改革の必要性を改めて認識し、協力し合って実現をめざすべきだ。 一体改革には、今の、そしてこれから生まれる子どもたちを、将来の重すぎる負担から救うという大きな目的がある。 重荷を減らすには消費税率を引き上げ、これを社会保障の財源とすることが不可欠だ。全世代で広く負担を分かち合うしかない。 政府・与党は、その点をもっと強く国民に説かねばならない。
「新潟」 政治は子供たちの将来を考えなければいけない。子ども手当は、政権交代した民主党マニフェストの柱だったはずだ。 与野党の国会論議は名称などをめぐって混乱し、結局「児童手当」に逆戻りした。 子供を社会全体で支えるという理念より、国会の駆け引きを優先した結果ではないのか。 野田佳彦首相はメーデーのあいさつで「子供たちの未来を確保し、国力と民力をよみがえらせる」と強調していた。 そのために消費税増税を何とか実現したいということなのだろうが、言葉だけでなく将来像をきちんと示してほしい。
「山陽」 今の子どもたちや、これから生まれてくる赤ちゃんの将来負担を想像しただけでも気が重くなる。医療や介護、年金など増え続ける社会保障費の給付と負担の見直しは避けられないだろう。 それは誰にも分かっているはずだが、抜本的な改革は進まない。野田政権は消費税増税を柱にした社会保障と税の一体改革を目指しているが、政治の対立で実現の見通しは不透明だ。
子どもの権利を具体的に保障しない政治が、ずっと行われてきた。それは沖縄と福島・東日本の被災地に象徴的に示された。「わたしたちの社会は子どもたちに当たり前の環境を提供できていない。それを実証する材料が昨今立て続けに浮上した。福島の学校の限界放射線量の基準しかり、県内の小中学校の騒音しかりだ」(琉球)の叫びに示されている。
今日本国民に問われているのは、これらの事実を他人事と見ない、自分の事として捉え、憲法を生かした行動を取ることだろう。
「すべての児童にたいする公共の無料教育」(共産党宣言)が要求されたのは、1848年。日本はどんな時代だったか。
「14歳未満の児童労働の禁止」(エルフルト綱領)で要求されたのは1891年。日本はどういう時代だったか。
この要求は、今日ではあたり前の要求だ。これらはどんな人々によって議論され、どんな人々によって実現してきたか、さらには、こうした権利がどのようにして実現されていったか、今日憲法97条に「基本的人権の本質」として明記されている。
以上のようなことを社説を読みながら考えてみた。今日はこれにて
血みどろの闘ひありてつくられし自由人権憲法にあり
<全国紙>
産経 こどもの日 家族に包まれ元気に育て
読売 こどもの日 次世代の「重荷」を減らしたい
東京 こどもの日に考える 未来を築く人たちへ
<地方紙>
北海道 ネット被害 対話通じ子供守りたい
河北新報 こどもの日/少しずつ痛みを乗り越えて
秋田さきがけ こどもの日 子育て環境の充実図れ
岩手日報 こどもの日 大人の社会を見直そう
信濃毎日 福島と信州 次世代を育てる交流に
新潟日報 こどもの日 世代超え笑顔のリレーを
北國新聞 こどもの日に ものづくり現場を見せたい
京都新聞 こどもの日 「社会で育てる」実現したい
神戸新聞 子どもたちへ/「挑戦」の姿勢を失わずに
山陽新聞 こどもの日 どんな未来を渡すのか
中国新聞 子どもシェルター 自立を支える「巣作り」
高知新聞 【こどもの日】家族で防災を語ろう
西日本新聞 こどもの日 地域で伸び伸び育てよう
南日本新聞 [こどもの日] 子育ての重さ考えたい
沖縄タイムス [こどもの日に]つながる社会築きたい
琉球新報 こどもの日 当たり前の環境整えよう
1.子どもを権利の主体者として捉えているかどうか、人類の知見の到達点を子供に提供しているかどうか、そうした視点で社説が書かれているかどうか、それらが具体的に明記されている部分について、抜粋してみる。
「産経」 昭和26年5月5日に制定された児童憲章は「児童は、よい環境のなかで育てられる」べきだとしている。
「読売」 一方で、必要な財源の多くを負担する中堅・若年層は減少していく。今の子どもたちも、苦しい支え手の世代に、やがて加わることになる。
「東京」 発ゼロ。特別なこどもの日。日本中どこの空にもこいのぼりが泳げるよう、大人たちが考え、話し合い、子どもたちより一足早く、行動を始める日。こどもの日。大人には“風送り”の日。
「北海道」 純真な心を傷つけられる子供をこれ以上出さないために、保護者には行動の異変を見逃さない目もあらためて求めたい。
「秋田さきがけ」 「こどもの日」は子どもの人格を重んじ、その幸福を図る日である。
「岩手」 「こどもの日」。国民の祝日に関する法律第2条は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日としている。1959年に国連総会が「児童の権利に関する宣言」を採択した11月20日を記念日とする国も少なくない。30年後の89年、国連は「児童の権利に関する条約」を採択、日本は94年に批准した。 同条約は子どもが自分に関係ある全てのことについて「自由に自己の意見を表明する権利」の確保をうたう。
「信濃毎日」 これからの「脱原発」社会を築くのは、次代を担う子どもや若者たちである。次世代を育てていく視点から、福島、長野両県の交流が息長く続く―。原発事故から2年目のことしは、そんな節目になってほしいと思う。
「新潟」 子供たちは次代の担い手であり、社会の大切な宝である。
「京都」 子どもを大切にする社会は、障害者や高齢者を含め、すべての人が大切され、個人の希望や夢、個性が尊重される社会へとつながっている。その先に、出生率の回復も見えてくるはずだ。
「神戸」 子どもが未来に想像をめぐらし、大人は自分が子どもだったころを思い出しながら、もう一度、子どものことを考える。そのためにも「君たちはどう生きるか」を一緒に読んでみてはどうでしょう。
「山陽」 子どもたちにどんな未来を残すかの重要な分岐点ともいえる。政府は早急に議論を深め、方針を示す必要がある。私たちも政治家任せではなく、さまざまな角度から社会や制度の在り方を見つめ直したい。子どもたちの明るい笑顔をその力にして。
「中国」あすは「こどもの日」。傷つき、苦しむ子どものサインを決して見逃してはならない。教育現場や地域も一体となって、孤立を防ぎたい。「信頼できる」と思える大人のまなざしこそ、巣立ちへの原動力になる。
「高知」 きょう5日は「こどもの日」。健やかな成長を願う一日です。
「西日本」 どうすれば子どもが健やかに成長できるのか、大人は知恵を絞りましょう。今日は「こどもの日」です。地域で開かれるイベントに参加し、友だちと遊んでみませんか。いろいろなことを体験する「学びの場」ともなるはずです。
「南日本」きょうは「こどもの日」だ。子どもの人格を重んじ、幸福をはかる日である。これに合わせて「児童福祉週間」も始まった。・・・親権とは、子どもを育てるために親の持つ権利と義務の総称で、民法に規定されている。権利であるとともに義務を伴う子育ての重要さを再認識したい。
「沖縄」食べて行くのがやっとの家もあれば、贅沢(ぜいたく)な家もある。なぜ世の中には、こんなことがあるのでしょう。それはお互いに助け合っていないからではなかろうか、と。 この問い掛けに答えるには助け合い、人と人がつながる社会を大人が築いていかなければならないと思うのです。
「琉球」 これら健康の問題は最優先だが、ほかにも課題は多い。例えば、経済事情で進学を断念する子どもがいる社会は、健全と言えるだろうか。日本の教育への財政支出は先進国中最低水準だ。汚名をそそぎ、子どもたちが当たり前の環境を生きられる社会にしよう。
子どもの権利条約は、その前文に、子どもの権利は大人の権利と同じように位置づけると同時に、特別な保護や援助の権利を持っていること、それらは二回の世界大戦という人類の悲惨な経験のなかで発展させられてきたことを踏まえて国際的に承認されたものだということを明記している。これが、現在の日本に根づいているか、どうか、それが最大の問題だ。
前文の抜粋
国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものである
国際連合加盟国の国民が、国際連合憲章において、基本的人権並びに人間の尊厳及び価値に関する信念を改めて確認し、かつ、一層大きな自由の中で社会的進歩及び生活水準の向上を促進することを決意し
国際連合が、世界人権宣言において、児童は特別な保護及び援助についての権利を享有することができることを宣明し
児童に対して特別な保護を与えることの必要性が、1924年の児童の権利に関するジュネーヴ宣言及び1959年11月20日に国際連合総会で採択された児童の権利に関する宣言において述べられており、また、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約(特に第23条及び第24条)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(特に第10条)並びに児童の福祉に関係する専門機関及び国際機関の規程及び関係文書において認められている
第一条には、「児童とは、18歳未満のすべての者」と規定し、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」と第三条に明記されている。「最善の利益」とは何か、日本で、どれだけ議論されているのだろうか。
さらには、第四条で「締約国(日本国政府)は、この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置を講ずる。締約国は、経済的、社会的及び文化的権利に関しては、自国における利用可能な手段の最大限の範囲内で、また、必要な場合には国際協力の枠内で、これらの措置を講ずる」と義務付けられていることを、どれだけの国民が議論しているのだろうか。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html
これらの考え方は、実は、戦後「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章(児童憲章)を定める」とし(1951年5月5日)、日本国憲法を具体化することと子どもの「幸福」を一体のものとして宣言した。そして子どもの日が制定された。だが、「押し付け憲法]論に立つ「産経」は、この部分を意図的に削除して「主張」を書いた。
以下、児童憲章が目標とした大人の責任、国家の責任を見てみよう。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれ
ない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
どうだろうか、いかに子どもがないがしろにされてきたか、一目瞭然だろう。だが、これらに書かれていることを、未来社会を担う子どもに具体的に保障することではじめて、こどもが未来社会を担っていくことができるということを、確認すべきだろう。
2.子どもを利用して政局を乗り切ろうとする見解が見られる。以下抜粋してみた。
「産経」 今日は「こどもの日」だ。子供を育てる過程で家族の絆が形成されていくことを再認識するような一日としたい。
「読売」 子どもたちのためにも、与野党の大人たちは改革の必要性を改めて認識し、協力し合って実現をめざすべきだ。 一体改革には、今の、そしてこれから生まれる子どもたちを、将来の重すぎる負担から救うという大きな目的がある。 重荷を減らすには消費税率を引き上げ、これを社会保障の財源とすることが不可欠だ。全世代で広く負担を分かち合うしかない。 政府・与党は、その点をもっと強く国民に説かねばならない。
「新潟」 政治は子供たちの将来を考えなければいけない。子ども手当は、政権交代した民主党マニフェストの柱だったはずだ。 与野党の国会論議は名称などをめぐって混乱し、結局「児童手当」に逆戻りした。 子供を社会全体で支えるという理念より、国会の駆け引きを優先した結果ではないのか。 野田佳彦首相はメーデーのあいさつで「子供たちの未来を確保し、国力と民力をよみがえらせる」と強調していた。 そのために消費税増税を何とか実現したいということなのだろうが、言葉だけでなく将来像をきちんと示してほしい。
「山陽」 今の子どもたちや、これから生まれてくる赤ちゃんの将来負担を想像しただけでも気が重くなる。医療や介護、年金など増え続ける社会保障費の給付と負担の見直しは避けられないだろう。 それは誰にも分かっているはずだが、抜本的な改革は進まない。野田政権は消費税増税を柱にした社会保障と税の一体改革を目指しているが、政治の対立で実現の見通しは不透明だ。
子どもの権利を具体的に保障しない政治が、ずっと行われてきた。それは沖縄と福島・東日本の被災地に象徴的に示された。「わたしたちの社会は子どもたちに当たり前の環境を提供できていない。それを実証する材料が昨今立て続けに浮上した。福島の学校の限界放射線量の基準しかり、県内の小中学校の騒音しかりだ」(琉球)の叫びに示されている。
今日本国民に問われているのは、これらの事実を他人事と見ない、自分の事として捉え、憲法を生かした行動を取ることだろう。
「すべての児童にたいする公共の無料教育」(共産党宣言)が要求されたのは、1848年。日本はどんな時代だったか。
「14歳未満の児童労働の禁止」(エルフルト綱領)で要求されたのは1891年。日本はどういう時代だったか。
この要求は、今日ではあたり前の要求だ。これらはどんな人々によって議論され、どんな人々によって実現してきたか、さらには、こうした権利がどのようにして実現されていったか、今日憲法97条に「基本的人権の本質」として明記されている。
以上のようなことを社説を読みながら考えてみた。今日はこれにて
血みどろの闘ひありてつくられし自由人権憲法にあり