愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

沖縄復帰40年に思う。卒業式に君が代と一緒に斉唱した小学校唱歌「蛍の光」は今も生きている!

2012-05-16 | 沖縄

蛍の光
ほたるのひかり、まどのゆき、
ふみよむつきひ、かさねつゝ、
いつしかとしも、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。
(2・3番は略)
ちしまのおくも、おきなはも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、
つとめよわがせ、つゝがなく。

沖縄復帰の昨日、多忙にて更新ができませんでした。書こうとしたことは、1881年(明治14年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた「蛍の光」は、今も尚、生きていることを考えてみようということだった。

沖縄に基地があることの意味は、131年前に小学生に刷り込まれていたのだった。では今はどうか。沖縄の基地と「本土」の存在する基地の弊害が日本国憲法と対比して学校で教えられているだろうか?

沖縄に基地があるのは不公平だ。何故「本土」に移設しないのか。「本土」の国民が、沖縄の基地について、無関心なのは何故か。何故「自分のことして」捉えられないのだろうか。沖縄県民の苦渋が伝わってくる。

沖縄の少女暴行事件の時は、それなりに本土も「痛み」を感じたが、それ以後はどうだろうか?

ところで「本土復帰後、沖縄に投下された国の振興予算は約10兆円に上る」という。40年で国民一人につき10万円だ。勿論沖縄県民を含めてだ。この税金が沖縄の負担軽減の一つだったということになる。果たしてそうだろうか?

これが沖縄県民にとって高いか安いか、または「本土」の国民にとって高いか低いかだ。「本土」の国民にとっては「差別」の「免罪符」というべきものだろうか?

また復帰後米軍に支払った税金がどれくらいか、調べてみる必要がある。これが高いか、低いか、検証してみる必要がある。

沖縄「差別」の要因は政府にあることは当然にしても、その政府を選択しているのは国民だ。その「国民の差別」意識をどうすれば変えていけるか、それが最大の課題のような気がする。

そこで考えてみた。沖縄から全国の米軍基地のある自治体と国民に米軍基地の弊害、実利を含めて米軍基地は住民の実利を含めて幸福をもたらしているのかどうかについて、どのように訴えていけるか、それができれば、基地撤去は可能になるのではないか?

このことは日米安保条約を廃棄する課題と密接に結びついている。しかし、沖縄から、この課題について、現在のところないのが実情だ。

以上時間不足にて、今日のところはオワリとする。

ウチナーを防人とせしヤマトンチュー阿波根の風日の本にこそ

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