愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

まともな「東京」でさえ日米安保の土俵のなかに立つ!情緒だけでは解決の展望は闇のなかのまま!

2012-05-28 | 日記
沖縄復帰40年記念社説をみてきた。「沖縄タイムス」「琉球新報」については、6月23日の社説と絡めてみてみたい。最後に大変まともな(国民の立場で)視点で政治を分析している「東京」(共同)の社説をみてみよう。

1.最大の問題点は、以下の視点だ!国民が求めているのは紛争の軍事的手段による解決だろうか?

日米安全保障体制が日本の安全に不可欠であり、沖縄が日本の不可分な一部であるというのなら、基地提供という安保条約上の義務は沖縄県民により多く押し付けるのではなく、日本国民ができ得る限り等しく負うべきだろう。(引用ここまで)

(1)「であるというのなら」の主語は「国民」だ。だが、本当に国民は、「日米安全保障体制が日本の安全に不可欠であり、沖縄が日本の不可分な一部である」と判断しているのだろうか。確かに各種の世論調査では「日米安全保障体制」は「日本の安全に不可欠」との「世論」が形成されていることは事実だ。その「世論」がどのように形成されているか、以下の「世論」調査をみると、よく判る。

(2)NHK放送文化研究所「日米安保のいま~『安全保障に関する電話調査』から~」をみると、国民の意識は、全面的に日米安保体制を支持しているとは言えない。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/050.html

(3)「自衛隊・防衛問題に関する世論調査内閣府大臣官房政府広報室」(平成24年1月調査)をみると、設問の仕方とマスコミの報道のあり方の問題点が浮き彫りになる。「世論」がマスコミの報道の仕方でによって大きく左右されていることが判る。
http://www8.cao.go.jp/survey/h23/h23-bouei/2-6.html

そこで上記の「世論」について、「邪論」を述べておこう。

(4)「世論」は「事態」の変化によって為政者の思惑を超えて変わるということだ。まさに設問の仕方を含めて「操作」次第という側面と、「事実」の推移次第ということだ。
例をあげておこう。米国のイラク・アフガン戦争に対する世論の変化、「次の総理に誰が相応しいか」という世論によって誕生した総理大臣のその後などなど、

(5)したがって日米安保体制について、世論調査を見る際に必要なことは、マスコミはどのような情報を国民に提供してきたか、世論調査をする側はどのような設問をしているか、さらに「世論調査」の奥にある国民の要求は何か、それを見極めることが大切だろう。
例をあげておこう。中国・北朝鮮の「脅威」ばかりの報道が繰り返されればどんな反応になるか、それに対して非軍事的手段による外交を促す報道とその交渉が国民にもたらされれば、国民の中にどのような「世論」は形成されるか、さらにはテレビコマーシャルをみれば、よく判る。このような事例は枚挙に暇がない。

2.憲法と日米安保の矛盾をどれだけ報道してきたか、そのことが問われているのに、その責任を国民に転嫁するのは、問題だ。

人権無視の米軍統治に苦しんだ沖縄県民にとって日本復帰は憲法への復帰だったが、憲法よりも安保条約や地位協定が優先される復帰前のような現状では、沖縄が真の復帰を果たしたとは言えない。本土に住む私たちは、日本の一部に憲法の「空白」地帯が残ることを座視していいのだろうか。(引用ここまで)

(1)まず、これまでも述べてきたように「憲法よりも安保条約や地位協定が優先される復帰前の原状」という認識が国民をミスリードしている。

(2)日米安保条約第6条に基づく地位協定、その中に明記されている日米合同委員会の「決定」は、何も沖縄だけではない。つい最近も、「憲法よりも安保条約や地位協定が優先される」「日本の一部に憲法の『空白』地帯」が全国的に存在している事実があった。原子力空母ジョージワシントンの艦載機の飛行訓練が行われた。しかし、それについて、「本土に住む私たち」はどれだけの情報を手に入れただろうか。以下をみれば判る。

【神奈川】厚木基地訓練 知事、騒音実態を確認 司令官と面談し中止要請2012年5月24日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120524/CK2012052402000106.html

前夜に通知メール1通 米軍厚木離着陸訓練 終了時間も相違
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-05-25/2012052504_02_1.html
「赤旗」(24日)は、綾瀬市で午後8時に114.9デシベルを記録、苦情は約440件、大和市では午後7時に115.9デシベルを記録、285件の苦情が寄せられたと報道している。

厚木基地で離着陸訓練 米海軍、空母の出港遅れ2012.5.22 14:31
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120522/plc12052214320014-n1.htm

NLP:硫黄島できょうから実施 天候次第、厚木でも /神奈川 毎日新聞 2012年05月09日 地方版
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20120509ddlk14010309000c.html

【基地は今】 厚木基地 ウィーマン司令官 2012年04月28日
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000151205010003
米軍 厚木基地で空母艦載機の着陸訓練< 2012年5月22日 13:21 >
http://news24.jp/articles/2012/05/22/04206103.html

基地対策の活動(平成24年5月)
http://www.city.zama.kanagawa.jp/www/contents/1337211544795/index.html

3.日米安保体制の土俵を前提にして米軍基地の本土への移設では解決はできない。

沖縄の現状にも国民全体が関心を寄せ、沖縄に基地を置く根拠とされた「抑止力」が真実かどうか自ら考えるべきだろう。本土と沖縄が同胞として痛みを共有し、連帯して初めて、本当の復帰に向けた第一歩を記すことができる。(引用ここまで)

(1)「関心を寄せ」ること、「痛み」の「共有」「連帯」とは何か?どういうことか、語っていない。

(2)それらの中身が問題だ。「本当の復帰に向けた第一歩」とはどういう状態のことか?

(3)沖縄に「関心を寄せ」「痛み」を「共有」し「連帯」して米軍基地を本土に移設すれば、沖縄の苦しみは解決するのだろうか?大変曖昧な物言いだ。

(4)では本土の苦しみはどうなるのだろうか?日米安保体制というガン細胞が転移すれば痛みは軽くなるというのだろうか。

4.復帰時の確認事項、争点が曖昧、ボタンの駆け違いでは国民をミスリードする。

核抜きとは、沖縄に配備されていた核兵器の撤去、本土並みとは、日米安全保障条約と関連取り決めが沖縄にも変更なく適用されることを意味する。同時に、沖縄県土面積の12・6%を占める米軍基地を本土並みに縮小することでもあった。佐藤首相は「沖縄の基地は、当然日本の本土並みになるべきものだから順次撤去、縮小の方向にいくと思う」と国会答弁しており、県民の期待も高まっていた。(引用ここまで)

(1)「核抜き」とは沖縄から核兵器を撤去するだけではなく、国是であった非核三原則を日本国中で遵守するということだ。この視点が欠落している。

(2)「本土並み」とは日本国憲法を日米安保条約の上位におくことを意味し、施政権返還=日本国憲法下の沖縄も同様になるということだった。具体的には、やりたい放題だったベトナム戦争への出撃が復帰によって極東の範囲を逸脱することになるためい沖縄からベトナムへの出撃が不可能になるということを意味していた。

(3)だが、これらはすべてウソだった。沖縄密約・核密約の存在が、憲法や国是としての非核三原則すら無視していたのだ。

(4)これらの事実は、日米安保条約の存在そのものを否定することを意味しているのであった。日米安保条約の前文と一条に違反しているにもかかわらず、マスコミはそのことの意味を国民に問いかける責任を放棄した。そうして今日にいたってもそのような視点は皆無である。

5.国民を分断し対立させる「不平等」論では展望は切り開けない。

琉球新報と毎日新聞との調査では、沖縄に在日米軍基地の七割以上が集中する現状を「不平等」だと思う沖縄県民は69%に達するのに対し、国民全体では33%にとどまる。また、沖縄の米軍基地を自分の住む地域に移設することの賛否は反対67%、賛成24%だった。ここから透けて見えるのは、自分の住む地域に米軍基地があると困るが沖縄にあるのは別に構わないという身勝手な意識、沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない集団的無関心だ。(引用ここまで)

(1)これまでも述べてきた「不平等」論の帰結は、「身勝手な意識」「集団的無関心」という国民への「不信感」となる。これでは沖縄の苦しみも解決できないことは明らかだ。

(2)基地の弊害を強調すればするほど、自分の所に基地は要らないという感情がおこるのは当然だ。この感情をどのようにすべての基地をなくすという方向に発展させていく、このことが最も大切だが、そうはしない。
このことは、生活が苦しくなればなるほど公務員バッシング・議員削減意識・橋下「維新の会」ブーム、以前は小泉構造改革ブームなど事例を挙げればきりがない。これらによって首を絞められるのは国民であるという事実が教訓だ。

(3)「政局」「世論調査」は、国民の「無関心」を醸成する最良の装置だ。国民を「傍観者」の位置に立たせているのは、他ならぬマスコミだ。

(4)だが、国民を対立させていたら、真の解決への道が閉ざされるのは当然だ。現在は生活保護受給問題で国民を対立させ、憲法25条の理念、国家への規制を緩和させ、生活保護制度を破壊させようとしていることと似ている。米軍基地の弊害と利益という分断に晒され県民同士が分断されてきた沖縄が教訓ではないのか!

6.沖縄も本土も憲法を生かすためには、日米安保条約を廃棄するしかないことを何故語らないのか。

◆人権ないがしろに 沖縄の米軍基地はなぜ減らないのか。米軍が「アジア・太平洋の要石」と位置付ける沖縄の地理的な優位性、中国の海洋進出や北朝鮮の軍事挑発に代表される戦略環境の変化など、理由付けしようと思えば、いくらでもできる。しかし、最も根源的な要因は、沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも、本土に住む日本国民にも欠けていたことではなかろうか。平穏な生活を脅かす日々の騒音や頻発する米兵の事件・事故、日本で起きた米兵の犯罪を日本の司法が裁けない日米地位協定…。圧倒的に多くの米軍基地が残る沖縄では依然、日本国憲法で保障された基本的人権がないがしろにされる状況に支配されている。(引用ここまで)

(1)「沖縄の米軍基地はなぜ減らないのか」はハッキリしている。「沖縄の」ではなく、「日本の」米軍基地を温存している日米安保条約を廃棄しないからだ。憲法遵守の義務を果たさせていないからだ。

(2)マスコミも、そのことを語らない「理由付けしようと思えば、いくらでもできる」ということを自覚すべきだ。「姿勢」は「日本政府」も、「本土に住む日本国民」というよりもむしろ「マスコミ」だ。旧ソ連東欧社会が崩壊するきっかけになったのは何か、マスコミは肝に銘ずるべきだろう。

(3)日米安保体制というガン細胞の拡散・転移というのでは、根本的治療にはならない。常識中の常識ではないのか!そのことを踏まえた報道に徹すべきだ。それこそが憲法的報道、ジャーナリズムといえるのだ。

真実を煙にまきてウソとなる眼光磨く民の目確か


沖縄施政権返還40周年 いまだ「復帰」なし得ず 東京 2012年5月15日
 一九七二年五月十五日、戦後、米軍による統治が続いていた沖縄の施政権は日本に返還された。以来四十年。沖縄は本当に日本に復帰したと言えるのか。
 復帰当日の午前十時半、東京・九段の日本武道館と那覇市民会館とをテレビ中継で結び、政府主催の沖縄復帰記念式典が始まった。
 沖縄返還を主導した式典委員長の佐藤栄作首相は声を詰まらせながら、こうあいさつする。
 「沖縄は本日、祖国に復帰した。戦争で失われた領土を外交交渉により回復したことは史上極めてまれであり、これを可能にした日米友好の絆の強さを痛感する」
◆「本土並み」程遠く
 自らの外交成果を誇る佐藤首相に対し、那覇会場に出席していた屋良朝苗沖縄県知事のあいさつからは、復帰をめぐる県民のやり切れない思いが伝わる。
 「復帰の内容は必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとは言えない。米軍基地をはじめ、いろいろな問題を持ち込んで復帰した。これからも厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない」
 沖縄返還の基本方針は「核抜き本土並み」だ。核抜きとは、沖縄に配備されていた核兵器の撤去、本土並みとは、日米安全保障条約と関連取り決めが沖縄にも変更なく適用されることを意味する。同時に、沖縄県土面積の12・6%を占める米軍基地を本土並みに縮小することでもあった。
 佐藤首相は「沖縄の基地は、当然日本の本土並みになるべきものだから順次撤去、縮小の方向にいくと思う」と国会答弁しており、県民の期待も高まっていた。
 しかし、沖縄の米軍基地の現状はどうか。県土面積に占める割合は10・2%と依然高く、在日米軍基地の約74%は沖縄に集中する。四十年を経ても「本土並み」は達成されていない。屋良知事の懸念は残念ながら的中したのである。
◆人権ないがしろに
 沖縄の米軍基地はなぜ減らないのか。米軍が「アジア・太平洋の要石」と位置付ける沖縄の地理的な優位性、中国の海洋進出や北朝鮮の軍事挑発に代表される戦略環境の変化など、理由付けしようと思えば、いくらでもできる。
 しかし、最も根源的な要因は、沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも、本土に住む日本国民にも欠けていたことではなかろうか。
 そのことは復帰四十周年を機に沖縄の県紙と全国紙が合同で行った世論調査で明らかになった。
 琉球新報と毎日新聞との調査では、沖縄に在日米軍基地の七割以上が集中する現状を「不平等」だと思う沖縄県民は69%に達するのに対し、国民全体では33%にとどまる。また、沖縄の米軍基地を自分の住む地域に移設することの賛否は反対67%、賛成24%だった。
 ここから透けて見えるのは、自分の住む地域に米軍基地があると困るが沖縄にあるのは別に構わないという身勝手な意識、沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない集団的無関心だ。
 沖縄の側からは、なぜ自分たちだけが過重な基地負担を引き受けなければならないのか、それは本土による沖縄に対する構造的差別だと、痛烈に告発されている。
 日米安全保障体制が日本の安全に不可欠であり、沖縄が日本の不可分な一部であるというのなら、基地提供という安保条約上の義務は沖縄県民により多く押し付けるのではなく、日本国民ができ得る限り等しく負うべきだろう。
 平穏な生活を脅かす日々の騒音や頻発する米兵の事件・事故、日本で起きた米兵の犯罪を日本の司法が裁けない日米地位協定…。圧倒的に多くの米軍基地が残る沖縄では依然、日本国憲法で保障された基本的人権がないがしろにされる状況に支配されている。
 人権無視の米軍統治に苦しんだ沖縄県民にとって日本復帰は憲法への復帰だったが、憲法よりも安保条約や地位協定が優先される復帰前のような現状では、沖縄が真の復帰を果たしたとは言えない。
 本土に住む私たちは、日本の一部に憲法の「空白」地帯が残ることを座視していいのだろうか。
 人権意識の高さを売りとする米政府が、沖縄の人権には無関心なことも、不思議でならない。
◆同胞として連帯を
 福島第一原発事故は、福島の人たちに犠牲を強いてきたと日本国民を覚醒させた。政府や企業が発する情報をうのみにせず、自らの頭で考え、判断する行動様式が根付きつつある結果、政府や電力資本のうそが次々と暴かれた。
 沖縄の現状にも国民全体が関心を寄せ、沖縄に基地を置く根拠とされた「抑止力」が真実かどうか自ら考えるべきだろう。本土と沖縄が同胞として痛みを共有し、連帯して初めて、本当の復帰に向けた第一歩を記すことができる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012051502000109.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする