愛国者の邪論

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安保推進の責任の棚上げ、日米安保(ガン)の曖昧、破綻した抑止力論=軍事優先を煽る読産経の本質を見る

2012-05-27 | 日記
沖縄・国民を苦しめてきた総本山のマスコミ、読売・産経・日経に登場してもらうことにしよう。まずその特徴についてだ。

沖縄に同情を寄せているふりをしながら、「抑止力」論を根拠にした基地の弊害の根本的要因である米軍基地、それを承認している日米同盟深化論=軍事的強化=税金のムダ遣い、これらを正当化し推進する「社論」の実態を暴いてみたい。

1.自ら煽りすすめてきた沖縄の軍事的実態に対する責任を免罪している。

 日本全体の米軍施設用地の74%が集中する過重な負担が続く中、政府はいかに経済振興と安全保障を両立させるかが問われる。(読売)

沖縄は先の大戦で多大な犠牲を強いられ、今も在日米軍基地専用施設の74%が集中する。歴史的にも戦略的にも特異なその境遇に思いをはせつつ日本の平和と安全を見詰め直す機会としたい。大戦時の沖縄戦の戦没者は18万8千人で、うち12万人以上が県民の犠牲者だ。戦後も長く米施政権下に置かれた。こうした歴史をもっと国民で共有すべきだろう。同時に、沖縄県民も悲しい過去を超えて未来にも目を向けてほしい。(産経)

もちろん40年前に掲げた「本土並み」という目標にはまだ遠い。(日経)

社説のポイントは以下のとおりだ。

(1)「過重な負担が続く中」というが、この負担は自然現象ではない。天皇の進言と自民党政権の押し付けが最大の要因であった。まさにウソとペテン、スリカエの権化というものだ。

(2)誰が「先の大戦で多大な犠牲を強い」たのか、「大東亜戦争礼賛者」である産経の責任は大きい。沖縄を国体護持の「捨て石」として位置づけ「多大な犠牲」を強要してきたこと、戦後の米ソ対立、ソ連に対する「抑止力」としての沖縄を見越した米軍戦略によってつくりだされた「多大な犠牲」であることを反省していない。しかも「戦後も長く米施政権下に置かれた」と、全く他人事だ。誰が何のため沖縄を「米施政権に置」いたのか、それを称賛し推進してきたのは「産経」自身ではなかったのか。しかも「悲しい過去を超えて未来にも目を向けてほしい」など、天皇の戦争責任やアメリカの無差別殺人を免罪しているのだ。恐るべき、かつ恥ずべき「主張」だ。

(3)「40年前に掲げた『本土並み』という目標にはまだ遠い」のは何故か。誰が「本土並み」という「目標」をないがしろにしたのか、全く不問だ。「米軍基地を負担することへの見返り」として「これまでに投入した10兆円超の振興予算」は「成果とはとても言い難い」のは「自立」していない、「主体的な努力」をしていない沖縄の責任か。さらには「広い意味での基地依存はむしろ深まっている」責任は何か、いっさい語っていない。

(4)日米安保条約というガンを根本的に取り除く治療を施さず、頓珍漢治療でガンを進行させてしまうマスコミは「ヤブ」と言われても仕方がない。

2.沖縄の発展の最大の障害が米軍基地であることを曖昧にして、沖縄の「自助」を押し付けて、自らの責任を曖昧にしている。

政府は先週、今後10年間の第5次沖縄振興計画の基本方針を決定した。那覇空港の第2滑走路整備による国際物流拠点化が柱で、沖縄の自立的な経済発展を目指す内容だ。この方針に基づき、沖縄県がきょう振興計画を決定する。計画の策定主体を政府から沖縄県に変更したのは、妥当である。アジアに近接する地理的特性や国際性を生かした計画を着実に実行に移してもらいたい。過去の振興計画は「本土との格差是正」を掲げてきたが、県民1人当たりの所得は全国平均の7割前後にとどまる。製造業が育たず、県内総生産に占める割合は40年前の11%から4%に低下した。基地、公共事業、観光に頼る「3K経済」の構造が続き、政府予算への依存度も高い。民主党政権は、米軍普天間飛行場移設問題を迷走させた負い目もあり、今年度の沖縄振興予算を2937億円へ大幅に増やした。これを有効に使うためには、沖縄県と各市町村が、中長期的展望に立った振興策を企画し、自助努力を続けることが大切だ。自由度の高い一括交付金を活用し、社会資本や箱物の整備などハード中心だった予算の使途を、環境、福祉などソフト重視に見直すことも求められよう。(読売)

復帰当時96万人だった人口は140万人となり、本土で活躍するスポーツ選手、芸能人など人的・文化的交流も深まった。半面、本土との経済格差は小さくない。(産経)

1人あたり県民所得はようやく高知県や宮崎県に追いつくところまで来たが、これまでに投入した10兆円超の振興予算に見合った成果とはとても言い難い。建設業が主力のいびつな経済構造はなかなか改善されない。本土ではもはや考えられない公共事業の大盤振る舞いが続くのはなぜか。国は表向きは関連を否定するが、米軍基地を負担することへの見返りなのは明らかだ。米軍がじかにかかわる「基地経済」は40年間で半減した。しかし広い意味での基地依存はむしろ深まっているとみることもできる。どうすれば沖縄経済は自立できるのか。政府は使途を県が判断する一括交付金を創設した。次期振興計画の主体も国から県に移す。計画には国際物流拠点の整備や企業のデータセンターの誘致などの構想が並ぶ。政府には今度こそ本腰で取り組んでほしい。沖縄側にも国任せにしない主体的な努力が求められる。(日経)

社説のポイントは以下のとおりだ。

(1)「過去の振興計画は「本土との格差是正」を掲げてきた」というが、それは違う。「沖縄からのメッセージ」(96年)によれば、「グランドデザインである国債都市形成構想を策定し、平和交流・技術交流・経済文化交流を通じ、これらの地域(中国・日本・朝鮮・東南アジア・マラッカ海峡)との交流をよりいっそう進め、本県を振興していきたい」と大田知事時代に提起している。「基地、公共事業、観光に頼る「3K経済」の構造が続き、政府予算への依存度も高い」というが、その最大の要因は米軍基地である。「那覇空港の第2滑走路整備による国際物流拠点化」についても、「民間機と自衛隊機との『軍民共用』」を指摘する声(沖縄タイムス社説/2012/5/12)もある。そもそも那覇空港の整備が遅れた最大の要因は[嘉手納ラプコン]の返還を2010年まで怠ってきたことだ。そのことを語らず、基地の弊害を温存したまま「自助努力を続けることが大切だ」というのは、あまりに無責任だ。

(2)「半面、本土との経済格差は小さくない」と、やはり他人事で、その原因についても、「抑止力強化」を煽ってきた「産経」の責任についても、いっさい語っていない。

(3)「基地、公共事業、観光に頼る『3K経済』の構造」=「建設業が主力のいびつな経済構造」をつくらせてきたのは誰か、不問・免罪している。基地を放置したまま「沖縄側にも国任せにしない主体的な努力が求められる」などというのは、もってのほかである。「これまでに投入した10兆円超の振興予算に見合った成果とはとても言い難い」ということは税金のムダであったということになるが、この責任についても不問・免罪だ。「抑止力」としての米軍基地に対する「見返り」としての「振興予算」が税金のムダであること、かかった費用は県民のためには使われず、一部の「建設業」者にまわっていること、これをさらに追及していく必要がある。税金のムダ遣いの権化である弊害のある基地温存論にもとづいて「どうすれば沖縄経済は自立できるのか」「沖縄側にも国任せにしない主体的な努力が求められる」など、他人事であり、無責任というほかはない。

3.ソ連・中国・北朝鮮「脅威」論=「抑止力」論を根拠に基地温存・合理化論と復興論は破綻しているが、基地との並存によってこそ振興できるとゴマカシ、強弁している。

 最近は、中国の軍艦や政府船による尖閣諸島周辺などでの活動が恒常化している。中国海空軍の急速な増強と近代化を踏まえれば、今後、沖縄の安全保障面の地政学的重要性は一層大きくなる。政府は、この現実を直視し、自衛隊と米軍の防衛協力を基盤とする日米同盟の抑止力と実効性を堅持しなければならない。同時に、在沖縄海兵隊の海外移転に伴う米軍施設の返還や日米地位協定の運用改善など、地元負担の軽減に全力を挙げる必要がある。普天間飛行場の辺野古移設にも粘り強く取り組むべきだ。重要なのは、米軍施設跡地の有効利用を図ることだ。政府は、キャンプ瑞慶覧の住宅地区に最先端のがん治療施設を整備することを検討している。こうした事業を通じて、在日米軍再編への地元の理解を地道に広げることが欠かせない。(読売)

とりわけ国民全体で考えたいことは、この間に日本の安全保障環境が激変したことだ。1972年の復帰当時はベトナム戦争末期に至り、冷戦下の日米にとって最大の脅威は北方のソ連だった。40年後の今、アジア太平洋の脅威の焦点は、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の強引な海洋進出に変わった。必然的に尖閣諸島を含む沖縄の戦略的重要性も、ますます増大しているのが現実だ。加えて米国は巨額の国防費削減を迫られ、日本には「米国頼み」を脱して自らの安全確保と日米同盟への一層の貢献が求められていることを忘れてはなるまい。・・・ルース駐日米大使も「沖縄は日米同盟の礎だ」と評価した。沖縄の位置や役割を冷静にとらえつつ、「安保も経済も」の両立を目指したい。日本の安全が守られてこそ沖縄の平和が維持される。普天間移設を含む米軍再編計画も基地負担削減と抑止力強化を目的とし、政府は地元振興を図ることが原点だったことを改めて想起することが必要だ。普天間の固定化を回避する道もそこにある。・・・野田佳彦首相は式典で、同盟強化、基地負担軽減、振興を通じて「日本の安全を確保する」と約束した。その言葉を着実かつ速やかに行動に移してもらいたい。沖縄は返還されたが、北方領土はロシアに、竹島は韓国に不法占拠されたままだ。これらが返らない限り、戦後は終わらない。そのことも銘記しておきたい。(産経)

中国の海洋進出などで尖閣をはじめ琉球列島の戦略的な価値は一段と高まりつつある。安易に米軍基地を減らせば沖縄県ひいては日本の安全保障を損ないかねない。日米同盟の安定には暗礁に乗り上げた普天間基地の移設問題の解決も重要だ。とはいえ在日米軍の施設の多くが沖縄に集中する現状を放置してよいわけではない。40年前の復帰記念式典。当時の屋良朝苗知事に笑顔はなかった。「復帰の内容を見ますと、私どもの切なる願望がいれられたとはいえない」と嘆いた。この苦渋の声に日本全体がもう一度耳を傾けるときだ。(日経)

社説のポイントは以下のとおりだ。

(1)「自衛隊と米軍の防衛協力を基盤とする日米同盟の抑止力と実効性を堅持しなければならない」から「普天間飛行場の辺野古移設にも粘り強く取り組むべき」となる。「重要なのは、米軍施設跡地の有効利用を図る」「最先端のがん治療施設を整備する」のであるならば、沖縄のすべての米軍基地の撤去を検討すべきだろう。こうした事業を通じてこそ、「地元の理解」が得られるだろう。だが、読売の社説はそのような立場には立たない。何故か!?

(2)「脅威」論=「抑止力」論に基づいてベトナム・インドシナ戦争やイラク・アフガン「戦争」を起こして多くの無辜の民衆を殺しきた「米国は巨額の国防費削減を迫られ」ていることは、抑止力論の破綻を示しているのだ。にもかかわらず、「日本の安全が守られてこそ沖縄の平和が維持される」と「日本の安全」と「沖縄の平和」を対立させ、「『米国頼み』を脱して自らの安全確保と日米同盟への一層の貢献が求められていることを忘れてはなるまい」と脅しとスリカエと「抑止力」論にもとづいて、「普天間移設を含む米軍再編計画」は「基地負担削減と抑止力強化を目的」としているので「沖縄の位置や役割を冷静にとらえつつ」「同盟強化、基地負担軽減、振興」を通じて「日本の安全を確保すること」を「着実かつ速やかに行動に移」せ、そのことは「普天間の固定化を回避する道」とスリカエと脅しているのだ。

(3)「日米同盟の安定」には「暗礁に乗り上げた普天間基地の移設問題の解決も重要」であり、「安易に米軍基地を減らせば沖縄県ひいては日本の安全保障を損ないかねない」と脅しているのだ。「在日米軍の施設の多くが沖縄に集中する現状を放置してよいわけではない」と言いながら屋良朝苗知事の「苦渋の声に日本全体がもう一度耳を傾けるとき」と、「在日米軍の施設の多くが沖縄に集中」させてきた日米同盟推進派の責任を曖昧にして、「抑止力」論にもとどく「日米同盟の安定」を理由に事実上、米軍基地の温存を正当化しているのだ。

4.民主党鳩山政権の「県外」移設を阻んだものは何か、その責任転嫁の奥にあるものは何か

民主党政権は、米軍普天間飛行場移設問題を迷走させた負い目もあり、(読売)

にもかかわらず、民主党政権下で迷走を重ね、国民の不信や亀裂を招いた責任は重大である。(産経)

社説のポイントは以下のとおりだ。

(1)鳩山政権の普天間県外移設は正当な主張だったが、日米同盟=日米安保条約の枠内で「解決」しようとしたことが、「迷走」「国民の不信」の最大の要因だった。

(2)日米同盟推進派と対等な日米同盟・東アジア共同体派の対立が「迷走」「国民の不信」の最大の要因だった。

(3)普天間基地は「県外移設」ではなく、「撤去」こそが最大の課題であること、そのためには基地設置の最大の根拠である日米安保条約を廃棄する課題と結び付けることが展望を切り開くことになることだが、「県内移設」か「県外移設」かに論点が矮小化されてしまったことが反省点と今後の課題だ。

(4)普天間基地問題と「本土」の基地問題を統一的に把握するのではなく、分離したことが「迷走」「国民の不信」「亀裂」の最大の要因だった。

(5)基地問題を生活の問題、税金のムダ遣いの問題、民主主義の問題、民族自決の問題として捉えることが大事だということだ。

5.日米同盟推進派の総本山の主張から判った「ものさし」について

(1)「脅威」論を展開して軍事強化を正当化する「抑止力」論の破綻は、米国の戦争の敗北・失敗とその連鎖としての財政危機からくる国防費削減に象徴的だ。

(2)沖縄に投じられた税金10兆円の振興費の「成果」に見るように「抑止力」論に基づく税金投与は最大のムダ遣いであることが判明した。そればかりか、投じられた税金の行方すら検証していないマスコミ・政府の実態が明らかになった。このことを検証することで、展望が切り開かれる。

(3)日米軍事同盟=日米安保条約の枠内の議論は、結果的に見れば、国民が分断され、推進派を利することになり、憲法で保障された生存権・生活権・幸福追求権すら具体化できないことが判った。

(4)憲法第9条に基づく非軍事的手段を行使して、すなわちあらゆる外交努力を展開する想像力を具体化していく知恵を発揮することこそが、憲法を生かすことになることが判った。憲法を護ることではないことも判った。護憲という言葉は極めて消極的だ。

(5)日米安保条約を廃棄し、日米平和友好条約こそ、非軍事による友好的な安全保障政策となる。これは税金を軍事費に使うのではなく、平和的な分野に有効、かつ効果的に使うことで世界とアジアと東アジアと日本の、唯一、かつ有効な「安全保障」政策となるであろう。軍事費を暮らしに、教育・福祉に使うことで国民の生活の向上を!

(6)ウソとペテンとスリカエのマスコミを、国民が正当に評価し、判断できるようにしなければならないだろう課題が鮮明になった。これは人権と民主主義、平和のためだ。


偽りの労わり見抜く論立ての平和の礎社説のなかに
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