「東京」新聞の社説「リセットできない日本」を読んだ。
内容は、愛国者の邪論風に言えば、「日本の政治が変わる」という「期待感」に「盛り上が」った「政権交代から三年」を振り返って、自民党化した民主党野田政権の諸実態をみるにつけ、政権交代劇が「幻想の政権交代」に終わろうとしていることに対するマスコミの「反省」がある。
そもそも今回のような政権交代はマスコミの扇動があったことは言うまでもない。では何故扇動をしたか。コマーシャルに依存するマスコミの経済的基盤によるところが大きい。ジャーナリズム精神以上にカネの力は大きいというのが日本のマスコミの実態だ。原子力ムラと同じ構造だ。
その経済的基盤に大きな影響を与えていたのは、旧経団連、日経連、経済同友会、日本商工会議所など、いわゆる財界である。その財界は戦後の枠組みであるポツダム宣言路線と日本国憲法路線を否定し、日米安保体制とその枠組みによって巨大な利益を独占していた。その利益は財界の政治的代理人である自民党政治によって保障されていた。
だが、80年代後半のリクルート・消費税・コメ輸入「自由化」問題などによって、自民党政治への国民の不信が頂点に達した時、その政治体制と利益を死守するために取られたことは、自民党脱党組みに新たな政党をつくらること、さらには日本新党ブームを演出することで、自民党政治によって保障されていた枠組み=安保体制への批判と変革が及ばないように扇動することだった。
そのことは、以下の事実をみれば判る。
それは「政治改革」の名の下に、小選挙区制と二大政党政治づくりへと受け継がれていった。金権腐敗の構造である企業団体献金や政治家の資金集めパーティーなどは政党交付金を掠め取った後も一向になくなっていない。このことをみると、マスコミが煽った「政治改革」がウソとペテンの国民騙しであったことが判る。
また95年の沖縄米軍兵士による少女暴行事件の際にも「地位協定の改定」、普天間基地の「移設」に矮小化させ、国民の目が米軍基地撤去・日米安保条約廃棄に向かわないように躍起となった。むしろ、イラクのクウェート侵攻や「テロ」などを利用して日米安保共同宣言によって日米安保条約の適用範囲を「極東」から「中東」、「世界」に拡大させた。その際のキィーワードは「国際貢献」だった。その頂点は9.11とその対応だった。
その後自民党橋本政治の復活と消費税増税と小渕・森政権に対して、その矛盾が拡大し、国民の批判が増幅して行った時、「自民党をぶっ潰す」「備えあれば憂いなし」「改革には痛みをともなう」として劇場型政治を演出した小泉構造改革をマスコミは応援・煽った。そうして自公政権を延命させたのだ。
だが、それでも、小泉後の三大の自公政権の腐敗と無策は、小沢氏によって自民党政権路線の変更を演出させ、民主党政権を誕生させた。そうして今回の「東京」の社説となった。
だが80年代後半以後の「危機」を日米安保擁護派に乗り越えさせてきた諸事実に対して、マスコミ自身が演出したことに対する反省の言葉は見られない。何故か、再度強調しておこう。日米安保体制という枠組みから抜け出せないマスコミの限界と存在がある。
このことは、今日付けの「朝日」の社説を見れば明瞭だ。以下ポイントをまとめてみると、
1.多くの国民、とりわけ沖縄県民が配備に反発するのは、事故が続いたオスプレイの安全性への不安だけが原因ではない。普天間の返還が一向に進まないこと…に対する日本政府への不信が…が解消されない限り、いくら「安全だ」と太鼓判を押されても、納得できるわけがない。
2.政府がオスプレイ配備を受け入れるしかないというなら、何よりも破綻した沖縄との信頼関係を立て直さねばならない。そのためには、まず、辺野古移設が困難であると率直に認めることである。日米両政府が普天間の新たな移設先を真剣に探り、将来の確実な返還への道筋を示す。それなくしては、どんなに安全を「確認」しようとも、不信と不安は消え去らない。
3.防衛白書が指摘しているように、沖縄が「戦略的要衝」にあるのは間違いない。
4.1995年の少女暴行事件で、日米両政府は住民の敵意に囲まれては同盟は円滑に機能しないことを思い知らされたはずだ。
以上の「朝日」の言い分を愛国者の邪論風に言えば、沖縄の「戦略的要衝」を「間違いない」とする日米同盟を「円滑に機能」させるためには「住民の敵意」に囲まれないようにすること、そのためには辺野古移設を困難と認めること、普天間の「新たな移設先を真剣に探」ることと「将来の確実な返還への道筋を示す」ことが大事だと述べている。
日米軍事同盟という枠組みを温存したままで国民の「安全」の確保、「不信と不安」の克服は可能か。国民の命と財産は守れるのか、だ。そのため対等の立場から普天間基地撤去・基地返還をアメリカに要求できるのか。
もう一つの側面をみてみよう。それは「リセットに失敗した」日本の事例として「東京」が指摘している「福島事故の反省はいったい、どこにあるのでしょうか」と、まるで他人事の言い分だ。今最も国民の立場から報道している「東京」にして、こうなのだ。何故他人事と言えるのか。
マスコミは、共産党の吉井議員の、東日本大震災前の追及について、さらには以下の記事に書かれている事実を、国民に報せてきたか、そのことが鋭く問われている。
マスコミは「原子力ムラ」に協力加担してきたのではないのか。
「原子力安全・保安院などの勉強会が大津波による原発の電源喪失などを想定しながら対策を怠り、福島原発事故を招いた」という事実の結果、世界に恥ずべきフクシマがあることを反省しているか。
確かに「東京」は、一定の「反省」と今後の「展望」を以下のように述べている。
1.いまマスコミ不信の声はあちこちで聞かれます。抗議行動はマスコミが「人々の声」を十分に伝えてこなかった裏返しでもあるでしょう。
2.私たち新聞はどう変わっていくか。そこをしっかりと考え、行動していきたい。
しかし、「どう変わっていくか」を「しっかり考え、行動」するというが、具体的には見えてこない。これでは抽象的だ。では戦後政治の枠組み=土俵の枠内で診るのか、それとも枠外=土俵の外から視るのか、そこを真剣に、「しっかり考え」ない限り、すなわち戦後の出発点であるポツダム宣言と日本国憲法の枠組みへの「リセット」して、そこからものを看ない限り、真の政権交代、原発の危機からの脱却・克服はできないだろう。
このことは1945年8月15日以前の歴史認識と以後の歴史認識に係わる問題だ。
何故こういうことを指摘するか。「朝日」の言うように沖縄の「戦略的要衝」論が平然と語られていることが最大の問題だからだ。この「沖縄戦略要衝」論は、ペリー来航時から沖縄戦に至るまで、アメリカの位置づけとしては一貫しているのだ。
同時に文部省唱歌「蛍の光」に見るように琉球処分以後の、そうして戦後の天皇発言に見るような沖縄の位置づけにも示されている。
「沖縄戦略要衝」論の歴史が沖縄県民と日本国民にどのような苦しみを与えてきたか、マスコミは検証すべきだろう。これを抜きに、真の独立も、平和な日本もあり得ないということだ。
沖縄を防人とせし天皇の政(まつり)に挑む闘ひ起こる
以下「東京」「朝日」の社説と「赤旗」を掲載しておこう。
【東京社説】週のはじめに考える リセットできない日本 2012年8月5日
政権交代から三年目の夏を迎えました。あれから日本はリセットできたでしょうか。原発再稼働や消費税問題をみると、何も変わっていないどころか…。
二〇〇九年八月の総選挙で長く続いた自民党政権から民主党政権に代わったとき、人々の間には「これで日本の政治が変わる」という期待感が盛り上がりました。
民主党が掲げた「脱官僚・政治主導」と「地域主権」の旗は、たしかに新鮮に輝いていた。
◆脱官僚に失敗した政権
ところが三年たって、期待感は見事なまでに裏切られたというほかありません。たとえば政治主導。国家戦略室を設けて担当大臣が官邸直結で国の大方針を詰めていくはずでした。
そのためには、まず官僚を動かす基盤となる根拠法を定める必要がありますが、いまに至るも法律がありません。国家戦略室は「内閣総理大臣決定」という紙切れ一枚が設置根拠なのです。
その結果、いまでも担当大臣がいて議論はしていますが、官僚からみれば「おしゃべり会議」同然です。役所の都合がいいように結論を誘導して閣議決定してしまえば、実際に予算を要求して政策を動かすのは相変わらず各省に委ねられています。
そもそも役所の方針と異なる政策が出てきません。最近の日本再生戦略が典型です。全部で百十九ページもありますが、具体的に記されたのは天下りの受け皿になる官民ファンドの強化や新設ばかり。残りはほぼ官僚の作文です。
地域主権はどうかといえば、国の出先機関改革一つとっても、目覚ましい進展がありません。たとえば雇用状況がこれだけ深刻なのに、国のハローワークを地方の実情に合わせて運用する特区は東西でわずか二カ所、埼玉県と佐賀県で始まっただけです。
◆原発事故の反省どこに
地方が自由に使える財源として一括交付金の導入も政権公約の一つでした。しかし、総額二十兆円といわれる各省庁のひもつき補助金のうち一括交付金化されたのは、一二年度予算で八千三百億円にとどまっています。
これも本をただせば、政権が既得権益を手放したくない官僚と本気で戦う姿勢がないからです。霞が関の本質とは何か。ひと言で言えば「中央集権・東京一極集中の維持」に尽きる。脱官僚・政治主導ができないから地域主権も進まないのです。
消費税引き上げをめぐる議論もあきれた展開です。野田佳彦政権は「社会保障と税の一体改革」と叫んでいたのに、自民、公明両党との三党合意を経て、いつのまにか増税の財源が公共事業に化けてしまいそうな雲行きです。
それは三党合意で「減災と事前防災」を大義名分にして公共事業に資金を重点配分する条項が盛り込まれたのがきっかけでした。
東日本大震災を経験したので一見、もっともらしいのですが、初めから「増税分は公共事業の財源に充てる」と掲げていたら、国民は納得したでしょうか。増税法案が衆院を通過したとたんに、北海道や北陸、九州・長崎の新幹線着工も決まりました。これでは、だまされたような気分です。
それに原発問題。関西電力大飯原発が再稼働された後、新たに設置される原子力規制委員会の顔ぶれが国会に提示されました。原子力安全・保安院が原発を推進する経済産業省の下に置かれていたことが安全規制が形骸化した理由です。
だから規制委は原発推進勢力である役所や業界、学会の「原子力ムラ」からの独立こそが重要なのに、提示された委員長や委員候補のうち二人は相変わらず原子力ムラの住人です。福島事故の反省はいったい、どこにあるのでしょうか。
こうしてみると、残念ながら「日本はリセットに失敗した」と言わざるをえません。原発再稼働に反対する抗議行動の底流には、変わることができない政治の現状に対する人々のいらだちが潜んでいるように思えます。
もう一つ。国会議事堂包囲デモがあった七月二十九日、日比谷公園でたまたま会った村井吉敬早稲田大学アジア研究機構研究員教授の言葉が耳に残っています。「三年前の政権交代でマスコミも変わるチャンスだったのに変われませんでしたね。なぜ変われないのか」
こう問われて「それは霞が関や永田町という取材源が変わらず、取材源との距離も取材方法も変わらないからです」と答えるのが精いっぱいでした。
◆「人々の声」を伝えねば
いまマスコミ不信の声はあちこちで聞かれます。抗議行動はマスコミが「人々の声」を十分に伝えてこなかった裏返しでもあるでしょう。私たち新聞はどう変わっていくか。そこをしっかりと考え、行動していきたい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012080502000103.html
「朝日社説」 オスプレイ―普天間移設の道筋示せ 2012年8月5日(日)付
日本に最大限の配慮はするが、10月の配備計画を変えるつもりは全くない。
米国防総省で森本防衛相と会ったパネッタ国防長官が示したのは、海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイを予定通り沖縄・普天間飛行場に配備するという強い意志だった。
オスプレイ12機が山口県の岩国基地に陸揚げされてから2週間。この間、米軍は「安全性が確認されるまでは飛ばさない」という約束は守っている。
もちろん、安全の確保は極めて重要だ。だが、多くの国民、とりわけ沖縄県民が配備に反発するのは、事故が続いたオスプレイの安全性への不安だけが原因ではない。
普天間の返還が一向に進まないこと、それに対する日本政府への不信が根っこにある。これが解消されない限り、いくら「安全だ」と太鼓判を押されても、納得できるわけがない。
沖縄では、知事も県議会も名護市長も普天間の県外・国外移設を求めている。名護市辺野古への移設がもはや無理なことは明らかだ。
それをわかっていながら、政府は辺野古案を降ろそうとはしない。その結果、沖縄が最もおそれる「普天間の固定化」を招いているとの批判は強い。
政府がオスプレイ配備を受け入れるしかないというなら、何よりも破綻(はたん)した沖縄との信頼関係を立て直さねばならない。
そのためには、まず、辺野古移設が困難であると率直に認めることである。
中国の急速な台頭を受け、米軍は「アジア回帰」の姿勢を強める一方、軍事費の大幅削減にも直面している。
防衛白書が指摘しているように、沖縄が「戦略的要衝」にあるのは間違いない。ただ、太平洋地域の米軍全体の抑止力の中で、海兵隊の沖縄駐留をどう位置づけるかについては、再検討の余地はあるはずだ。
現行機に比べ速度や航続距離が格段に向上するオスプレイが海兵隊に配備されるなら、沖縄駐留にこだわる必要はないと指摘する専門家もいる。
沖縄では配備反対の大規模な県民大会が計画されている。やはり県民総決起大会が開かれた1995年の少女暴行事件で、日米両政府は住民の敵意に囲まれては同盟は円滑に機能しないことを思い知らされたはずだ。
日米両政府が普天間の新たな移設先を真剣に探り、将来の確実な返還への道筋を示す。
それなくしては、どんなに安全を「確認」しようとも、不信と不安は消え去らない。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
「赤旗」 津波で電源喪失想定 06年時点保安院勉強会 吉井氏に保安院長認める2012年8月4日(土)
(写真)質問する吉井英勝議員=3日、衆院経産委
日本共産党の吉井英勝議員は3日の衆院経済産業委員会で、原子力安全・保安院などの勉強会が大津波による原発の電源喪失などを想定しながら対策を怠り、福島原発事故を招いたと追及しました。
保安院と原子力安全基盤機構(JNES)は2006年に「溢水(いっすい)勉強会」を設置。東電、東北電力なども参加して07年4月までに10回以上の勉強会を開催し、大津波の可能性や影響などを検討していました。吉井氏の質問に、保安院の深野弘行院長は、06年5月11日の勉強会で東電が福島第1原発5号機で15・9メートルの津波を受けると報告していたほか、女川原発2号機が15・8メートルの津波を受け、「常用・非常用海水ポンプは総て機能喪失」「電源の機能喪失となり、安全系の電動機、電動弁の機能喪失となる」とする報告書を出していたことも認めました。
吉井氏は、国会や政府の事故調査委員会の報告書によって、東電が建設費などコストがかかることを理由に対策を取らなかったことは明白になったと指摘し、「どのような指示をしたのか」と質問。深野院長は「口頭で検討を促すような対応でとどまっていた」と認めました。
吉井氏は、想定しながら対策を怠った人災であり、東電と歴代政権の「不作為の責任が問われる」と強調しました。
枝野幸男経産相は「安全神話」に縛られていたことを認め、「もっと対策をとっておけば、こうした重大な事故に至らなかったのではないかとの指摘は真摯(しんし)に受け止める」と答えました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-08-04/2012080402_04_1.html