領土問題が緊迫するなか、いつものように8月15日の社説をみてみた。この日は本来ならば、祝日としなければならない日だ。理由は、ポツダム宣言を受諾した日だから。その内容をみれば、祝日にしなければならないことは当然だろう。
外務省仮訳文http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.htmlをみてみよう。
六 吾等ハ無責任ナル軍國主義ガ世界ヨリ驅逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ
「世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去」というが、戦後の自民党政権は、全く逆だった。靖国問題は、その典型だ。
八 カイロ宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
「諸小島」が、どこか、をはっきりさせるべきだろう。すなわち、カイロ宣言は、
同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。
と述べている。このことは戦争によって天皇制政府が奪った領土の返還を連合国が要求していたということだ。だが、これは「戦勝国としての連合国」という側面もあることを見ておく必要がある。
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
連合国は「日本人ヲ民族トシテ奴隷化セント」することはないと言っている。だが、連合国の一員であったアメリカがやってきたことは、まさに日本人を「奴隷化」させようとしていると言われても仕方のないことが多すぎないか。
同時に「俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人」を「嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」と言っているが、戦後の歴史は全く逆だった。
「民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」と述べているが、逆の政治を行ってきた。橋下維新の会を評価する安倍元首相が「戦後レジーム」の「改革」を叫んだのは、このポツダム宣言の「遺産」の「清算」=否定だった。
十一 日本國ハ其ノ經濟ヲ支持シ且公正ナル實物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ 但シ日本國ヲシテ戰爭ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ 右目的ノ爲原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ區別ス)ヲ許可サルベシ 日本國ハ將來世界貿易関係ヘノ參加ヲ許サルベシ
三菱重工などの軍需産業は「戰爭ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業」にあたりポツダム宣言に違反する。
以上、戦後の出発点となったポツダム宣言を受諾した8月15日は、日本国の原点を確認する日として貴重だ。だが、祝日でないことを見ればあきらかなように、この日の意義を再確認する教育、マスコミ、家庭、地域は皆無といっていい。日本国民の誤った歴史認識が続いているのだ。
今回の尖閣・竹島・北方領土問題にかかわって、自民党や石原都知事などが、ポツダム宣言を否定し、全く逆の、誤った政策を実行してきた問題と責任を問うことなく、マスコミを通して国民のなかにあるナショナリズムを煽っている。確かに李明博大統領や香港の活動家の行動は批判されて当然だ。
連合国の一員としてのアメリカについても、言っておかなければならないことがある。竹島問題について言えば、李承晩ラインについて、尖閣については、沖縄の施政権返還前と返還後の中国の対応について、北方領土については、ヤルタ協定と日ソ中立条約の破棄とその後の占領とサンフランシスコ条約、日ソ共同宣言に対するソ連の対応について、曖昧にしてきた責任をとるべきだということだ。
アメリカは、自分の世界戦略の中で日本を反共の防波堤として位置づけたことにより、連合国の一員として、またアメリカ独立宣言の理念を放棄して日本の領土問題を軽視してきた結果が、今日の事態を作り出していることを自覚すべきだ。
以上、戦後の出発点を原点とする「戦後処理」の変質は、李明博大統領の天皇の訪韓にあたっての発言にみるように、今日の事態の最大の要因である。戦後の日本の最大の弱点、問題、課題は、戦争の責任問題に対して、明確な宣言をすることだ。この原点が曖昧なまま、アメリカ陣営に属しながら「繁栄」してきたこと、被害者への「思いやり」が極端に不足している「思いあがり」、これが、被害国の国民に「心からの信頼」を得ていない最大の要因なのだ。
このことは日本が「被害者」である拉致問題を見れば明瞭だ。同時に「戦争」と言うと「空襲被害」を強調する国民性を見れば明瞭だ。日本国民が戦争被害を強調すればするほど、加害国の被害について、それ以上に強調しなければならない。
靖国の「英霊」の被害を強調すればするほど、彼らの「加害」について、強調しなければならない。そうする国民的営みを踏まえてこそ、真の被害者は誰なのか、そのことがはっきりしてくるのだ。
安倍元首相や「産経」「読売」に代表されるポツダム宣言否定論者たちが「英霊」=戦争被害を強調すればするほど、被害を受けた国家と国民の気持ちから離れていくことをマスコミと国民は自覚しなければならない。
特に、アメリカは、日米同盟の深化を叫ぶ安倍元首相や「産経」「読売」を利用しながら、かといって彼らの大東亜戦争肯定論が跋扈することは、アメリカの歴史を否定することになるので、許せないという矛盾にさいなまれていることを自覚すべきだ。
以上述べてきた矛盾に対して、アメリカ国民と日本国民、アジアの諸国民が、どのように自覚し克服していくか、領土問題は、絶好の教材だ。その最良の授業は、人類の到達した国際法を活用することだろう。それを具現化した日本国憲法を多面的に具体化する知恵を持つことだ。
最後に強調しておこう。領土問題を平和的に解決していくためには、戦争責任を曖昧にせず、歴史の事実を踏まえた人類的討議を提案し、被害受けた人民の声に謙虚に耳を傾ける、寛容と連帯の国家間の関係、国民間の関係、民族間の関係を構築することだ。
自民と民族と国民と国家は対等平等なのだ。日本国民はそのような視点をもつ政府を、自らの行動によって選択・構築しなければならない。
諍いを武力で示す歴史捨つ人類の知恵人民のなかに
それでは、典型な社説を掲載しておこう。「読売」「愛媛」「南日本」新聞だ。「読売」と「愛媛」の中間にある「南日本」の歴史認識の違いがはっきりすると思う。「読売」の知的退廃ぶりがはっきりする。これが日本国のなかで最大の読者を獲得して、どんな影響を与えているか、そのことを最大の教訓としなければならないだろう。
以下資料として社説を掲載しておこう。
読売 8月15日 「史実」の国際理解を広げたい(8月15日)
◆日本の発信・説得力が問われる◆
あれから67年。終戦の日を迎えた。繁栄する日本の礎となった戦没者を追悼する一日である。 ところが、この日に照準を合わせたかのように韓国の李明博大統領が島根県・竹島への訪問を強行して、はばかるところがない。極めて残念だ。 なぜ今、韓国がこうした暴挙に出たのだろうか。 李大統領は、領有権をめぐる日韓対立が続く竹島の支配を誇示するとともに、いわゆる従軍慰安婦問題に言及した。首脳会談で提起したのに日本政府が「誠意を示していない」とも語っている。
◆あおられた反日感情◆
政権末期で求心力を失った李大統領は、「初めて竹島を訪問した国家元首」という“業績”を残そうとしたとの見方が一般的だ。 日本の植民地支配を受けた韓国には根強い「反日感情」がある。そこに訴えた大衆迎合主義(ポピュリズム)とも言えよう。 ロンドン五輪で男子サッカーの3位を決める日韓戦の後、勝利した韓国の一選手が「独島(竹島の韓国側呼称)はわが領土」と書いた紙を掲げる一幕があった。五輪憲章が禁止する、競技会場での政治的活動であるのは明らかだ。
李大統領の行動が、韓国国民のナショナリズムをいたずらにかきたてたのは間違いない。 良好に見える日韓関係も、政治に歴史認識問題が絡むと、一気に崩れる脆弱さをはらんでいる。歴史認識の違いを乗り越え、建設的な関係を築いていく努力が日韓双方に必要である。 一方、韓国は主要20か国・地域(G20)首脳会議や核安全サミットの主催国ともなった。国連事務総長には韓国人が就任している。サムスンや現代自動車など日本企業に匹敵する世界的な企業も数多く誕生した。 大統領自身、「日本はかつてのような国際的な影響力はない」と述べている。韓国が急速な経済成長を遂げた結果、以前ほど日本との関係を重視しなくなった面にも留意しなければなるまい。 日本は竹島問題を国際司法裁判所に提訴する方針だ。同時に、韓国に対して、不法占拠をこれ以上強化しないよう強く自制を求めるべきである。
◆領土問題に積極姿勢を◆
ロシアとの関係でも、同様の問題が浮上している。 一昨年11月、当時のメドベージェフ露大統領は北方領土の国後島を訪れた。今年7月にも再び首相として国後島を視察している。 ロシア側は先の大戦の結果として北方領土を領有し、しかも独自に開発を進めていることを内外にアピールしたいのだろう。 さらに、極東サハリン州で石油・天然ガス開発は着実に進んでおり、もはや北方領土への日本の支援は必要ない、と日本を牽制する狙いもうかがえる。 実際、択捉島や色丹島では、韓国の企業が開発に参画している。このままでは北方領土の「ロシア化」が進むのは避けられない。 一方で、経済・軍事力で膨張を続ける中国に向き合うためにも、日露関係の強化は欠かせない。 政府は、複眼的な視点に立って北方領土問題解決への戦略を練り直さなければならない。 韓国やロシアの主張する「歴史」が世界に拡散しつつある。日本政府は、もっと危機感を持って対処すべきである。 一昨年、米国ニューヨーク近郊の小さな町の公立図書館に「日本軍に拉致された20万人以上の女性と少女のために」などと記された慰安婦の碑が設置された。 韓国系米国人によって、こうした碑を米国各地に建設する運動が進められている。米国発の対日圧力を強めるのが狙いだろう。 慰安婦問題がここまで広がっている根底には、1993年の河野官房長官談話の存在がある。
◆誤解広める河野談話◆
日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述があり、誤解を広めることになった。しかし、結局、こうした事実を裏付ける資料的な根拠は見つからなかった。 「日本軍によって拉致され、慰安婦にされた」と米国で喧伝されているが、この談話の存在のため、日本政府が有効な反論ができないことは極めて問題である。 日本政府は、竹島、北方領土、そして慰安婦などの歴史の事実関係を、国内はもとより、広く海外にも説明すべきだ。 終戦を思い起こす8月の機会に、国際社会に日本の立場を積極的に発信し、理解と支持を獲得していくことが大切である。
(2012年8月15日01時37分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120814-OYT1T01438.htm
愛媛新聞 終戦の日 「殺さない国」であり続けよう特集社説2012年08月15日(水)
きょう、日本は67回目の終戦の日を迎える。1945年8月15日、無謀な戦争に敗れた日だ。
中国に侵攻した日中戦争、米英など連合国を相手にした太平洋戦争で310万人の日本軍兵士や民間人が死んだ。日本が近隣のアジア諸国に強いた死は2千万人に上る。 その殺し殺される加害と被害の痛切な反省から、日本国憲法は生まれた。最大の特徴は「戦争の放棄」と「戦力不保持、交戦権の否認」を国家に課した9条だ。 戦争の産物である9条は、過ちの歴史を鏡にして、理想に向けて進むべき方向を指し示す方位磁針でもある。しかし、今、その鏡に映る敗戦後67年の日本の為政者たちは、かつての反省を忘れ、「新たな戦前」に向けて突き進んでいるように見える。 野田佳彦首相は先月の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を禁じた歴代政府の憲法9条解釈について「現時点では今の解釈の下で対応するが、さまざまなレベルで議論されてしかるべきだ」と述べた。国家戦略会議の分科会から行使容認を求める報告書が出されたことを踏まえ、検討の必要性に踏み込んだ。 軌を一にするように、自民党の次期衆院選政権公約案や国民新党の新綱領も、集団的自衛権行使の容認を記した。
危険だ。看過できない。
同盟国が攻撃されれば、それを共に武力で阻止できる集団的自衛権について、9条を持つ日本は「わが国を防衛するための必要最小限度の範囲を超える」と認めない立場を取ってきた。おかげで戦後長きにわたり自衛隊員が海外で人を殺さないで済んでいる。 日本にとって集団的自衛権の容認は、世界で軍事活動をする米軍と自衛隊が一体化して、海外で戦闘ができるようになることを意味する。すなわち「戦争ができる国」「殺す国」に道を開く選択だ。 在日米軍再編見直しで、自衛隊が米軍のアジア太平洋戦略を支え、警戒監視活動や共同訓練で連携する「動的防衛協力」を強化するのも、同じ文脈に位置づけられよう。 野田政権下では、昨年末に国是である武器輸出三原則が緩められた。今、全国の反対をよそに米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイ沖縄配備が強行されようとしている。なし崩しの防衛・安全保障政策の拡大強化、対米追従だ。
こうした中、ことしの8月15日を迎えた。単に過去を振り返る日ではない。加害と被害の戦争の歴史、その産物である9条の非戦の誓いに照らし、現在を見つめ直す節目の日だ。9条の背後には2300万人余の死者がいる。日本は「殺さない国」であり続けるか、それとも「殺す国」になるのか。その選択は今を生きる私たちの責任でもある。http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201208152191.html
南日本新聞 [終戦記念日] 平和の誓い新たに外交を立て直そう( 8/15 付 )
67回目の終戦記念日がめぐってきた。先の大戦を検証し、未来を展望する日である。あらためて戦争で亡くなった人たちを悼み、平和の誓いを新たにしたい。 昨年は3月11日に東日本大震災があり、大津波後の被災地と原発事故の光景から「第二の敗戦」という見方もされた。戦災で焼け野原となった国土と二重写しとなったからである。 震災から1年半近くたつが、復興への道のりは長く険しい。戦災から立ち上がったように、国の総力を挙げて被災地をよみがえらせ、被災者の暮らしの再建を確かなものにしなければならない。
震災同様、戦争が人々に刻みつけた傷痕は深い。本紙地域総合面で「証言-語り継ぐ戦争」が始まったのは、2006年3月である。戦争体験者の高齢化が進む中、県民一人一人の体験を少しでも記録に残したいとの狙いだ。 極寒のシベリアで抑留生活を送った元兵士、部下を特攻隊に推薦したことを悔いる元教官、戦死した夫の遺骨を寺に受け取りに行った妻…。今月、掲載されている証言だけでも、戦争の断面を映し出していて胸に迫る。 「何のために戦ったのか、いまだに分からない」「戦争は悲しみしか生まない」。そうした肉声を受け止め、今日の日本を見つめ直す作業につなげたい。
■講和の意義問い直そう
今年は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して60年の節目にあたる。講和条約の現代的な意義をあらためて問い直し、戦後体制を検証することが重要だ。 条約の発効によって連合国軍の占領は終わり、日本は独立を回復して国際社会に復帰した。その後、高度経済成長によって目覚ましい発展を遂げ、先進国の仲間入りを果たした。 講和条約とともに結ばれたのが日米安全保障条約である。東西冷戦で世界の二極化が進む中、米軍の日本駐留を受け入れ、日本は米国を頂点とする西側陣営の一員となった。 日本が自国の防衛力を低く抑え、経済成長に力を入れたのは当時の吉田茂首相の選択があったためである。軽武装で、安全保障は米国に依存するという構図だ。 その構図が今日のきしみを生んでいる。講和条約で主権は回復したものの、沖縄は米国の統治下に置かれ、日本復帰は72年まで待たなければならなかった。日本にある米軍専用施設のうち約74%が沖縄に集中し、その過重な負担に沖縄県民は「差別だ」との声を発している。 最近では、米海兵隊が普天間飛行場(宜野湾市)に配備を予定する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの安全性が問題視され、沖縄の反発は強まる。 冷戦の終結、テロとの戦いなどで安保をめぐる状況は変化してきている。なかでも、中国の軍事的台頭を念頭に「アジア回帰」を進める米国は、日米の連携をこれまで以上に緊密化することを求めている。日本も南西諸島防衛などで日米の協力強化が必要になった。軍事面での日米一体化がどんどん進む。 日米同盟は日本の外交・安全保障の基軸だとしても、沖縄の声にどう向き合うのか。国民一人一人が考えることが欠かせない。
■戦後処理は終わらず
戦後67年たっても、「戦後処理」は終わっていない。そう思わせたのが、日本赤十字社と北朝鮮の朝鮮赤十字会が日本人の遺骨収集問題などで協議したというニュースである。 戦争末期の混乱の中、日本の植民地だった北朝鮮地域では、軍人や民間人計約3万4600人が死亡した。このうち、日本への引き揚げ者が持ち帰るなどした遺骨を除く計約2万1600柱が北朝鮮に残されたままといわれる。 日本政府は海外各地で戦没者の遺骨収集を進めている。だが、北朝鮮の遺骨については国交がないため手付かず状態だった。 北朝鮮はまず遺族による墓参りを受け入れると表明した。核開発問題など北朝鮮は東アジア情勢に緊張をもたらしているが、遺骨収集問題を好機ととらえ、拉致問題など日朝間の懸案の解決につなげていきたい。 韓国の李明博大統領が、歴代の大統領としては初めて島根県の竹島(韓国名・独島)を訪問した。日韓関係の冷え込みは避けられないが、沖縄県の尖閣諸島などをめぐる問題で適切な対応を取ることができなかった民主党政権の外交を象徴する出来事であり、尖閣諸島や北方領土問題に続いて政権の外交姿勢が問われる事態だ。 7月のロシアのメドベージェフ首相の国後島訪問と同様、弱体化が進む野田政権は足元を見透かされているということだろう。外交政策を立て直し、領土交渉を軌道に乗せる手腕が求められる。
終戦記念日は、韓国にとっては日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」であり、北朝鮮にとっても「解放記念日」だ。日本人は戦争の被害者であるとともに、アジアの国々に大きな迷惑をかけた加害者であることを決して忘れてはならない。 平和外交を掲げた戦後日本の歩みは世界に誇れるものだ。再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意したい。http://373news.com/_column/syasetu.php?ym=201208&storyid=42448
「日米同盟は日本の外交・安全保障の基軸」とする南日本新聞でさえも「日本人は戦争の被害者であるとともに、アジアの国々に大きな迷惑をかけた加害者であることを決して忘れてはならない」と述べている。この視点が大切だろう。