愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

尖閣・竹島・北方領土で「偏狭な愛国心」を煽る政府とマスコミ、戦争責任を曖昧してきたツケにこそ!

2012-08-16 | 領土問題

政権の不人気さを回復する絶好の材料は、隣国の問題を使うことは、どこの国も同じだ。

日本は、ソ連・中国・北朝鮮問題を使って「愛国心」を揺さぶって自民党政権の延命が図られた。ソ連で言えば、サハロフ・ソルジェニツィン問題とハンガリー・チェコ・アフガン侵略があり、中国は天安門事件と民族問題、北朝鮮は将軍様と拉致問題、核問題は継続中だ。

このことは明治以来一貫していた。明治期はロシア脅威論と日清日露戦争と朝鮮植民地、大正期は第一次護憲運動に対して第一次世界大戦参戦は天佑論、革命ロシアへの脅威論とシベリア出兵、戦前の昭和期は生命線論と満州事変と三反(反共・反資本主義・反ファシズム)主義論と日中戦争、ABCD包囲網と鬼畜米英論と対英米戦争だった。戦後は共産主義の脅威論・防波堤論・ドミノ論と朝鮮戦争とベトナム戦争だ。最近ではテロの脅威論とアフガン・イラク戦争だ。

朝鮮半島については、休戦中の南北間で行われているのは互いの脅威論だ。この感情については、日本人は、本当のところでは理解できないだろう。

かつて韓国を訪問した時、地下鉄の車両に「スパイを摘発しろ」とシールが貼られていることを教えてもらった。金浦空港に小銃を構えた兵士が立っていた。ソウル市内の高層住宅街が北に向かって林立していた。防御のためだと聞いたし、高速道路には壁がないのは、滑走路として使用するためだと聞いた。徴兵制があり、それが弁当を2つ持っていくほど夜遅くまで学校で勉強するという受験戦争に驚いた。浪人などはできないのだと。

北朝鮮については、さらに判らない。判るのは韓国以上の日帝批判がある。日米安保体制下にあるからだ。だが、やっていることは戦前の日帝と同じか?

韓国については、北朝鮮と同じように日帝批判はある。天安の独立記念館で、そのことを学んだ。だが同時に朴~全政権のファッショ政権のベトナム戦争参加や弾圧に抵抗してきた人々の「思い」も判った。韓国の「国史」に書かれた「愛国心」や国旗に対する思いも日本と違うことが判った。8.15を「光復節」「解放」という。日本は「終戦」が主流で、「敗戦」は少数だ。韓国の三大英雄は、ハングルをつくった世宗、秀吉の朝鮮出兵(侵略)=文禄・慶長の役(壬申倭乱)に反撃した李舜臣、伊藤博文を暗殺したとされている安重根であるが、この名前を知っている日本人は多くはない。

中国は近代において列強の侵略に抵抗した魯迅や孫文、そして毛沢東や周恩来がいる。特に抗日運動を指導した毛沢東は絶大だろう。文化大革命で大失敗をしても、だ。こうした抗日闘争は中国人の誇りではないだろうか。日本人にはなかなか理解できないのかもしれない。だが、この愛国主義を利用して現政権は、その維持を図っている。愛国主義が強まることは政権維持にとって必要だが、高まりすぎると反政府運動に発展するという矛盾にあることも事実だろう。

それにしても戦前の侵略戦争に反対した人々が国民的尊敬を集めていない国ニッポンというのは、国際的にみると奇異なことではないだろうか。あのアメリカではパトリオットとして兵器の名前にすらされているのだ。日本でいえば「ハンセン」というのではないだろうか。しかし、当時は「国賊・非国民」だった。その歴史は、形を変えて現在進行形ではないだろうか。
「ジコセキニン」「バッシング」だ。

ソ連においては、スターリンが日露戦争の報復として日ソ中立条約破棄を米英に認めさせ(ヤルタ協定)、南下し、シベリア抑留や北方領土を奪うなど、「社会主義」の名に値しない覇権主義という蛮行を行った。反ファシズム運動の裏で国内では大虐殺というヒトラー顔負けの民主主義と人権破壊を行っていた。

現在のプーチン・メドヴェージェフ政権はテロとの戦いを口実に「独裁化」している。その政権基盤のために北方領土の固定化を狙った訪問を実行した。これについては李大統領も同様の手法をとっている。

台湾についても、アメリカとの関係を維持しながら、中国本土との関係をどうするか、国論は分かれている。日中平和友好条約を調印した日本にも、中華人民共和国との関係より中華民国の台湾との関係を維持しようという勢力の動きが、依然としてある。

これで日本周辺をめぐる諸国を一覧してきた。共通するのは、日本国との領土問題が「未解決」であるとの「認識」があることだ。これが「紛争の火種」になっているのだ。何故、「火種」が残っているか。それは完全に火種を消すことができなかったからだ。

ということは、この「火種」に対してどのような「水」をかけて冷まし、火消しを行うか、それが日本国民に投げかけられていることを意味しているのだ。竹島と北方領土の実行支配は韓国・ロシア。尖閣の実行支配は日本という構図の違いがあるが、共通しているのは二つ。

最大の問題は、戦争責任と戦後補償を明確にしてこなかったことだ。もう一つは、それに関係して戦後の枠組みをアメリカという思考回路をとおして組み立てたことだ。

アメリカは戦後の世界戦略を天皇の政治的利用を行いながら、日本を反共の防波堤にした。反共で一致していた天皇も国体護持のためにアメリカを利用した。沖縄の米軍占領の固定化を進言したのは、その好例だ。天皇は吉田茂・岸信介などを使ってだ。吉田が旧日米安保条約を一人で調印したことは、その象徴だ。それを戦犯容疑者であった岸も命と引き換えて反共のバネを最大限活用し、吉田の安保体制を日本国内から「極東」へと拡大するなど、変質させた。

こうしてサンフランシスコ条約と日米安保条約体制下の日本は、国民をアメリカに守られているかのように思わせながら、実はアメリカの世界戦略のなかで位置づけられ、日本国政府は、その枠内でのみの行動が許されることとなった。日本独自外交政策の力量が蓄積されなかったことは最大の問題だ。

日本国憲法を持つ日本国のこうした戦後史が、竹島・尖閣・北方領土問題の解決を遅らせたのだ。

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