愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

「国を守る気概を教育」せよと煽る輩の妄想で日本をどこへもっていこうとするのか!

2012-08-21 | 日記

ますます領土問題が一部でヒートアップしている。呆れるが、黙ってスルーするわけにはいかない。

テレビは、上陸した議員たちを、ある意味英雄扱いして報道している。彼らが用意したビデオで撮影したものを流している。まさに中国人の活動家たち、韓国やロシアの大統領がやったやり方を同じだ。

確かに領土問題はナショナリズムを扇動しやすい。だから政権の失策をカバーするためには格好の材料だ。ロシアでも、韓国でも、中国でも、政権の失策=内政上の課題をナショナリズムで正当化しようとしているが、これについては日本も同じだ。

かつて日露戦争後の政治・経済の矛盾の激化が第一次護憲運動を招き、追い詰められていた政府は、第一次世界大戦を「天佑」として捉え、債務国から債権国へと「発展」させた。これで日清日露戦争などと同じように戦争が国力アップに連動するという「戦争神話」はうまれた。このことは「大東亜戦争の失敗」にもかかわらず、朝鮮戦争やベトナム戦争の「特需」によって、「戦争神話」は、未だ一部の政治家や経済家に沈殿している。軍需産業の献金を見れば明瞭だ。

この「戦争神話」は、たくさん庶民の犠牲という発想は微塵もない。戦争になれば、庶民から税金を集めなければならないことも、全く省みられていない。ヒートアップする庶民も己の命が危険にさらされる、経済的負担を課せられるなどということが想像できないほど、頭に血が上ってしまう、それがこの間の歴史だ。

だから、あえて言うが、勇ましいことをいう輩は、国民を戦争に巻き込む覚悟があってやっているのだろうか?ここがポイントだ。どれだけの人間を殺す覚悟があるかどうかだ。そういう覚悟と責任をもっているかどうか、その点を、まず問いたい。

同時に、これだけ「財政危機」が喧伝されているときに、さらに軍事費を投入することが可能かどうか、そういう視点で、今回の領土問題の危機解決を捉えてみると、ナショナリズムの軽薄さが見えてくる。

このことは、以下のブログを見て、いっそう、危険な輩のプロパガンダに乗せられてイカン!というメッセージを発していかなければならんと思うようになった。

文部科学省は、いまこそ、急ぎ「国を守る気概教育」に力を入れるべきだ」 板垣英憲
2012年08月20日 02:45
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/69a7a6a98c33086efe0a904c211cac71?fm=rss

板垣氏の論法・前提というか、歴史の経過が間違っている。ウソとペテンのオンパレードだ。以下引用してみよう。

まず第一に、
 日本は、文教の牙城である文部科学省の長年の怠慢が禍いして、日本国民の国防と韓国からバカにされ、蔑視され、その挙げ句の果てに、日本固有の領土である尖閣列島や竹島が、中国と韓国に侵略されても、日本国民の国防意識が高揚する気配はない。(引用はここまで)

「日本国民の国防意識が高揚する気配はない」のは、「文教の牙城である文部科学省の長年の怠慢」とある。面白い指摘だ。60年代から進められてきた「愛国心」教育、すなわち日の丸・君が代の国旗・国歌化とその徹底、靖国参拝、教科書の変質などなどの破綻ということを彼なりに強調したいのだろうか。いや違う!以下の指摘を見れば明瞭だ。

第二に、
文部省は「国を愛する心を養う」などという言葉を学校指導要領に盛り込んだものの、「国を守る気概教育」には、あまり力を入れてこなかった。あれから31年経たけれど、文部科学省の「腰抜けぶり」は、いまでも大して変わっていない。「国を守る気概教育」に力を入れる研究に取り組んでることを…記事にしたところ…諸沢正道文部事務次官から「この記事は間違いだ」と編集局長に抗議の電話が入った。…日教組から強い反発を受ける。そのことを恐れての抗議であった。(引用ここまで)

まず「国を守る気概教育」に「あまり力を入れてこなかった」こと、それは「日教組から強い反発を受ける」こと「を恐れての抗議」があったからだ、という理由をあげている。

だが、「国を守る気概教育」とは何か、全く抽象的だ。この場合の「国」とは何か、「国家」を「守る気概教育」なのか、それとも「国土」を「守る気概教育」なのか、その場合の「守る」とはどのような方法か、さらには「気概教育」とは何か、だ。

もう一つある。それは日教組過大評価論だ。自民とのなれあい国会を演出していた社会党一党支持の下、日教組が文部省と対立軸を鮮明にしていたかどうか、連合結成後に、その立ち居は文部省寄りになっていったのは公然の秘密、周知の事実だ。
第三に
日本は連合国最高司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官から米国流の憲法(平和憲法)を押し付けられて、この憲法の下で、「平和ボケ民族」になり果ててきた。…日本国憲法は、日本国民に「愛国心」や「国を守る気概」を高揚する規定を設けていない。このため、1946年1月3日、日本国憲法が公布されて66年経つけれど、「平和主義」にすっかり毒されて、日本国民の多くが、「国を守る気概」を持たないことが美徳のような感覚になっている。国の政治に携わる国会議員のなかにも、「国家意識」や「国を守る意識」希薄な者が少なくない。(引用ここまで)

ここでもウソとペテンが浮き彫りになっている。
「連合国最高司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官から米国流の憲法(平和憲法)を押し付けられ」とあるが、ポツダム宣言を受諾したのは何故か、この宣言が作られた歴史的背景は何か、この宣言と国際連合憲章は、どこで、どうつながっているのか、全く判っていない。これは歴史に対する冒涜だ。無知だ。

しかも、「押しつけられた」とあるが、これもウソとペテンだ。マッカーサーが解任された時、共産党以外の政党はマッカーサー感謝決議に賛成したではないか。マッカーサーが帰国する時、日本国民は羽田空港への沿道に多く集まって見送ったではないか。

さらに「日本国憲法は、日本国民に『愛国心』や『国を守る気概』を高揚する規定を設けていない」とあるが、これも感情論だ。日本国憲法をよくよく読めば、真の意味で「愛国心」を、また「国を守る気概」を高らかに謳っているではないか。それは何か、だ。

まず「日本国憲法前文」と憲法第9条だ。立派な愛国心論が強調されている!この理念を政治や教育、社会のあらゆる場面で行うことを軽視してきたのは誰か、明瞭だ。
憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である…
憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(引用ここまで)

どうだろうか!軍事ではない、非軍事で国を守る方法、平和的な国際社会構築に向けて、高らかに宣言しているではないか!

「日本国民の多くが、『国を守る気概』を持たないことが美徳のような感覚になっている」かどうかは別だが、日米軍事同盟を前提にした「国を守る気概」はなくて十分。問題は、日本国憲法的安全保障論による他国との連帯・交流だ。戦争責任を果たしての国債平和主義に対する責任だ。

そういう視点でみると、これだけ米軍兵士の蛮行が何度も何度も起こっているのに、中国や韓国の「愛国者」のような抗議行動が起きないのは、日米軍事同盟派なりに言うと、「愛国心」が不足していることになる。

日本において中国や韓国のような「愛国者」の抗議行動が起きないのは何故か。それは日米軍事同盟=日米安保体制が日本の繁栄を保障したとか、米軍が日本を守ってくれるなど、日米軍事同盟派のふりまくウソとペテンがまかりとおっているからだ。だから、米軍兵士の蛮行を許してしまっているのだ。この点では日米軍事同盟派は胸をなでおろしている。

そういう意味で考えると、日米軍事同盟派は、中国や韓国を批判しながら、中国や韓国の「愛国者」をうらやんでいるのではないか?「日本国民の国防意識が高揚する気配はない」と言って嘆けば嘆くほど、実は彼ら自身が日米軍事同盟依存症に侵されてしまっている立場を覆い隠しているのだ。

それに「日本国民の国防と韓国からバカにされ、蔑視され、その挙げ句の果てに、日本固有の領土である尖閣列島や竹島が、中国と韓国に侵略されて」とあるが、韓国にバカにされたとか、「侵略」されたとか、全く意味不明だ。感情をぶつけているだけ。

そもそも「侵略」の定義からしてウソとペテンがよく判る。この「侵略」の定義が正しいのであれば、かつての日本帝国主義のアジア「侵略」はどう説明するのだろうか?

第四に
中国や韓国、ロシアなど隣国は、逆に、日本固有の領土を「侵略」して、当然のような顔をしている。こんなことを許していると、気づいたときには、日本の国土の大部分が侵略されてしまったという事態にもなりかねない。事実、直接侵略以前の間接侵略(政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略)という概念でいえば、日本は相当の部分が間接侵略されていると言っても過言ではない。(引用ここまで)

現代社会において「中国や韓国、ロシアなど隣国」が「日本の国土の大部分」を「気づいたときに」「侵略」するなどという妄想を振りまくのは、何故か!?

「事実、直接侵略以前の間接侵略(政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略)という概念でいえば、日本は相当の部分が間接侵略されている」という発言に至っては、ここまで言うの?ということだ。

現在の日本は、古代において渡来人によって中国・朝鮮半島から「政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略」されてきたのでないのか?また戦後社会において、米国から「政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略」されてきたのでないのか?

以上、全くの妄想から組み立てられたウソとペテンの文章をみてきたが、こういう人たちの論法がネットなどメディアで横行することは、非常に危険だ。大いに批判していかなければならない。そういう点では、今回の領土問題は、日本国憲法の理念の具体化という意味で、大きな歴史的試練に立たされているのだろう。大いに論戦していくべきだろう。

それにしても、憲法を無視した「国を守る気概教育」という曖昧な言葉で日本人を酔わせようとする手法を見破っていかなければならない。憲法の遵守と具体化こそ、国を守る気概教育になるのだということを声を大にして言い続けていこう!