そそそも「五穀豊穣」論を投げ捨てたのは戦後自民党政権だろう!
日本の農業を荒廃・沈滞・崩壊させたのは戦後自民党農政だろう!
「日本の「保守」政党を名乗る「自由民主」党は、その名前を返上すべき!
TPPで日本農業を売り渡す安倍政権は「保守」でも「自由民主」党でもないし
新嘗祭=勤労を感謝する資格そのものがゼロだろう!
ライフ勤労感謝の日とは、もとは新嘗祭の日。柳田国男の言葉から、稲の恵みについて思い起こしてみよう 2015年11月23日
http://www.tenki.jp/suppl/miyasaka/2015/11/23/8081.html
古代からの宮中儀式・新嘗祭から、勤労感謝の日へ
さて、「勤労感謝の日」の意味は現在の祝日法によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」となっています。
勤労をたっとび・・・て、何もこの日に限らずいつでもそうじゃないかという気がします。ならなぜこの日が勤労感謝の日になったのでしょうか?
その鍵は次の「生産を祝い」にありそうです。ではその当たりから探りを入れてみましょう。
勤労感謝の日は11月23日。この日は戦前もまた祭日で「新嘗祭」でした。勤労感謝の日にならって新嘗祭の意味を法律の文面から拾ってみると、「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、身ずからも食す」とあります。その年に収穫された穀物(新穀)を神に勧め神を祀る行事ですから、現在の勤労感謝の日の「生産を祝い」と結びつきます。
こう考えると、勤労感謝の日の「勤労をたっとび」はこの収穫をもたらした「一年の勤労を尊ぶ」という意味なのだと合点が行きます。ならばいつでも尊いはずの勤労に感謝する日を、この日と定めた意味もわかります。
勤労感謝の日の意味やその日付を考えるのは、そのまま新嘗祭の意味や日付の意味を考えること同じになりますから、ここから先は新嘗祭に沿って歴史を遡ることにします。
新嘗祭(にいなめさい)とは新嘗祭の語源は「新饗(にいあえ)」と考えられます。新穀を捧げて饗応するという意味です。では誰が誰を饗応するのでしょうか。それは戦前の新嘗祭の説明にあるとおり、「天皇が神々を饗応する」のです。
戦後はこの新嘗祭は皇室典範に記載された儀式から外れたそうですが、法的にはこの儀式を行う必要はなくなっても、皇室においては重要な宮中行事として継続されているそうです。儀式は、23日の夕方から始まり翌日の未明まで行われます。
新嘗祭の歴史は古く日本書紀では「天武天皇六年(AD 677)十一月乙卯の日」に行った記録があります。日本書紀での記録と言うことでは仁徳天皇四十年にも新嘗祭の記述がありますが、まあここまで来ると史実と言うより神話になってしまいますので、年代は定かではありません。ただ、十分に古い儀式だと言うことは判ります。
この際、捧げられる米、粟は各都道府県毎に 2軒の農家が選ばれてこれを献納するそうです。この伝統は明治25年に全国の都道府県知事(この時点では北海道は入っていなかったが、後に加わる)の連名での要請ではじまったものだそうで、戦後も農協が中心となって継続しているそうです。
新嘗祭と神嘗祭(かんなめさい)
新嘗祭に先だって、これによく似た神嘗祭(かんなめさい)という行事があります。こちらも戦前は祭日でした。神嘗祭は皇祖である天照大神を祀る伊勢神宮に天皇が幣帛(へいはく)を捧げ、宮中からこれを遙拝する儀式です。神嘗祭は伊勢神宮で行われ、10月15~16日(外宮)、16~17日(内宮)でその年に収穫された穀物や酒などを天照大神に供えます。
新嘗祭はこの神嘗祭からおよそ一月遅れて行われます。内容は重複する部分が多いのですがよく見ると違いもあります。それは神嘗祭が「神に供える」だけなのに対して、新嘗祭は「神を祀り、自らも食す」という点です。
日本の神話によれば、天皇は天照大神の子孫ですから、天照大神から国に実りをもたらす豊穣の力を受け継ぐものでもあります。ですから、皇祖である天照大神に新穀を捧げるだけではなく、自らもこれを食すことによって新たなる力を得、次の年の豊穣を約束する行事であると考えられます。
細かなことですが、なぜよく似た行事である神嘗祭と新嘗祭があるのかを考えると、その意味の違いに気が付きます。面白いですね。
新嘗祭の日付
勤労感謝の日が新嘗祭の日だと言うことは既に書きましたが、では新嘗祭の日付はどうして決められたのでしょうか。新嘗祭の日付が11月23日に固定されたのは明治 6年。それ以前は11月の 2番目の「卯の日」が新嘗祭の日と定められていました。ここで注意が必要ですが、明治 6年は日本が現在の新暦を採用した年。つまりそれ以前に行われていた新嘗祭の日付は旧暦の月日によっていたと言うことです。
明治 6年に改暦が行われそれまで旧暦の第 2の卯の日(「中卯」と表した)と定められていた新嘗祭の日付を急遽新暦に適用することになりましたが、その際に旧暦・新暦の差を考慮せずそのまま「11月の中卯」を適用した結果、明治 6年はその日が11月23日だったのでこの日とされました。
そして明治 7年以後は明治 6年の「11月23日」の日付を変更せずに固定してしまい、現在に至っています。
十一月の中卯 の謎解き
古い行事の日付にはそれなりの意味があることが多いのですが、このように単純に新暦の日付に移されて固定化されると、元々の日付の意味がわかりにくくなってしまいます。現在の新嘗祭もその通りで、現在の日付からだと本来の日付に込められた意味が見えてきません。ここで、旧暦で「十一月の中卯」の意味を考えてみましょう。
十一月中卯となる日付はと言うと、11月13~24日と言うことになります(十二支なので12日ごとに日が巡るから)。十一月の中旬頃と言うことになります。
ここで旧暦の十一月と言えば思い出すことがひとつ。それは「冬至」です。
旧暦時代、冬至は必ず「十一月」にありました。冬至の日付は旧暦では大きく変化しますが平均すると11月15日頃となりますから、十一月中卯の日は冬至と同じか、やや遅いくらいになることが多いことが判ります。これが判ると、新嘗祭の日付の意味が見えてきます。
1.冬至は太陽の力が一番衰える日。そして再び力を取り戻し始める日
2.太陽は、天照大神
3.天皇は天照大神の子孫で、その力を受け継ぐ存在
新嘗祭の行事の意味としてすでに「天皇自らも新穀を食すことによって新たなる力を得、次の年の豊穣を約束する行事」と書きましたが、だとしたらこの行事が行うのにもっとも適する時期はと言えば、冬至の日の前後。まさに十一月中卯はそれに合致する日ということになります。
卯の日の謎
さて、前段で新嘗祭と冬至の関係から、十一月中卯が新嘗祭に適する日だと考えました。ですがこの考えにはひとつ疑問点が残ります。それはなぜ「卯の日」でなければならないのかです。単に冬至の前後となる日としたいのであれば、十一月中卯に限らず、十一月の 2番目の子~亥の何れの日でもよいことになります。なぜ「卯」の日なのでしょうか。しばらく考えましたが、こうしたときには陰陽五行説から月と日の関係をみると答えが見つかる場合が多いので、月と日の十二支とその五行配当を見てみました。すると、
十一月・・・子月 子:水の兄(陽)
日付は・・・卯日 卯:木の弟(陰)
「水」と「木」は五行では相生の関係、「水は木を生む」。また子は「陽」、卯は「陰」。陽は男性、陰は女性の性質とされるので子月卯日は月と日で男女和合での新しい誕生という意味もあります。
また四季の五行配当を考えると
水:冬 , 木:春
水は木を生む ⇒ 冬は春を生む ・・・ 季節の循環がはじまると「子月卯日」は様々な点で理想的な日なのです。(引用ここまで)