ますます領土問題が一部でヒートアップしている。呆れるが、黙ってスルーするわけにはいかない。
テレビは、上陸した議員たちを、ある意味英雄扱いして報道している。彼らが用意したビデオで撮影したものを流している。まさに中国人の活動家たち、韓国やロシアの大統領がやったやり方を同じだ。
確かに領土問題はナショナリズムを扇動しやすい。だから政権の失策をカバーするためには格好の材料だ。ロシアでも、韓国でも、中国でも、政権の失策=内政上の課題をナショナリズムで正当化しようとしているが、これについては日本も同じだ。
かつて日露戦争後の政治・経済の矛盾の激化が第一次護憲運動を招き、追い詰められていた政府は、第一次世界大戦を「天佑」として捉え、債務国から債権国へと「発展」させた。これで日清日露戦争などと同じように戦争が国力アップに連動するという「戦争神話」はうまれた。このことは「大東亜戦争の失敗」にもかかわらず、朝鮮戦争やベトナム戦争の「特需」によって、「戦争神話」は、未だ一部の政治家や経済家に沈殿している。軍需産業の献金を見れば明瞭だ。
この「戦争神話」は、たくさん庶民の犠牲という発想は微塵もない。戦争になれば、庶民から税金を集めなければならないことも、全く省みられていない。ヒートアップする庶民も己の命が危険にさらされる、経済的負担を課せられるなどということが想像できないほど、頭に血が上ってしまう、それがこの間の歴史だ。
だから、あえて言うが、勇ましいことをいう輩は、国民を戦争に巻き込む覚悟があってやっているのだろうか?ここがポイントだ。どれだけの人間を殺す覚悟があるかどうかだ。そういう覚悟と責任をもっているかどうか、その点を、まず問いたい。
同時に、これだけ「財政危機」が喧伝されているときに、さらに軍事費を投入することが可能かどうか、そういう視点で、今回の領土問題の危機解決を捉えてみると、ナショナリズムの軽薄さが見えてくる。
このことは、以下のブログを見て、いっそう、危険な輩のプロパガンダに乗せられてイカン!というメッセージを発していかなければならんと思うようになった。
文部科学省は、いまこそ、急ぎ「国を守る気概教育」に力を入れるべきだ」 板垣英憲
2012年08月20日 02:45
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/69a7a6a98c33086efe0a904c211cac71?fm=rss
板垣氏の論法・前提というか、歴史の経過が間違っている。ウソとペテンのオンパレードだ。以下引用してみよう。
まず第一に、
日本は、文教の牙城である文部科学省の長年の怠慢が禍いして、日本国民の国防と韓国からバカにされ、蔑視され、その挙げ句の果てに、日本固有の領土である尖閣列島や竹島が、中国と韓国に侵略されても、日本国民の国防意識が高揚する気配はない。(引用はここまで)
「日本国民の国防意識が高揚する気配はない」のは、「文教の牙城である文部科学省の長年の怠慢」とある。面白い指摘だ。60年代から進められてきた「愛国心」教育、すなわち日の丸・君が代の国旗・国歌化とその徹底、靖国参拝、教科書の変質などなどの破綻ということを彼なりに強調したいのだろうか。いや違う!以下の指摘を見れば明瞭だ。
第二に、
文部省は「国を愛する心を養う」などという言葉を学校指導要領に盛り込んだものの、「国を守る気概教育」には、あまり力を入れてこなかった。あれから31年経たけれど、文部科学省の「腰抜けぶり」は、いまでも大して変わっていない。「国を守る気概教育」に力を入れる研究に取り組んでることを…記事にしたところ…諸沢正道文部事務次官から「この記事は間違いだ」と編集局長に抗議の電話が入った。…日教組から強い反発を受ける。そのことを恐れての抗議であった。(引用ここまで)
まず「国を守る気概教育」に「あまり力を入れてこなかった」こと、それは「日教組から強い反発を受ける」こと「を恐れての抗議」があったからだ、という理由をあげている。
だが、「国を守る気概教育」とは何か、全く抽象的だ。この場合の「国」とは何か、「国家」を「守る気概教育」なのか、それとも「国土」を「守る気概教育」なのか、その場合の「守る」とはどのような方法か、さらには「気概教育」とは何か、だ。
もう一つある。それは日教組過大評価論だ。自民とのなれあい国会を演出していた社会党一党支持の下、日教組が文部省と対立軸を鮮明にしていたかどうか、連合結成後に、その立ち居は文部省寄りになっていったのは公然の秘密、周知の事実だ。
第三に
日本は連合国最高司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官から米国流の憲法(平和憲法)を押し付けられて、この憲法の下で、「平和ボケ民族」になり果ててきた。…日本国憲法は、日本国民に「愛国心」や「国を守る気概」を高揚する規定を設けていない。このため、1946年1月3日、日本国憲法が公布されて66年経つけれど、「平和主義」にすっかり毒されて、日本国民の多くが、「国を守る気概」を持たないことが美徳のような感覚になっている。国の政治に携わる国会議員のなかにも、「国家意識」や「国を守る意識」希薄な者が少なくない。(引用ここまで)
ここでもウソとペテンが浮き彫りになっている。
「連合国最高司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官から米国流の憲法(平和憲法)を押し付けられ」とあるが、ポツダム宣言を受諾したのは何故か、この宣言が作られた歴史的背景は何か、この宣言と国際連合憲章は、どこで、どうつながっているのか、全く判っていない。これは歴史に対する冒涜だ。無知だ。
しかも、「押しつけられた」とあるが、これもウソとペテンだ。マッカーサーが解任された時、共産党以外の政党はマッカーサー感謝決議に賛成したではないか。マッカーサーが帰国する時、日本国民は羽田空港への沿道に多く集まって見送ったではないか。
さらに「日本国憲法は、日本国民に『愛国心』や『国を守る気概』を高揚する規定を設けていない」とあるが、これも感情論だ。日本国憲法をよくよく読めば、真の意味で「愛国心」を、また「国を守る気概」を高らかに謳っているではないか。それは何か、だ。
まず「日本国憲法前文」と憲法第9条だ。立派な愛国心論が強調されている!この理念を政治や教育、社会のあらゆる場面で行うことを軽視してきたのは誰か、明瞭だ。
憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である…
憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(引用ここまで)
どうだろうか!軍事ではない、非軍事で国を守る方法、平和的な国際社会構築に向けて、高らかに宣言しているではないか!
「日本国民の多くが、『国を守る気概』を持たないことが美徳のような感覚になっている」かどうかは別だが、日米軍事同盟を前提にした「国を守る気概」はなくて十分。問題は、日本国憲法的安全保障論による他国との連帯・交流だ。戦争責任を果たしての国債平和主義に対する責任だ。
そういう視点でみると、これだけ米軍兵士の蛮行が何度も何度も起こっているのに、中国や韓国の「愛国者」のような抗議行動が起きないのは、日米軍事同盟派なりに言うと、「愛国心」が不足していることになる。
日本において中国や韓国のような「愛国者」の抗議行動が起きないのは何故か。それは日米軍事同盟=日米安保体制が日本の繁栄を保障したとか、米軍が日本を守ってくれるなど、日米軍事同盟派のふりまくウソとペテンがまかりとおっているからだ。だから、米軍兵士の蛮行を許してしまっているのだ。この点では日米軍事同盟派は胸をなでおろしている。
そういう意味で考えると、日米軍事同盟派は、中国や韓国を批判しながら、中国や韓国の「愛国者」をうらやんでいるのではないか?「日本国民の国防意識が高揚する気配はない」と言って嘆けば嘆くほど、実は彼ら自身が日米軍事同盟依存症に侵されてしまっている立場を覆い隠しているのだ。
それに「日本国民の国防と韓国からバカにされ、蔑視され、その挙げ句の果てに、日本固有の領土である尖閣列島や竹島が、中国と韓国に侵略されて」とあるが、韓国にバカにされたとか、「侵略」されたとか、全く意味不明だ。感情をぶつけているだけ。
そもそも「侵略」の定義からしてウソとペテンがよく判る。この「侵略」の定義が正しいのであれば、かつての日本帝国主義のアジア「侵略」はどう説明するのだろうか?
第四に
中国や韓国、ロシアなど隣国は、逆に、日本固有の領土を「侵略」して、当然のような顔をしている。こんなことを許していると、気づいたときには、日本の国土の大部分が侵略されてしまったという事態にもなりかねない。事実、直接侵略以前の間接侵略(政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略)という概念でいえば、日本は相当の部分が間接侵略されていると言っても過言ではない。(引用ここまで)
現代社会において「中国や韓国、ロシアなど隣国」が「日本の国土の大部分」を「気づいたときに」「侵略」するなどという妄想を振りまくのは、何故か!?
「事実、直接侵略以前の間接侵略(政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略)という概念でいえば、日本は相当の部分が間接侵略されている」という発言に至っては、ここまで言うの?ということだ。
現在の日本は、古代において渡来人によって中国・朝鮮半島から「政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略」されてきたのでないのか?また戦後社会において、米国から「政治・思想・経済・心理などの社会的兵器による侵略」されてきたのでないのか?
以上、全くの妄想から組み立てられたウソとペテンの文章をみてきたが、こういう人たちの論法がネットなどメディアで横行することは、非常に危険だ。大いに批判していかなければならない。そういう点では、今回の領土問題は、日本国憲法の理念の具体化という意味で、大きな歴史的試練に立たされているのだろう。大いに論戦していくべきだろう。
それにしても、憲法を無視した「国を守る気概教育」という曖昧な言葉で日本人を酔わせようとする手法を見破っていかなければならない。憲法の遵守と具体化こそ、国を守る気概教育になるのだということを声を大にして言い続けていこう!
ますますヒートアップ化のようにみえるナショナリズムだが、扇動するメディアの断罪しなければならない。
それは、尖閣諸島に上陸した、いわゆる「活動家」と呼ばれる「中国人」に日本国の政府も政治家も国民も振り回されていると思うからだ。
李明博大統領が「実行支配」している独島にわざわざ上陸し、碑を建立する意図について、また同時に、日本の政治家が、「実行支配」している尖閣に上陸する意図について、冷静に考えれば、騒ぎ立てることが、如何にアホなことか、だ。
しかも中国の民衆が集会やデモをしていることが日本のマスコミに報道されているが、これもトリックがある。まず人数だ。
今日の「朝日」を見ると、よく判る!
1面では「中国23都市で反日デモ」「数百~数千人規模、暴徒化」とある。
9面では「膨らむ不満、飛び火」「中国当局、火消しに躍起」として
「広州・深圸 警察、デモ『黙認』」の記事のなかに
広州では「日本総領事館前に約300人が集まり」「最大で700~800人」とある。
深圸では「数千人が中心街に繰り出し、日本車や警察車両は日本料理店を襲うなどした」とある。
さらに、「デモ隊は『日本帝国主義を打倒しろ』と叫びながら、ペットボトルをビルに向かって投げつけてきた。そのうち興奮した50~60人がビルの玄関フロアに侵入」
「成都」「前夜から警官隊」として「紅星路広場」で「一時は数千人まで膨れた」とある。
「北京・上海」では、北京では「正午過ぎに20人余りの若者グループが現れて気勢を上げ、中国国家を歌うなどした」とある。
上海では「日本総領事館前に約50人が集まり、気勢を上げながら1周」。手書きの日の丸に火を付け中国の国家を歌った」とある。
この程度の行動を記事にする意図は何か!透けて見える。大体日本のマスコミは日本国内で数百から数千人規模の反政府運動を報道してきたか!してないだろう!では何故、中国だったら、報道するのか!
この記事を日本人に読ませ、ナショナリズムを煽って、次なる行動を起こさせようとしているのだ。こうした意図が、アホな地方議員と国会議員の行動を呼び起こしたのは当然だ。
中国で行動しているのは、今のところ一握りの「愛国者」であろう。日本で言えば、いわゆる「右翼」「国粋主義者」というところだろうか。
だが、こういう輩が日本人を代表しているとは、とても思えない。確かに世論調査などをみると、マイナスの韓国人観や中国人観が見られるのは事実だが、こうした世論調査の意図的だ。
まずデモの人数だ。この程度の人数を行動で中国人を代表しているかのように報道するのは、誤りであるし、作為的で、犯罪的だろう。
今テレビは中国から恐竜がやってきたことをCMで流しているし、中国人が日本に来てカネを落としてくれることを願っている日本人は、尖閣で騒ぎ立てる輩より多いはずだ。
このことは中国も同じだろう。中国の一握りの「愛国者」は日本企業で働いている中国人の雇用はどうするのだろうか?日本商品ボイコットを叫ぶが、大都市の日本商品を買い求めている中国人は反日だろうか?
ちょっと考えれば、判りそうなことなのに、「互いに領土を奪われるぞ!」「領土を守れ!」「自衛隊を出せ!」などとアホなことを言っている。
尖閣も竹島も自衛隊を出して戦えば、領土問題は解決するのか!百歩譲って出動させたとしよう。そうすると、その費用は誰が、どう負担するのか、自衛隊員の家族はどうするのか、命を落とすことを受け入れるか!?中国も韓国も軍隊を出してまで戦うか?しないだろう!戦争になれば、国内の日本の資産や企業は凍結される、これは最良の選択か?違うだろう!
また、明治江華島事件以後敗戦までの負の歴史が戦争で解決したが、今もって友好の歴史以上の感情が残っているではないか。ということは戦争では解決できないことを、過去の、たった100年余りの歴史が示しているのだ。
こんなことも判らない「愛国者」は、本当の意味で「愛国者」とはなりえない。「愛国者」を語った単なるアホなのだ。
20世紀までは国際紛争は戦争で解決した。だから「報復」としての戦争が引き起こされた。
だが、国際連盟と国際連合という国際的組織をつくり、さまざまな失敗を繰り返しながらも、21世紀は、戦争で解決するのではなく、非軍事的・平和的手段で解決するという知恵が蓄積されてきた。
以下「資料」として、記事を掲載しておく。
中国・西安などで反日デモ 尖閣領有権訴え
18日、湖北省武漢で、横断幕の前で棒を持って抗議行動をする男性(ロイター=共同)
【北京共同】中国陝西省西安で18日、香港の活動家らが上陸した沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を訴える反日デモがあり、目撃者によると、学生を中心に数百人が参加した。北京の日本大使館前でも小規模なデモがあり、香港メディアなどによると、江西省コウ州で約100人の反日デモがあったほか、湖北省武漢や江蘇省常州でも抗議活動があった。
活動家の上陸後これまで、大使館前などで数十人規模のデモがあったが、大規模な抗議行動が確認されたのは初めて。日本大使館によると、邦人の被害はない。
http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012081901001054.html
尖閣めぐり中国各地で反日デモ 領有権を主張、一部暴徒化
「日本を倒し、釣魚島を守れ」などの訴えを掲げ、中国・深センで行われた反日デモ=19日(共同)
【深セン、杭州共同】香港の活動家らが上陸した沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の中国領有権を訴える反日デモが19日、広東省の深セン、広州や浙江省の杭州、温州、四川省成都など中国の10都市以上で行われた。約5千人が参加した深センでは一部が暴徒化、日の丸を燃やしたほか、日本車十数台を次々に壊し、日本料理店にも乱入して店内を破壊した。日本人に被害が出たとの情報はない。 中国での大規模な反日デモは、2010年9月の尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件を契機に発生して以来。日本人10人が19日、魚釣島に上陸したことが中国内で報じられており、デモが勢いづいた可能性もある。
http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012081901001054.html
本社世論調査:対韓感情「悪化」50%…竹島上陸で
毎日新聞 2012年08月12日 22時31分(最終更新 08月12日 22時45分)
日韓両国が領有権を主張し、韓国が実効支配する島根県の竹島に韓国の李明博大統領が上陸したことを受けて、毎日新聞の全国世論調査で「韓国に対する感じ方はどうなったか」を聞いたところ、「悪くなった」と答えた人は50%に上り、「変わらない」(44%)をやや上回った。 年代別にみると、20歳代で「悪くなった」と答えた人は25%にとどまり、「変わらない」が72%を占めている。年齢層が高くなるほど、「悪くなった」が増加。50歳代で53%と半数を超え、70歳代以上では60%に達した。男女別では、男性の「悪くなった」が55%だったのに対し、女性は47%だった。【田中成之】
http://mainichi.jp/select/news/20120813k0000m010128000c.html
竹島:賛否割れる韓国内 与党内からも大統領批判 毎日新聞 2012年08月18日 11時28分(最終更新 08月18日 13時05分)
竹島に到着し韓国の国旗を見る李明博大統領(中央)=2012年8月10日、AP
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【ソウル西脇真一】韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領による竹島(韓国名・独島)上陸や天皇陛下への謝罪要求発言に対し日本政府が対抗措置を打ち出したことについて、韓国メディアは18日「韓日の葛藤、新局面」(朝鮮日報)などと大きく伝えた。一方、同じ与党内から李大統領の言動に批判的な意見もあり、韓国国内での評価も分かれる。
18日付朝鮮日報は、1面で天皇陛下の大きな写真と共に日本の対抗措置を掲載。李大統領の天皇陛下に関する発言以後、日本政府の姿勢が急変したとの認識を示した。日本の対応について、東亜日報は「衆院の解散、総選挙が切迫するなかで、低落した内閣支持率と無関係ではない」と指摘し、世論を意識した行動と分析。社説では同じ領土問題を抱えるロシアや中国に比べて強硬姿勢なのは「韓国を見下げる態度だ」と批判した。 また、経済紙の毎日経済(電子版)は通貨交換(スワップ)の規模縮小について「08年の危機のときとは違い今は外貨保有高は十分で、外貨流動性は高い」との政府関係者のコメントを紹介し、影響は限定的との見方を示した。一方、韓国メディアによると、12月の大統領選で与党セヌリ党の有力候補、朴槿恵(パク・クンヘ)元代表の側近が「ポピュリズムをしている。ツケは次期政権が支払うことになる」と李大統領を批判。朴氏は17日、「ポピュリズムとは思わない」と述べたが、政権に批判的なハンギョレ新聞は「(日本の)反発は李大統領が招いた」と指摘、「韓日関係の復元にも力を傾けてほしい」と注文をつけた。 ただ、政治的な過熱とは別に日韓間の人的往来に変化はないようだ。韓国出入国外国人政策本部は「18日までに日本との往来が急激に落ち込んだといった報告は上がっておらず、通常通り推移しているようだ」と話している。ソウルの大手日系旅行代理店関係者も「今後は分からないが、今のところ急なキャンセルなど影響はない」と話している。
http://mainichi.jp/select/news/20120818k0000e030178000c2.html
ロシアのメディアが「北方領土を返そう」 公式/生きた国産ケフィア自然生活のアレルギー対策。生きたケフィアで、まずは腸内環境を 2011年3月19日
ロシアのメディア「モスコフスキー コムソモーレツ」は18日、コラムの中でロシアは北方四島を日本に渡さなければならないという記事を紹介した。
これは、「現在日本が大地震により被災しており、悲しみに暮れている、したがって、悲しみを和らげるために無条件で引き渡そう」というもの。ロシアは広大な領土を持っておりロシア側からすれば、北方四島は全体の0,035%程度という具体的数字も紹介。一方、このコラム上では、日本の領土返還要求は認めていない。既に、このコラムには多くのコメントも投稿されており、その多くが「馬鹿げている」といった批判的なもの。今後、この記事はロシア内でも大きな注目を集めそうだ。
http://rocketnews24.com/2011/03/19/
「天声人語」(2012年8月18日(土)付)によれば、第三極「大阪維新の会」は「長考」の対象だそうだ。
「はっ!」だった。
「天声人語」自身が述べているように「橋下維新の会」は「ムダな情報は捨て、たくさん考えない」対象ではないのか。その理由は、
1.選挙で勝ったとして多数を武器に憲法違反の条例を強行したこと
2.大飯原発再稼動をめぐる「裏切り発言」
3.「口パク」やツェイッターの舌下、「似せリスト」「不倫」などの「不祥事」
などあげれば政治を託す対象にはなりえない。何故このことを問わないのか?不思議だ。
さらに言えば、「安倍晋三氏などと組みたい」という「橋下氏の思惑」は、病院に引きこもって首相の責任を放棄した安倍氏の首相としての「実績」をみれば、明瞭ではないのか。
だが、「天声人語」は、「思想は保守、小さな政府と分権、手法はトップダウンだろうか。まずは彼らが描く日本と公約を見定めたい」などと持ち上げ、「民主党でも自民党でもない第三極」「三つ目の選択肢」として「橋下維新の会」を入れたいのだ。
それはマスコミが行う世論調査には必ず橋下維新の会を登場させ、第三極を祭り上げていることにもみられる。
細川日本新党に象徴される、あのブーム後の「かれこれ20年」、マスコミは、「政権選択を可能にする二大政党政治」として親政党、民主党、小泉劇場などにみられるように「有権者」を煽って「早指し将棋よろしく『直感の一票』を投じ」させてきた。「天声人語」は有権者が…投じてきた」と、その責任を「有権者」に転嫁している。とんでもない責任転嫁だ。
だが、そうした思惑・表現が心苦しいのか、「むろん新聞やテレビも」と弁解している。
だが、「いよいよ長考の時である」と述べながら、「ムダな情報は捨て、たくさん考えない」対象としての橋下維新の会を持ち上げ、過去の過ちに反省することなく「外れ」に向けて演出しているのだ。
「国が詰む」のを避けるためには、過去の報道のあり方を根本的に変えていくしかない。それは情報の正確化・公正化・民主化だ。
同じ駒数で同じルールで対等平等に勝負する棋士と、二歩を合法化してしまうようなアンフェアー報道による悪政温存とを比べるなどという不遜そのものを認めることはできないばかりか、棋士の「長考」と政治の「長考」を対等化させることで自らを免罪するのは、棋士と将棋に対して失礼千万!
「天声人語」より
将棋で、長考(ちょうこう)に好手なしという。時をかけても巧(うま)い手は浮かばないと。羽生善治(はぶ・よしはる)二冠によれば、要は「ムダな情報は捨て、たくさん考えないこと」。何を捨てるかで、積んできた経験が生きる▼棋士はこうも語る。「どちらの手にするか、1時間2時間と考えた末に三つ目の選択肢が浮かぶ。正しい時もあるが、外れが多い気がする」。ところがわが政界では三つ目、つまり民主党でも自民党でもない第三極がモテモテである▼「大阪維新の会」が、国政へと動きだした。二つの大政党が「近いうち解散」で握り、秋にも総選挙という情勢になったからだ。会を率いる橋下徹大阪市長の人気を衆院の議席につなげるために、何はともあれ候補者をそろえねばならない▼国政政党として小選挙区と比例区に重複立候補するには、現職5人以上が条件となる。すでに約20人の国会議員から合流の打診があるという。寄らば維新の陰で、弱い現職は新党の人気にあやかりたい。われ先にと、大小の「泥船」を脱する図だ▼ただし橋下氏の思惑は違って、政治の中心を仕切ってきた人、例えば安倍晋三氏などと組みたいらしい。思想は保守、小さな政府と分権、手法はトップダウンだろうか。まずは彼らが描く日本と公約を見定めたい▼A党はイヤだからB党、B党がダメなのでC党……。かれこれ20年、有権者は早指し将棋よろしく「直感の一票」を投じてきたが、いよいよ長考の時である。むろん新聞やテレビも。次が「外れ」なら国が詰む。 (引用ここまで)
領土問題が緊迫するなか、いつものように8月15日の社説をみてみた。この日は本来ならば、祝日としなければならない日だ。理由は、ポツダム宣言を受諾した日だから。その内容をみれば、祝日にしなければならないことは当然だろう。
外務省仮訳文http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.htmlをみてみよう。
六 吾等ハ無責任ナル軍國主義ガ世界ヨリ驅逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ
「世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去」というが、戦後の自民党政権は、全く逆だった。靖国問題は、その典型だ。
八 カイロ宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
「諸小島」が、どこか、をはっきりさせるべきだろう。すなわち、カイロ宣言は、
同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。
と述べている。このことは戦争によって天皇制政府が奪った領土の返還を連合国が要求していたということだ。だが、これは「戦勝国としての連合国」という側面もあることを見ておく必要がある。
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
連合国は「日本人ヲ民族トシテ奴隷化セント」することはないと言っている。だが、連合国の一員であったアメリカがやってきたことは、まさに日本人を「奴隷化」させようとしていると言われても仕方のないことが多すぎないか。
同時に「俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人」を「嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」と言っているが、戦後の歴史は全く逆だった。
「民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」と述べているが、逆の政治を行ってきた。橋下維新の会を評価する安倍元首相が「戦後レジーム」の「改革」を叫んだのは、このポツダム宣言の「遺産」の「清算」=否定だった。
十一 日本國ハ其ノ經濟ヲ支持シ且公正ナル實物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ 但シ日本國ヲシテ戰爭ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ 右目的ノ爲原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ區別ス)ヲ許可サルベシ 日本國ハ將來世界貿易関係ヘノ參加ヲ許サルベシ
三菱重工などの軍需産業は「戰爭ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業」にあたりポツダム宣言に違反する。
以上、戦後の出発点となったポツダム宣言を受諾した8月15日は、日本国の原点を確認する日として貴重だ。だが、祝日でないことを見ればあきらかなように、この日の意義を再確認する教育、マスコミ、家庭、地域は皆無といっていい。日本国民の誤った歴史認識が続いているのだ。
今回の尖閣・竹島・北方領土問題にかかわって、自民党や石原都知事などが、ポツダム宣言を否定し、全く逆の、誤った政策を実行してきた問題と責任を問うことなく、マスコミを通して国民のなかにあるナショナリズムを煽っている。確かに李明博大統領や香港の活動家の行動は批判されて当然だ。
連合国の一員としてのアメリカについても、言っておかなければならないことがある。竹島問題について言えば、李承晩ラインについて、尖閣については、沖縄の施政権返還前と返還後の中国の対応について、北方領土については、ヤルタ協定と日ソ中立条約の破棄とその後の占領とサンフランシスコ条約、日ソ共同宣言に対するソ連の対応について、曖昧にしてきた責任をとるべきだということだ。
アメリカは、自分の世界戦略の中で日本を反共の防波堤として位置づけたことにより、連合国の一員として、またアメリカ独立宣言の理念を放棄して日本の領土問題を軽視してきた結果が、今日の事態を作り出していることを自覚すべきだ。
以上、戦後の出発点を原点とする「戦後処理」の変質は、李明博大統領の天皇の訪韓にあたっての発言にみるように、今日の事態の最大の要因である。戦後の日本の最大の弱点、問題、課題は、戦争の責任問題に対して、明確な宣言をすることだ。この原点が曖昧なまま、アメリカ陣営に属しながら「繁栄」してきたこと、被害者への「思いやり」が極端に不足している「思いあがり」、これが、被害国の国民に「心からの信頼」を得ていない最大の要因なのだ。
このことは日本が「被害者」である拉致問題を見れば明瞭だ。同時に「戦争」と言うと「空襲被害」を強調する国民性を見れば明瞭だ。日本国民が戦争被害を強調すればするほど、加害国の被害について、それ以上に強調しなければならない。
靖国の「英霊」の被害を強調すればするほど、彼らの「加害」について、強調しなければならない。そうする国民的営みを踏まえてこそ、真の被害者は誰なのか、そのことがはっきりしてくるのだ。
安倍元首相や「産経」「読売」に代表されるポツダム宣言否定論者たちが「英霊」=戦争被害を強調すればするほど、被害を受けた国家と国民の気持ちから離れていくことをマスコミと国民は自覚しなければならない。
特に、アメリカは、日米同盟の深化を叫ぶ安倍元首相や「産経」「読売」を利用しながら、かといって彼らの大東亜戦争肯定論が跋扈することは、アメリカの歴史を否定することになるので、許せないという矛盾にさいなまれていることを自覚すべきだ。
以上述べてきた矛盾に対して、アメリカ国民と日本国民、アジアの諸国民が、どのように自覚し克服していくか、領土問題は、絶好の教材だ。その最良の授業は、人類の到達した国際法を活用することだろう。それを具現化した日本国憲法を多面的に具体化する知恵を持つことだ。
最後に強調しておこう。領土問題を平和的に解決していくためには、戦争責任を曖昧にせず、歴史の事実を踏まえた人類的討議を提案し、被害受けた人民の声に謙虚に耳を傾ける、寛容と連帯の国家間の関係、国民間の関係、民族間の関係を構築することだ。
自民と民族と国民と国家は対等平等なのだ。日本国民はそのような視点をもつ政府を、自らの行動によって選択・構築しなければならない。
諍いを武力で示す歴史捨つ人類の知恵人民のなかに
それでは、典型な社説を掲載しておこう。「読売」「愛媛」「南日本」新聞だ。「読売」と「愛媛」の中間にある「南日本」の歴史認識の違いがはっきりすると思う。「読売」の知的退廃ぶりがはっきりする。これが日本国のなかで最大の読者を獲得して、どんな影響を与えているか、そのことを最大の教訓としなければならないだろう。
以下資料として社説を掲載しておこう。
読売 8月15日 「史実」の国際理解を広げたい(8月15日)
◆日本の発信・説得力が問われる◆
あれから67年。終戦の日を迎えた。繁栄する日本の礎となった戦没者を追悼する一日である。 ところが、この日に照準を合わせたかのように韓国の李明博大統領が島根県・竹島への訪問を強行して、はばかるところがない。極めて残念だ。 なぜ今、韓国がこうした暴挙に出たのだろうか。 李大統領は、領有権をめぐる日韓対立が続く竹島の支配を誇示するとともに、いわゆる従軍慰安婦問題に言及した。首脳会談で提起したのに日本政府が「誠意を示していない」とも語っている。
◆あおられた反日感情◆
政権末期で求心力を失った李大統領は、「初めて竹島を訪問した国家元首」という“業績”を残そうとしたとの見方が一般的だ。 日本の植民地支配を受けた韓国には根強い「反日感情」がある。そこに訴えた大衆迎合主義(ポピュリズム)とも言えよう。 ロンドン五輪で男子サッカーの3位を決める日韓戦の後、勝利した韓国の一選手が「独島(竹島の韓国側呼称)はわが領土」と書いた紙を掲げる一幕があった。五輪憲章が禁止する、競技会場での政治的活動であるのは明らかだ。
李大統領の行動が、韓国国民のナショナリズムをいたずらにかきたてたのは間違いない。 良好に見える日韓関係も、政治に歴史認識問題が絡むと、一気に崩れる脆弱さをはらんでいる。歴史認識の違いを乗り越え、建設的な関係を築いていく努力が日韓双方に必要である。 一方、韓国は主要20か国・地域(G20)首脳会議や核安全サミットの主催国ともなった。国連事務総長には韓国人が就任している。サムスンや現代自動車など日本企業に匹敵する世界的な企業も数多く誕生した。 大統領自身、「日本はかつてのような国際的な影響力はない」と述べている。韓国が急速な経済成長を遂げた結果、以前ほど日本との関係を重視しなくなった面にも留意しなければなるまい。 日本は竹島問題を国際司法裁判所に提訴する方針だ。同時に、韓国に対して、不法占拠をこれ以上強化しないよう強く自制を求めるべきである。
◆領土問題に積極姿勢を◆
ロシアとの関係でも、同様の問題が浮上している。 一昨年11月、当時のメドベージェフ露大統領は北方領土の国後島を訪れた。今年7月にも再び首相として国後島を視察している。 ロシア側は先の大戦の結果として北方領土を領有し、しかも独自に開発を進めていることを内外にアピールしたいのだろう。 さらに、極東サハリン州で石油・天然ガス開発は着実に進んでおり、もはや北方領土への日本の支援は必要ない、と日本を牽制する狙いもうかがえる。 実際、択捉島や色丹島では、韓国の企業が開発に参画している。このままでは北方領土の「ロシア化」が進むのは避けられない。 一方で、経済・軍事力で膨張を続ける中国に向き合うためにも、日露関係の強化は欠かせない。 政府は、複眼的な視点に立って北方領土問題解決への戦略を練り直さなければならない。 韓国やロシアの主張する「歴史」が世界に拡散しつつある。日本政府は、もっと危機感を持って対処すべきである。 一昨年、米国ニューヨーク近郊の小さな町の公立図書館に「日本軍に拉致された20万人以上の女性と少女のために」などと記された慰安婦の碑が設置された。 韓国系米国人によって、こうした碑を米国各地に建設する運動が進められている。米国発の対日圧力を強めるのが狙いだろう。 慰安婦問題がここまで広がっている根底には、1993年の河野官房長官談話の存在がある。
◆誤解広める河野談話◆
日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述があり、誤解を広めることになった。しかし、結局、こうした事実を裏付ける資料的な根拠は見つからなかった。 「日本軍によって拉致され、慰安婦にされた」と米国で喧伝されているが、この談話の存在のため、日本政府が有効な反論ができないことは極めて問題である。 日本政府は、竹島、北方領土、そして慰安婦などの歴史の事実関係を、国内はもとより、広く海外にも説明すべきだ。 終戦を思い起こす8月の機会に、国際社会に日本の立場を積極的に発信し、理解と支持を獲得していくことが大切である。
(2012年8月15日01時37分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120814-OYT1T01438.htm
愛媛新聞 終戦の日 「殺さない国」であり続けよう特集社説2012年08月15日(水)
きょう、日本は67回目の終戦の日を迎える。1945年8月15日、無謀な戦争に敗れた日だ。
中国に侵攻した日中戦争、米英など連合国を相手にした太平洋戦争で310万人の日本軍兵士や民間人が死んだ。日本が近隣のアジア諸国に強いた死は2千万人に上る。 その殺し殺される加害と被害の痛切な反省から、日本国憲法は生まれた。最大の特徴は「戦争の放棄」と「戦力不保持、交戦権の否認」を国家に課した9条だ。 戦争の産物である9条は、過ちの歴史を鏡にして、理想に向けて進むべき方向を指し示す方位磁針でもある。しかし、今、その鏡に映る敗戦後67年の日本の為政者たちは、かつての反省を忘れ、「新たな戦前」に向けて突き進んでいるように見える。 野田佳彦首相は先月の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を禁じた歴代政府の憲法9条解釈について「現時点では今の解釈の下で対応するが、さまざまなレベルで議論されてしかるべきだ」と述べた。国家戦略会議の分科会から行使容認を求める報告書が出されたことを踏まえ、検討の必要性に踏み込んだ。 軌を一にするように、自民党の次期衆院選政権公約案や国民新党の新綱領も、集団的自衛権行使の容認を記した。
危険だ。看過できない。
同盟国が攻撃されれば、それを共に武力で阻止できる集団的自衛権について、9条を持つ日本は「わが国を防衛するための必要最小限度の範囲を超える」と認めない立場を取ってきた。おかげで戦後長きにわたり自衛隊員が海外で人を殺さないで済んでいる。 日本にとって集団的自衛権の容認は、世界で軍事活動をする米軍と自衛隊が一体化して、海外で戦闘ができるようになることを意味する。すなわち「戦争ができる国」「殺す国」に道を開く選択だ。 在日米軍再編見直しで、自衛隊が米軍のアジア太平洋戦略を支え、警戒監視活動や共同訓練で連携する「動的防衛協力」を強化するのも、同じ文脈に位置づけられよう。 野田政権下では、昨年末に国是である武器輸出三原則が緩められた。今、全国の反対をよそに米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイ沖縄配備が強行されようとしている。なし崩しの防衛・安全保障政策の拡大強化、対米追従だ。
こうした中、ことしの8月15日を迎えた。単に過去を振り返る日ではない。加害と被害の戦争の歴史、その産物である9条の非戦の誓いに照らし、現在を見つめ直す節目の日だ。9条の背後には2300万人余の死者がいる。日本は「殺さない国」であり続けるか、それとも「殺す国」になるのか。その選択は今を生きる私たちの責任でもある。http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201208152191.html
南日本新聞 [終戦記念日] 平和の誓い新たに外交を立て直そう( 8/15 付 )
67回目の終戦記念日がめぐってきた。先の大戦を検証し、未来を展望する日である。あらためて戦争で亡くなった人たちを悼み、平和の誓いを新たにしたい。 昨年は3月11日に東日本大震災があり、大津波後の被災地と原発事故の光景から「第二の敗戦」という見方もされた。戦災で焼け野原となった国土と二重写しとなったからである。 震災から1年半近くたつが、復興への道のりは長く険しい。戦災から立ち上がったように、国の総力を挙げて被災地をよみがえらせ、被災者の暮らしの再建を確かなものにしなければならない。
震災同様、戦争が人々に刻みつけた傷痕は深い。本紙地域総合面で「証言-語り継ぐ戦争」が始まったのは、2006年3月である。戦争体験者の高齢化が進む中、県民一人一人の体験を少しでも記録に残したいとの狙いだ。 極寒のシベリアで抑留生活を送った元兵士、部下を特攻隊に推薦したことを悔いる元教官、戦死した夫の遺骨を寺に受け取りに行った妻…。今月、掲載されている証言だけでも、戦争の断面を映し出していて胸に迫る。 「何のために戦ったのか、いまだに分からない」「戦争は悲しみしか生まない」。そうした肉声を受け止め、今日の日本を見つめ直す作業につなげたい。
■講和の意義問い直そう
今年は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して60年の節目にあたる。講和条約の現代的な意義をあらためて問い直し、戦後体制を検証することが重要だ。 条約の発効によって連合国軍の占領は終わり、日本は独立を回復して国際社会に復帰した。その後、高度経済成長によって目覚ましい発展を遂げ、先進国の仲間入りを果たした。 講和条約とともに結ばれたのが日米安全保障条約である。東西冷戦で世界の二極化が進む中、米軍の日本駐留を受け入れ、日本は米国を頂点とする西側陣営の一員となった。 日本が自国の防衛力を低く抑え、経済成長に力を入れたのは当時の吉田茂首相の選択があったためである。軽武装で、安全保障は米国に依存するという構図だ。 その構図が今日のきしみを生んでいる。講和条約で主権は回復したものの、沖縄は米国の統治下に置かれ、日本復帰は72年まで待たなければならなかった。日本にある米軍専用施設のうち約74%が沖縄に集中し、その過重な負担に沖縄県民は「差別だ」との声を発している。 最近では、米海兵隊が普天間飛行場(宜野湾市)に配備を予定する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの安全性が問題視され、沖縄の反発は強まる。 冷戦の終結、テロとの戦いなどで安保をめぐる状況は変化してきている。なかでも、中国の軍事的台頭を念頭に「アジア回帰」を進める米国は、日米の連携をこれまで以上に緊密化することを求めている。日本も南西諸島防衛などで日米の協力強化が必要になった。軍事面での日米一体化がどんどん進む。 日米同盟は日本の外交・安全保障の基軸だとしても、沖縄の声にどう向き合うのか。国民一人一人が考えることが欠かせない。
■戦後処理は終わらず
戦後67年たっても、「戦後処理」は終わっていない。そう思わせたのが、日本赤十字社と北朝鮮の朝鮮赤十字会が日本人の遺骨収集問題などで協議したというニュースである。 戦争末期の混乱の中、日本の植民地だった北朝鮮地域では、軍人や民間人計約3万4600人が死亡した。このうち、日本への引き揚げ者が持ち帰るなどした遺骨を除く計約2万1600柱が北朝鮮に残されたままといわれる。 日本政府は海外各地で戦没者の遺骨収集を進めている。だが、北朝鮮の遺骨については国交がないため手付かず状態だった。 北朝鮮はまず遺族による墓参りを受け入れると表明した。核開発問題など北朝鮮は東アジア情勢に緊張をもたらしているが、遺骨収集問題を好機ととらえ、拉致問題など日朝間の懸案の解決につなげていきたい。 韓国の李明博大統領が、歴代の大統領としては初めて島根県の竹島(韓国名・独島)を訪問した。日韓関係の冷え込みは避けられないが、沖縄県の尖閣諸島などをめぐる問題で適切な対応を取ることができなかった民主党政権の外交を象徴する出来事であり、尖閣諸島や北方領土問題に続いて政権の外交姿勢が問われる事態だ。 7月のロシアのメドベージェフ首相の国後島訪問と同様、弱体化が進む野田政権は足元を見透かされているということだろう。外交政策を立て直し、領土交渉を軌道に乗せる手腕が求められる。
終戦記念日は、韓国にとっては日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」であり、北朝鮮にとっても「解放記念日」だ。日本人は戦争の被害者であるとともに、アジアの国々に大きな迷惑をかけた加害者であることを決して忘れてはならない。 平和外交を掲げた戦後日本の歩みは世界に誇れるものだ。再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意したい。http://373news.com/_column/syasetu.php?ym=201208&storyid=42448
「日米同盟は日本の外交・安全保障の基軸」とする南日本新聞でさえも「日本人は戦争の被害者であるとともに、アジアの国々に大きな迷惑をかけた加害者であることを決して忘れてはならない」と述べている。この視点が大切だろう。
政権の不人気さを回復する絶好の材料は、隣国の問題を使うことは、どこの国も同じだ。
日本は、ソ連・中国・北朝鮮問題を使って「愛国心」を揺さぶって自民党政権の延命が図られた。ソ連で言えば、サハロフ・ソルジェニツィン問題とハンガリー・チェコ・アフガン侵略があり、中国は天安門事件と民族問題、北朝鮮は将軍様と拉致問題、核問題は継続中だ。
このことは明治以来一貫していた。明治期はロシア脅威論と日清日露戦争と朝鮮植民地、大正期は第一次護憲運動に対して第一次世界大戦参戦は天佑論、革命ロシアへの脅威論とシベリア出兵、戦前の昭和期は生命線論と満州事変と三反(反共・反資本主義・反ファシズム)主義論と日中戦争、ABCD包囲網と鬼畜米英論と対英米戦争だった。戦後は共産主義の脅威論・防波堤論・ドミノ論と朝鮮戦争とベトナム戦争だ。最近ではテロの脅威論とアフガン・イラク戦争だ。
朝鮮半島については、休戦中の南北間で行われているのは互いの脅威論だ。この感情については、日本人は、本当のところでは理解できないだろう。
かつて韓国を訪問した時、地下鉄の車両に「スパイを摘発しろ」とシールが貼られていることを教えてもらった。金浦空港に小銃を構えた兵士が立っていた。ソウル市内の高層住宅街が北に向かって林立していた。防御のためだと聞いたし、高速道路には壁がないのは、滑走路として使用するためだと聞いた。徴兵制があり、それが弁当を2つ持っていくほど夜遅くまで学校で勉強するという受験戦争に驚いた。浪人などはできないのだと。
北朝鮮については、さらに判らない。判るのは韓国以上の日帝批判がある。日米安保体制下にあるからだ。だが、やっていることは戦前の日帝と同じか?
韓国については、北朝鮮と同じように日帝批判はある。天安の独立記念館で、そのことを学んだ。だが同時に朴~全政権のファッショ政権のベトナム戦争参加や弾圧に抵抗してきた人々の「思い」も判った。韓国の「国史」に書かれた「愛国心」や国旗に対する思いも日本と違うことが判った。8.15を「光復節」「解放」という。日本は「終戦」が主流で、「敗戦」は少数だ。韓国の三大英雄は、ハングルをつくった世宗、秀吉の朝鮮出兵(侵略)=文禄・慶長の役(壬申倭乱)に反撃した李舜臣、伊藤博文を暗殺したとされている安重根であるが、この名前を知っている日本人は多くはない。
中国は近代において列強の侵略に抵抗した魯迅や孫文、そして毛沢東や周恩来がいる。特に抗日運動を指導した毛沢東は絶大だろう。文化大革命で大失敗をしても、だ。こうした抗日闘争は中国人の誇りではないだろうか。日本人にはなかなか理解できないのかもしれない。だが、この愛国主義を利用して現政権は、その維持を図っている。愛国主義が強まることは政権維持にとって必要だが、高まりすぎると反政府運動に発展するという矛盾にあることも事実だろう。
それにしても戦前の侵略戦争に反対した人々が国民的尊敬を集めていない国ニッポンというのは、国際的にみると奇異なことではないだろうか。あのアメリカではパトリオットとして兵器の名前にすらされているのだ。日本でいえば「ハンセン」というのではないだろうか。しかし、当時は「国賊・非国民」だった。その歴史は、形を変えて現在進行形ではないだろうか。
「ジコセキニン」「バッシング」だ。
ソ連においては、スターリンが日露戦争の報復として日ソ中立条約破棄を米英に認めさせ(ヤルタ協定)、南下し、シベリア抑留や北方領土を奪うなど、「社会主義」の名に値しない覇権主義という蛮行を行った。反ファシズム運動の裏で国内では大虐殺というヒトラー顔負けの民主主義と人権破壊を行っていた。
現在のプーチン・メドヴェージェフ政権はテロとの戦いを口実に「独裁化」している。その政権基盤のために北方領土の固定化を狙った訪問を実行した。これについては李大統領も同様の手法をとっている。
台湾についても、アメリカとの関係を維持しながら、中国本土との関係をどうするか、国論は分かれている。日中平和友好条約を調印した日本にも、中華人民共和国との関係より中華民国の台湾との関係を維持しようという勢力の動きが、依然としてある。
これで日本周辺をめぐる諸国を一覧してきた。共通するのは、日本国との領土問題が「未解決」であるとの「認識」があることだ。これが「紛争の火種」になっているのだ。何故、「火種」が残っているか。それは完全に火種を消すことができなかったからだ。
ということは、この「火種」に対してどのような「水」をかけて冷まし、火消しを行うか、それが日本国民に投げかけられていることを意味しているのだ。竹島と北方領土の実行支配は韓国・ロシア。尖閣の実行支配は日本という構図の違いがあるが、共通しているのは二つ。
最大の問題は、戦争責任と戦後補償を明確にしてこなかったことだ。もう一つは、それに関係して戦後の枠組みをアメリカという思考回路をとおして組み立てたことだ。
アメリカは戦後の世界戦略を天皇の政治的利用を行いながら、日本を反共の防波堤にした。反共で一致していた天皇も国体護持のためにアメリカを利用した。沖縄の米軍占領の固定化を進言したのは、その好例だ。天皇は吉田茂・岸信介などを使ってだ。吉田が旧日米安保条約を一人で調印したことは、その象徴だ。それを戦犯容疑者であった岸も命と引き換えて反共のバネを最大限活用し、吉田の安保体制を日本国内から「極東」へと拡大するなど、変質させた。
こうしてサンフランシスコ条約と日米安保条約体制下の日本は、国民をアメリカに守られているかのように思わせながら、実はアメリカの世界戦略のなかで位置づけられ、日本国政府は、その枠内でのみの行動が許されることとなった。日本独自外交政策の力量が蓄積されなかったことは最大の問題だ。
日本国憲法を持つ日本国のこうした戦後史が、竹島・尖閣・北方領土問題の解決を遅らせたのだ。
今日の「朝日」と「毎日」には怒りを通り越して呆れてしまった。
橋下維新の会を既成政党へのアンチ勢力として持ち上げてきたことを、自らの報道で否定したニュースを臆面もなく流したからだ。これで橋下維新の会そのものが名実ともに既成政党として国民の前に現れることとなった。
以下、その部分を示してみよう。
まず「朝日」から
一面のトップに「橋下新党 旗揚げへ 月内に準備本格化 国会議員20人参加」と大見出しで、「維新が政党要件を満たして次期衆院選に臨めば民主、自民の2大政党に対抗する第3極勢力になるとみられ、政界の流動化が加速しそうだ」と4段の記事を書いている。
「橋下氏は自らの立候補は否定しているが、保守を基軸とする政界再編を目指しており、自民党の安倍晋三元首相らに中核議員として参加を要請している」
「維新が政党要件を満たして次期衆院選に臨めば民主、自民の2大政党に対抗する第3極勢力になるとみられ、政界の流動化が加速しそうだ。」
次に2面でも
「橋下新党政界あたふた 第三極へ保守結集狙う 維新、安倍元首相に秋波」との大見出しで、以下のような記事を書いている。
「大阪維新の会が政党化に踏み出した。民主、自民の2大政党と一線を画した第3極の中核として、次の衆院選に臨む構えだ。消費増税を推進する民主、自民の大連立路線か、維新の会を軸にした3極結集路線か」。
「政党結成には現職5人確保が必須条件。松井氏は『悔いなく戦うために既存政党と同じ扱いをしてもらえる態勢をつくる』としており、民主党の離党予備軍は連携しやすい相手」。
「ただ、維新の基本戦略は、既存政党から飛び出す議員をかき集めることではない。狙いは『政治の中心の中心を仕切ってきた人』(橋下氏)との連携だ。「僕らを利用して日本を変えてください」。今年4月、松井氏らが自民党からの離党を促し、ひざ詰めで迫った相手は安倍晋三元首相だった」。
「安倍氏も14日、朝日新聞の取材に『大阪維新の会は日本を大きく変えるパワーがある。政策でも一致点を探した方が早い。松井知事とは様々な場面で意見交換をしている』と語り、連携に意欲を示した。なぜ安倍氏なのか。維新幹部はこう説明する。橋下氏は思想に関わる発言については慎重だが、自民党出身者が大半を占める松井氏ら維新幹部は『保守勢力の結集』を目標に掲げる。幹部のひとりは『安倍氏はミスター保守。橋下氏も思いは同じだ』と語る」。
次に「毎日」から
維新:安倍元首相に合流要請 国政進出にらみ幹部が接触毎日新聞 2012年08月15日 20時05分(最終更新 08月15日 23時02分)
地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)の幹部が次期衆院選での国政進出をにらみ、自民党の安倍晋三元首相に合流を要請していたことが15日分かった。安倍氏は同日、維新との連携について「維新は日本を変えるパワーを持っている。目指す政策をどう実現させていくかという観点から考えていきたい」と含みを残した。東京・九段北の靖国神社への参拝後、記者団に語った。 一方、民主党離党議員でつくる衆院会派「改革無所属の会」に所属する横粂勝仁氏は15日、東京都内で記者団に対し「維新への合流は十分あり得る。維新の幹部と話をしている」と合流に意欲を表明。維新との連携を図るため、「道州制型統治機構研究会」を発足させた民主党の松野頼久元官房副長官は同日、地元・熊本市内で記者団に対し「現段階ではまだ勉強会だ」と述べるにとどめた。【福岡静哉、澤本麻里子】
http://mainichi.jp/select/news/20120816k0000m010039000c.html
さてどうだろうか。マスコミは、この間、ことあるごとに、金権腐敗の権化であった自民党政権への不信の受け皿として小選挙区制下の二大政党政治を政権交代可能な制度と煽ってきた。
しかし、政権交代が実現したものの、自公旧政権勢力の政治能力の欠如ぶりと野田民主党政権の自民党化、そして民自公3党合意によって、増税と社会保障の一体改革のデタラメさとウソとペテンがますます浮き彫りになってきた。
そうして「近いうちに」解散総選挙がとり立たされるようになり、二大政党の受け皿として橋下維新の会を持ち上げ、煽ってきたことが、安倍元首相との連携などによってますます、その破綻ぶりが浮き彫りになってしまった。
もはや橋下維新の会は、「チョー既成政党」「チョーハンドー」とマスコミによって天下に暴露されることとなった。
もはや「既成政党VS橋下維新の会」などという構図が成り立たないことが、マスコミによって天下に認められることとなったのだ。
8月6日ヒロシマの日に全国紙がどのような社説を掲げたか、観てみた。以下が、そのテーマだ。
読売 原爆忌 核の脅威阻止へ不断の努力を(8月6日)
産経 広島原爆の日 政治色薄い式典歓迎する(8.7 03:26)
日経 日米の連携で核兵器廃絶を(2012/8/6 4:00)
朝日 核廃絶と脱原発/破滅リスクのない世界へ (8/6 4:00)
毎日 原爆の日 「核との共存」問い直そう(8月06日 02時36分)
東京 原爆忌に考える ヒロシマに耳澄まし(8月6日)
愛国者の邪論は、
1.核兵器の使用は国際法に違反しているとの立場だ。
これについては、
(1)森田俊男編『増補版人類の良心 平和の思想』(平和文化)、森田俊男『国連学習のために』『国連憲章・国際法を学ぼう』(平和文化)などが参考になった。
(2)1995年ハーグ国際司法裁判所における広島長崎市長の意見陳述が示唆に富んでいる。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/hiraoka/7/7.html
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/1995_1107_hiraoka.htm
そのような立場で、上記の社説が書かれているか、どうかだ。言葉を探してみた。残念なことに、原爆投下、核兵器の使用が人道法・国際法の視点から違法であるとの立場から捉えた社説はなかった。
2.日本の国是である非核三原則の立場から論じたものはどうだったか。これまたなかった。北朝鮮や中国、イラン、テロの核の脅威を論じるものはあるが、これらを封じていく絶好の視点は、非核三原則であって「核抑止力」論ではない。
日本から米国の核兵器持込の疑惑を除去する唯一の方法は、非核三原則の立法化だ。すでに非核神戸方式があるが、非核三原則の条例化が全国の自治体などで行われていたら、米軍基地への核の持込は不可能になるのだろう。横須賀市が神戸方式を採用していたら、と思う。また非核地帯条約の拡大についても、「核兵器禁止条約」の締結から核兵器廃絶への大きなステップになるのではないだろうか。
3.では日本国の最高法規である憲法第9条、平和的生存権、幸福追求権の視点から論じたものはどうだったか、これまたなかった。国是についても、国家の最高法規についても、日本のマスコミは冷淡であることが証明された。国際紛争を解決する手段として、脅しや武力行使や戦争などは放棄しはじだ。その代わりに何を使うか、非軍事的手段を使うとしているのが憲法第9条なのだが、どうも理解されていないようだ。
現代の武力紛争は、無人兵器の採用など、ますます非人道的な様相を呈してきている。攻撃する側は「人道的」かもしれないが、攻撃される側は、どうだろうか。ますます、その非人道性を高めてきていないだろうか。
「テロ」への「脅威」、北朝鮮や中国の脅威を強調すればするほど、日本国が使うべき手段は、何か。そのことを正々堂々と書かない全国紙は、国民との連や国際的信頼は生まれてこないだろう。
4.「核抑止力」論にもとづく兵器開発などは、ますます非人道的化しているのではないだろうか。
5.ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ・ゲンパツ・ヒバクシャを一つの連鎖のなかで繋いだとき、日本国民に問われてくるのは、「加害者と被害者にはなるまいぞ」という固い決意だ。ではどうするか、核兵器に転用が可能な原発、地震国日本におけるゲンパツの安全性への疑義を、その「安全神話」で取り繕うのはもう卒業しようということだ。
このことは当初は実験用を含めて3発あった核兵器が、運動と財政危機によって減少してきたとはいえ、今もなお1万8千~9千発も存在している核兵器、これこそが「核兵器抑止力」論、「核兵器平和維持神話」論の無意味さ示す好材料である。同時に、核兵器の開発と維持に測ることが出来ないほどの血税が使われ、軍需産業の大儲けを保障していることと同じように、ゲンパツムラの利益も保障されてきたのだ。
そういう意味で核兵器もゲンパツもなくすことで、それらの利益を国民に回すことについて、また「核兵器抑止力」論・「核兵器平和維持」論と「ゲンパツ安全神話」論によって、日本国と国民が加害者になる可能性を想定できないことの愚かさについて、そろそろ自覚したほうが良いのではないか?
そういう意味で、国際法に基づく論陣、非核三原則と憲法9条を論ずる視点を、解明していく必要性を感じさせられた社説であった。
ヒロシマもナガサキ ビキニ フクシマも ヒバクシャつくる核の怖さに
以下、各紙の社説、原水禁系と原水協系の原水禁世界大会の声明、広島・長崎市の宣言を掲載しておくことにした。各紙の社説が、あまりに不正確に、自社の都合のいいように紹介していたので、多くなってしまったが、告発的に紹介することとした。
読売 原爆忌 核の脅威阻止へ不断の努力を
広島は6日、長崎は9日に原爆忌を迎える。被爆の惨禍を世界に伝え、平和への誓いを新たにしなければならない。 原爆投下から67年。被爆者の高齢化が進み、平均年齢は80歳に近づいている。 広島市は今年、被爆の実態を証言する「語り部」の後継者を募り、育成していく事業に着手した。被爆者から体験を聞き、原爆投下の歴史的背景や核兵器の現状を学ぶ。そんな研修を終えると、被爆体験伝承者として認定される。 あの日の悲劇を次世代に着実に伝えていく意義は大きい。
オバマ米大統領は3年前、「核兵器のない世界」の実現へ米国は行動する責任があると明言し、被爆者にも希望をもたらした。 しかし、核兵器を巡る状況は決して好転したわけではない。
昨年2月に米露間で新戦略兵器削減条約(新START)が発効したが、世界には依然として約1万9000発の核弾頭がある。一層の核軍縮が必要だ。
一方で憂慮されるのは、イランの核開発疑惑である。イランは、国連安保理決議を無視し、核兵器開発につながる濃縮ウランの製造を進めている。国際原子力機関(IAEA)が求める疑惑施設への査察も受け入れていない。 核拡散防止条約(NPT)加盟国でもあるイランで、事実上の核開発が進むなら、NPT体制そのものが大きく揺らぎかねない。 過去2回、核実験を行った北朝鮮は今春、国際社会の警告にもかかわらず長距離弾道ミサイルの発射実験を行った。北朝鮮の核とミサイルの脅威は増すばかりだ。
厳しい現実を踏まえれば、日本は、被爆国とはいえ、米国の核の傘に頼らざるを得ない。 そうしたジレンマを抱えながらも、広島、長崎の被爆の実態を伝え、軍縮と核不拡散に向けて努力を重ねていく必要がある。それが日本に課された使命と言える。
疑問なのは、東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、一部で核軍縮や平和への希求に絡めて脱原発が主張されていることだ。 原発も大事故に至れば放射性物質の拡散を招くが、大量殺りく兵器と原子力の平和利用とを同列に論じるのはおかしい。 原発事故は、安全対策をしっかり講じれば防ぎ得る。事故の教訓を生かし、世界の原発の安全性向上に貢献することが、むしろ日本の責務ではないのか。 原発については、中長期的なエネルギー政策の視点から、冷静に議論を重ねていく必要がある。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120805-OYT1T00982.htm
産経 広島原爆の日 政治色薄い式典歓迎する
広島で67回目の原爆の日を迎えた。野田佳彦首相は平和記念式典で、原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠をささげ、原発政策について「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と述べた。 昨年、菅直人前首相が打ち出した「脱原発」方針を引き継いでいるが、野田首相はそれを中長期エネルギー政策の中に位置づけ、緩やかな変化を望んでいるように見受けられる。 昨夏の66回目の広島原爆の日の式典では、菅前首相があいさつの3分の1以上を割き、エネルギー政策の「白紙からの見直し」や原子力「安全神話」への反省、「原発に依存しない社会」などの持論を展開した。鎮魂の場の「政治利用」とも批判された。 それに比べ、野田首相のあいさつは極めて抑制的な表現だ。
松井一実広島市長の平和宣言も「脱原発」の是非に踏み込まず、「市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策」の早期確立を政府に求めるにとどめた。北東アジアの不安定な情勢にも言及し、核兵器廃絶へのリーダーシップを国に要望した。 松井市長は国名を挙げていないが、北東アジアの不安定な情勢が中国の軍拡や北朝鮮の核開発を指していることは明らかだ。秋葉忠利前市長時代は、米国の「核の傘からの離脱」を求めるなど、反米色の強い平和宣言が多かったが、松井市長になってからの平和宣言はイデオロギー的な色彩が薄まっている。 こうした傾向を歓迎したい。
式典に核保有国の公式な代表が出席するようになったことも、最近の特徴だ。今年は、ルース駐日米大使が一昨年に続いて2度目の出席で、英仏両国は初めて駐日大使が出席した。ロシアは1等書記官が出席し、中国は欠席した。
これまで、どちらかというと米国の核政策を一方的に批判してきた党派性の強い反核運動は、ますます影響力を失うだろう。 「脱原発」と「反核」を安易に結びつけてはならない。電力事情や経済上の理由だけでなく、原子力の技術継承の必要性からも、性急な脱原発は危険だ。北東アジア情勢が緊迫する中、米国の核抑止力の重要性も変わっていない。 原爆の日は、遺族や国民が犠牲者の霊を静かに弔う鎮魂の日であることを忘れてはならない。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120807/plc12080703270004-n1.htm
日経 日米の連携で核兵器廃絶を
広島と長崎に原爆が投下されて67年目の夏を迎えた。惨禍を繰り返さないためにはどうすればよいのか。犠牲者を悼むとともに、未来へ目を向けたい。 原爆使用を決めたトルーマン米大統領の記念館が生まれ故郷のミズーリ州にある。「同じ状況になれば同じ決断をする」。彼が戦後に書いた手紙が展示されていた。
核兵器がなくなれば世界秩序は維持できない。そう信じる人は米国だけでなく、ロシアにも中国にもなお多い。この状況をまず変えなくては核廃絶は望めない。 米国には変化の兆しがある。3年前、オバマ大統領は歴代政権で初めて「核兵器なき世界」を目指す方針を打ち出した。「核を使用した唯一の国として行動を起こす道義的責任がある」と明言した。 背景には打算がないわけではない。国と国との戦争と異なり、神出鬼没のテロリストには核による抑止力は通用しない。
逆にテロ組織に核弾頭を強奪されれば同時テロをはるかに上回る被害をこうむりかねない。米軍にも「損得勘定が合わない」と考える人が増えてきている。 オバマ政権はロシアと戦略兵器削減条約(START)を締結・批准した。今年5月の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議では欧州に配備した戦術核の削減の検討に着手することで他の加盟国と合意した。 本音は何であれ、こうした具体的な成果は評価できる。国際政治の現実を考えれば、核保有国が自ら動かなければ核廃絶への道は開けない。反核活動家には核保有国、とりわけ米国を敵視する人が多い。むしろ連帯を探るときだ。 その意味で広島での式典に米国の代表が2年前から、フランスなどの代表が今年から参列するようになったのは歓迎だ。今年はトルーマン氏の孫も初参加する。 米国の次の目標は核削減に後ろ向きな中国を軍縮交渉のテーブルに着かせることだ。日本も外交交渉で協力できることがたくさんある。日米の連携を強めたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44595290W2A800C1PE8000/
朝日 核廃絶と脱原発/破滅リスクのない世界へ
広島はきょう、長崎は9日に、被爆から67年を迎える。 核時代に入った第2次大戦の後、世界戦争は起きていない。それは核抑止の戦略が有効だったから、との意見が根強い。 だが実は、世界は何度も、核戦争へ転がり落ちそうになったことがある。 そのひとつが、1983年に起きた。旧ソ連軍の早期警戒システムは、米国が5発の核ミサイルを発射したとの情報を探知した。 担当官は、米国の先制攻撃なら何百発も飛ばすはずで、誤報の可能性が高いと思った。悩んだすえ、自分の判断を信じ、情報を上部に報告しなかった。後にやはり誤報とわかった。
米ソが緊張関係にあった冷戦時代だけに、彼の機転がなければ、旧ソ連は核発射ボタンに手をかけたかも知れない。 放射能禍をもたらした福島での原発事故の背後には、本当に深刻な事態を「想定外」とする慢心があった。核兵器も同じで、そのリスクの軽視は、破滅につながりかねない。 だからこそ、原爆と原発事故を体験した日本には、歴史的使命がある。核エネルギーによる両方の惨事を知る身として、そのリスクを世界からなくしていく役目である。
■抑止にも「安全神話」
核兵器がある方が世界を安全に保てる。そんな核抑止の「安全神話」に潜む落とし穴を直視したい。 判断ミスによるリスクに限らない。核拡散が進むいま、地域紛争で使われる恐れもある。 核武装したインドとパキスタンは、領土やテロ問題などで対立している。パキスタンは政情も安定しない。 中東では、イスラエルが事実上の核武装国である。敵対するイランが核を持った場合、地域紛争で使われるリスクは南アジアを上回る事態も予想される。 北東アジアでは北朝鮮が核実験をしている。独裁体制の崩壊などの有事に、自暴自棄や、軍の暴走などで核使用に動く心配は消えない。 こうしたなか、被爆地からの言葉が、核抑止のプロたちにも、響き始めている。 核の恐怖をなくす唯一の方法は核をなくすことだ、というメッセージである。 世界各地の政府や軍の元幹部らによる国際NGO「グローバルゼロ」は、2030年までの核廃絶を提唱する。それを具体化するために、米国の元核戦力部隊指揮官らが、米ロは10年以内に核兵器を8割減らすべきだと提言をまとめた。 核は、安全保障上の利益より危害の方が大きいからだ。
■隠せぬNPTの限界
原発利用を核拡散から切り離せるという「安全神話」も、極めて疑わしくなっている。 世界は、核不拡散条約(NPT)を足場に、核保有国を増やさない政策を重ねてきた。 核保有国に軍縮義務を課す一方、その他の国には保有を禁じる。非核を堅持すれば、原発など原子力利用で協力を受けられる。これが、約束の基本だ。 確かにNPTは核拡散の防止で重要な役割を果たしてきた。だが肝心の核軍縮は期待ほどに進んでいない。保有国が核抑止にこだわり続けるなか、同様の力を持とうとする国が相次ぐ。 NPTのもとで原子力を利用する権利が強調され、これがまた拡散リスクを高めている。核燃料のためのウラン濃縮、プルトニウム抽出施設は軍事目的に転用できるからだ。 典型例がイランだ。NPT加盟国であることを盾にして、核武装につながりかねないウラン濃縮を進めている。 核軍縮は進まず、核拡散もなかなか止められない。NPTの限界が見えるなか、原子力利用国を増やすことが得策なのか。悪くすると、NPTが原子力利用を正当化するだけの条約になりはしないか。
■新しい平和と繁栄
脱原発をグローバルな潮流にする試みが、核不拡散、核廃絶の双方にプラスとなる。そこにもっと着目すべきだ。 いまこそ、発想を変えるべきときである。 核兵器を持たず、しかも脱原発を選ぶ国を、再生可能エネルギーや効率的な天然ガス利用などで国際的に支援する。 非核でいることのメリットを、原発ではない電源による国づくりへと切り替えていく。それを通じて、核廃絶と地球温暖化防止の一挙両得をねらうのである。 非核国の原子力利用を制限する以上、核保有国は軍縮を加速する責任が一層、強まる。原発を多く使う国は、原発依存からの脱却を急がねばならない。 軍事用であれ民生用であれ、核エネルギーへの依存をできるだけ早くなくすことで、リスクのない平和と繁栄の姿へと変えていく。 そうした未来像を、核惨事を知る日本から発信してこそ、世界は耳を傾ける。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1?
毎日 原爆の日 「核との共存」問い直そう
広島は6日、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。昨年3月の東京電力福島第1原発事故を機に、原子力の平和利用に対する疑問が膨らみ、被爆地からもエネルギー政策の転換を求める声が高まっている。私たちは今、核とどう向き合うのか問い直されている。
両市の平和式典で読み上げられる平和宣言は昨年に続き、原発事故を反映したものとなる。広島市は平和運動を率いた被爆者、故森滝市郎氏の「核と人類は共存できない」という言葉を引用し、安全なエネルギー政策の早急な確立を政府に要望する。長崎市も政府にエネルギー政策を明確にするよう呼びかける。
被爆者団体や反核・平和団体でも「脱原発」の主張が勢いを増している。日本原水爆被害者団体協議会は原発に頼らないエネルギー政策を求める声明を発表した。原水爆禁止日本国民会議は福島で開いた今年の世界大会で脱原発を強調し、原発事故の被害者との連帯をアピールした。 被爆体験を持つ日本は戦後、核兵器の非人道性を世界に訴えてきた。一方で、1955年に成立した原子力基本法で原子力の平和目的の利用を規定し、核兵器には反対しながら原発は推進するという道を歩んだ。
しかし福島の出来事は、平和利用でも事故が起きれば長期にわたって深刻な被害をもたらす原子力の恐怖を見せつけた。首相官邸前で毎週行われている反原発デモの広がりは、そうした市民の意識を映し出している。核による被害という共通性を軸に、広島・長崎の被爆者と原発事故の被害者との間で連帯が生まれてきたのは自然なことだ。
核軍縮を巡る状況は依然厳しい。世界には約1万9000個の核兵器があると推計される。北朝鮮やイランなど核開発を進める国もあり、脅威は弱まっていない。09年にオバマ米大統領が核のない世界を目指すと宣言したのを機に国際社会で核軍縮の機運が高まったが、経済危機の対応などに追われるうち、その熱気は消え去ってしまった。核軍縮の動きを再び前に進めるよう、各国は努力を続けていかなければならない。
一方、広島、長崎両市が呼びかけた平和市長会議は30周年を迎え、2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟自治体は5300を超えた。市民約10億人に相当する。粘り強い訴えは確かに世界に共感を広げている。
日本は、核兵器の恐ろしさだけでなく、原発事故の経験や被害の実相を世界に伝えていく責任を担っている。「核と人類は共存できない」という言葉の重みを今一度かみしめたい。その原点に立ち、平和利用も含めた原子力の問題を根本から議論していく必要がある。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120806k0000m070125000c.html
東京 原爆忌に考える ヒロシマに耳澄まし
原爆忌。未来への希望をうたう平和宣言に、ことしも「脱原発」の言葉はないようです。もっとヒロシマを語ってほしい。私たちは耳を澄ましています。
3・11。言葉は瞬時に凍り付き、閉ざされた記憶が一気に溶けだしました。過去、現在、そして未来が重なり合ったとき、そこに何が見えたのでしょう。
広島市安佐南区、広島共立病院名誉院長の丸屋博さん(87)は、御庄博実(みしょうひろみ)の筆名を持つ詩人です。岡山医大を結核で休学中に詩作を始め、「原爆詩集」で知られる峠三吉とサークル誌を編んだこともありました。
◆黒い津波はすさまじく
六十七年前のあの日、丸屋さんは、旧制広島高校から進んだばかりの医大を空襲で焼かれ、ふるさとの山口県岩国市に帰省中でした。陸軍燃料廠(しょう)で働く妹に、広島が壊滅したと聞かされ、旧友や幼なじみの安否を気遣い、丸屋さんが旧国鉄山陽線に飛び乗ったのは、原爆投下の二日後でした。 広島までは電車で入れず、一つ手前の己斐駅(今の西広島駅)で降ろされました。建物はすっかりなぎ払われて、遠く瀬戸内海に浮かぶ似島が見渡せました。 熱で曲がった路面電車の線路を伝い、異臭の中を一日歩き回っても、友人、知人を見つけることはかないませんでした。 夕暮れて、駅へ戻ると、足もとからか細いうめき声が聞こえてきます。あおむけに横たわる半裸の若い男性の胸のあたりに、小さな穴が開いていました。血の混じったあぶくと一緒にハエが一匹、そこを出入りしているのが見えました。その時に目にしたすべてのものが、廃虚と化した東北のまちに重なりました。残留放射能の見えない渦をかき分けて、親しい人を捜し歩いた長い一日の記憶が、です。 黒い潮の土煙のすさまじさに/広島の記憶が重なった/僕はテレビの画面で凍った(黒い津波) 愛用のパソコンに向かって言葉を絞り出すまでに、数日間の葛藤がありました。 内科医の丸屋さんは、被爆者の健康を見守り続けてきた人です。放射線の遺伝的影響に関する論文も書きました。そして、自らも被爆者として、次々に発症するがんと闘い続けています。 「原爆も原発も同じこと。人間には制御できないもの。子どもたちの未来を奪うもの」だと痛感しています。
◆歩かされた長い道
丸屋さんはことし六月、石川逸子さんと共著の詩文集「哀悼と怒り」(西田書店)を上梓(じょうし)しました。 何に対する怒りでしょうか。丸屋さんにも分かりません。 無慈悲な自然、暴走する科学、事故を起こした電力会社や機能不全の官僚機構、無責任な政府だけではないでしょう。目先の豊かさを追い求め、哀(かな)しい過ちを繰り返す、人間そのものへの怒りなのかもしれません。 この道も何年か歩いてきた/いや 歩かされてきた 道/行く先には果てしなく広がる/プルサーマルという沃野(よくや)があるという/夢のエネルギー政策という呪文(青い光、詩集「原郷」より) 原爆忌の式典で広島市長が読み上げる「平和宣言」は、昨年も格調高い名文でした。ところが、原発事故にはもう一歩、踏み込むことができません。 つい先月まで、ことしは「脱原発」に触れると言いながら、やっぱり「安全なエネルギー政策の方針を一刻も早く確立するよう政府に求める」程度にとどめることになりそうです。平和宣言だからでしょうか。でも平和とは、戦争がないということだけではないはずです。 広島平和記念資料館には、原発や原発事故に関する展示がありません。ボランティアガイドを務める橘光生さん(71)は「ここに答えはありません」と考えます。 橘さんは「唯一の被爆国日本に五十基もの原発があることは、海外の目には奇異に映るでしょう」と来館者に語っています。 しかし結局、悲しみも怒りも感動も、人それぞれのものだから。誰かに教えられるものではなく、見て、聞いて、感じて、考えて、自分で見いだすものだから。
◆核の怖さを知るまちに
ならばなおさら、核の怖さを知り尽くしたヒロシマの言葉と声を、もっとたくさん聞かせてほしい。ヒロシマの怒りやナガサキの祈りにもっと近づきたい。フクシマにも届けたい。 8・6。平和宣言に耳を澄まして、今はまだ言葉にならない何かを感じ、何かを始められるよう、ヒロシマに心を傾けます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012080602000106.html
原水爆禁止2011年世界大会 国際会議宣言
米国による広島・長崎への原爆投下から66年目をむかえた。我々は、「核兵器のない平和で公正な世界」の実現をめざして行動することを、あらためて世界によびかける。
今年3月、東日本を襲った地震と津波は、2万余の人命を奪うとともに、広範な地域に壊滅的被害をあたえ、福島第一原子力発電所では最悪レベルの過酷事故が発生した。我々は、すべての被災者に心からの御見舞いと哀悼の意を表するとともに、被災地への支援と復興、原発事故の収束、放射線被害から国民をまもるたたかいに立ち上がっている人びとに心からの連帯を表明する。
核兵器全面禁止・廃絶をもとめる声は、世界の市民、自治体、諸国政府の間でも大きくひろがり、「核兵器のない世界」をどう実現するのかが、焦点になりつつある。
2010年核不拡散条約(NPT)再検討会議で合意された最終文書は「核兵器のない世界」の達成を決議し、そのための特別の努力を訴えた。昨年の第65回国連総会では、核兵器禁止条約の締結を求める決議が圧倒的多数の賛成で採択された。非同盟諸国は核兵器廃絶の進め方について議論する国際会議を提案している。平和市長会議をはじめ多くの国際組織が、核兵器禁止条約の交渉開始を求めている。
我々は、核保有国をはじめすべての国の政府に、ただちに核兵器禁止条約の交渉を開始することを求め、世界各国で行動してきた。「核兵器全面禁止のアピール」署名をはじめ様々な行動が、広範な人々の賛同を得てすすめられている。これらをいっそう発展させ、国連など諸国政府とも共同して、核兵器禁止条約の即時交渉開始とすみやかな締結を実現しよう。
これまでの国際合意を実行にうつすことが求められているにもかかわらず、ふさわしい前進が築かれていない。核保有国の責任はとりわけ大きいといわなければならない。米オバマ政権が未臨界核実験をくり返していることは、自らの誓約にも、国際合意の精神にも反するものである。
「核抑止」政策を維持するかぎり、「核兵器のない世界の平和と安全」を実現できないばかりか、それに対抗する核兵器保有を誘引し、核兵器拡散の原因ともなる。その矛盾と危険性は明白である。我々はあらためて、「核抑止」政策からの決別をつよく要求する。
核兵器禁止条約の交渉開始とともに、核兵器の使用禁止、同盟国など外国に配備された核兵器の撤去、他国への核兵器の持ち込み・配備の禁止、非核地帯の創設と拡大を求める。
核兵器の警戒態勢の解除、戦略核兵器のさらなる削減と解体、戦術核兵器の廃棄、核兵器近代化と新型核兵器開発の中止、ミサイル防衛計画の中止を要求する。
NPT再検討会議で合意されたように、包括的核実験禁止条約の早期批准・発効、核分裂物質生産禁止条約の即時交渉開始と締結、中東非核兵器地帯のための国際会議の開催(2012年)が実行されるべきである。
北朝鮮の核兵器問題についても、六カ国協議が早期に再開され、対話による平和的解決がはかられるべきである。
広島・長崎の被爆を原点とし、核兵器の廃絶を求めてきた我々は、福島第一原発の事故がもたらした放射能汚染と放射線被害の深刻なひろがりを深く憂慮する。この事故は、原子力の「安全神話」の欺瞞と原発の危険性を明らかにした。持続可能な開発のために必要なエネルギーを、原発に頼らず、将来の世代に危険を残すことなく、調達することは可能である。日本をはじめ世界でひろがる原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を要求する運動との連帯を発展させよう。
日本の運動は、核兵器禁止条約の締結にむけ被爆国にふさわしい役割を果たすよう日本政府に要求するとともに、核兵器持ち込みを認める米国との「密約」の破棄と「非核三原則」の厳守を求めている。沖縄・普天間基地をはじめ在日米軍基地の撤去を要求し、空母など原子力艦船の配備と寄港に反対している。我々は、アメリカの「核の傘」からの離脱と日本の非核化、憲法9条を守り活かすことをめざす日本の運動を支持し、連帯する。
いまだ戦火と銃声はやまないものの、もはや大国が軍事力で世界を動かせる時代ではない。我々は、武力の行使とその威嚇に反対し、紛争の外交的・平和的解決を求める。仮想敵を想定した軍事同盟ではなく、国連憲章にもとづく平和の世界秩序を支持する。
自由と民主主義、尊厳を求めて立ち上がった北アフリカ、アラブの諸国民に心からの連帯を表明する。NATOによるリビア攻撃の停止と停戦、問題の政治的解決を要求する。
イラク占領とアフガニスタンでの軍事作戦に反対し、外国軍の撤退を求める。パレスチナ人民の独立国家樹立をふくめた民族自決権のためのたたかいを支持する。主権を守り、外国軍事基地に反対し、その撤去を求める運動と連帯する。枯葉剤など戦争被害の救済を求める運動と連帯する。
我々は以下の行動を世界によびかける。
―「核兵器全面禁止のアピール」署名をはじめ、核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際的、地域的、国内的行動を多彩に発展させ、国連総会や次のNPT再検討プロセスなどを節目にその結集をはかろう。
―核兵器の撤去、非核化などを求める運動をそれぞれの国、地域で発展させ、「核抑止」政策を打ち破る世論と運動をひろげよう。
―広島・長崎の被爆者への援護・連帯、核実験被害者などあらゆる放射線被害者への支援を強化し、その被害の根絶をめざそう。核兵器と原発との関係に留意し、原子力の軍事利用に反対するとともに、原発依存からの脱却と自然エネルギーへの転換を求め、広範な運動との連帯をつよめよう。
「核兵器のない平和で公正な世界」の実現は、反戦平和、民主主義、人権の擁護、地球環境の保護、女性の権利と地位の向上、飢餓・貧困・失業・非識字・社会的不正義の解決、軍事費と軍備の大幅な削減、福祉の向上などを求めるすべての人々の共通の願いである。これを実現し、未来をきりひらくため、被爆者とともに、未来を担う青年たちとともに、力強く前進しよう。
2011年8月5日原水爆禁止世界大会2011年世界大会―国際会議
大会アピール/被爆67周年原水爆禁止世界大会・福島大会2012年07月28日
被爆67周年原水爆禁止世界大会・福島大会アピール
昨年3月11日、東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。あらためて震災で犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
この震災によって福島第一原発は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などで海・空・大地を大量の放射性物質で汚染し、その影響は長期に渡るものとなっています。環境はもとより、人々の暮らしや健康を破壊し、社会・経済に崩壊と混乱をもたらしました。福島では、いまも16万人を超える避難者を生み出しています。残念ながらいまも事故は収束に至らず、収束に向けた取り組みは40年、50年と長期に渡ることが明らかになっています。その間さらに被害が拡大することも心配されます。私たちは一日も早い事態の収束を願い、東京電力や政府関係者のさらなる努力を強く要請します。
国会の事故調査委員会は、今回の事故を政府や東電による「人災」であったと厳しく指弾しています。長年の馴れ合い体質、技術に対する驕りなど「原子力ムラ」が抱えていた問題が明らかとなりました。私たちもこれまで地震や津波の危険性を訴え、地震大国日本における原子力施設の立地の危険性を強く訴えてきました。しかし、力及ばず、今回の事態を迎えてしまいました。原子力推進派は、原子力発電所の「安全神話」を宣伝し、原発震災を問題としてきませんでした。経済効率を優先し、安全性をないがしろにしてきた結果が今回の事故につながったのです。その責任は重大です。
今後、事故の収束と被災者への謝罪と賠償、健康への補償など様々な課題が山積しています。厳しい環境に置かれている被災者へ早急な取り組みが求められています。さらに放射能汚染の実態や事故原発の現状に関する正確な情報公開も必要となっています。私たちは、核による被災者の要求を支えていくことが重要です。被災者支援にさらに力を入れていきましょう。
福島原発事故は、チェルノブイリ原発事故と並ぶ原発史上最大級の事故となりました。ヒロシマ・ナガサキが原爆の惨禍から立ち上がったように、私たちはまた、この「フクシマ」から立ち上がらなければなりません。放射能被害の下で「健康」や「生活」への不安、差別と偏見を断ち切らねばなりません。
これまで私たちは「核と人類は共存できない」として、核兵器廃絶とヒバクシャ支援、脱原発の運動を進めてきました。今、あらためてその運動の質が問われています。「フクシマ」の現実とどう向き合っていくのかが、私たちの大きな課題です。
今年の被爆67周年原水爆禁止世界大会は、ここ福島大会を皮切りに、広島大会、長崎大会と続いていきます。原発も基地も戦争も、合意なき「国策」として、私たち一人ひとりの「命」を軽んじてきたものです。もうこれ以上「命」が軽んじられてはなりません。豊かな自然とすこやかな「命」を守るためにここ福島から声を上げ、大きな行動や政策転換に結び付けていきましょう。
私たちは「核」に負けてはいけません。そして豊かな福島を取り戻しましょう!
2012年7月28日被爆67周年原水爆禁止世界大会・福島大会
被爆67周年原水爆禁止世界大会/ヒロシマアピール2012年08月06日
ヒロシマアピール
世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から67年目のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり「核と人類は共存できない」ことを改めて確信し、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させるための誓いを新たにし、行動を提起しました。
2011年3月11日に発生した、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故による放射能被害は1年5ヵ月近くを経過した今なお、収束の目途は立っていません。広島・長崎の悲劇を二度と繰り返さず、原子力・放射能による被害を出さないことを運動の柱にとりくんできた私たちは、福島第一原発の事故を防げなかったことに、強い反省と憤りを感じざるをえません。
日本全体で脱原発への動きが強まっていくなかで、野田首相は2011年12月16日に福島第一原発事故の収束宣言を出し、2012年7月1日、18日には福島第一原発の事故以来停止させていた大飯原発3・4号機を再稼動したことは、国民の脱原発への思いを踏みにじる行為であり、強い怒りを感じざるをえません。
2012年7月16日に、東京・代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」には、全国から17万人が結集し脱原発を訴えました。誰も核との共存を望んでいないことは明らかです。
1975年、原水禁国民会議初代議長の森瀧市郎さんは、米国などの核保有国の戦略展開地域、核実験場になっている太平洋地域を非核化することが目的で開催された「非核太平洋会議」に出席し、その年の原水禁世界大会で「核絶対否定」の理念を明確に打ち出しました。この理念は私たちの運動の原点となるものです。
米国をはじめとする核兵器保有国の政策を注視し、核軍縮に向けた動きを確実なものにする運動を作らなければなりません。具体的な核兵器廃絶への動きや核保有国の核軍縮状況を検証し、今後の私たちの運動を展望することが必要です。日本政府は、核兵器廃絶を主張する一方で、米国の核の傘に依存するという矛盾した政策を継続してきました。核の抑止力に依存し続けるなかで、世界に向けて核廃絶を訴えることは、説得力を欠くものです。被爆国の政府として、このような曖昧な姿勢しか持てないことは問題です。
私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、今こそ、「核と人類は共存できない」ことを強く訴えなければなりません。
私たちは、67年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、次のことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
○くり返すな原発震災! めざそう脱原発社会!
○許すな再稼動! 止めよう再処理!
○安心して暮らせる福島を取り戻そう! 子どもたちを放射能から守ろう!
○エネルギー政策転換! 持続可能なエネルギー利用を増やそう!
○武力で平和はつくれない! いかせ!憲法9条
○非核三原則の法制化を! 東北アジアに平和と非核地帯を!
○ストップ!米軍再編 沖縄に米軍基地を押しつけるな!
○核兵器廃絶へ! 核兵器禁止条約をつくろう!
○すべてのヒバクシャの権利拡大! 被爆者、二世・三世に国家補償を!
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ
2012年8月6日 被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会
平和宣言
1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。
そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など、正に生き地獄だったのです。
当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。
深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。
広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。
世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。
平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5,300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国を始め10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。
2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。
あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。
私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。
平成24年(2012年)8月6日 広島市長 松井 一實
平成24年長崎平和宣言
人間は愚かにも戦争をくりかえしてきました。しかし、たとえ戦争であっても許されない行為があります。現在では、子どもや母親、市民、傷ついた兵士や捕虜を殺傷することは「国際人道法」で犯罪とされます。毒ガス、細菌兵器、対人地雷など人間に無差別に苦しみを与え、環境に深刻な損害を与える兵器も「非人道的兵器」として明確に禁止されています。
1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機によって長崎に一発の原子爆弾が投下されました。人間は熱線で黒焦げになり、鉄のレールも折れ曲がるほどの爆風で体が引き裂かれました。皮膚が垂れ下がった裸の人々。頭をもがれた赤ちゃんを抱く母親。元気そうにみえた人々も次々に死んでいきました。その年のうちに約7万4千人の方が亡くなり、約7万5千人の方が負傷しました。生き残った人々も放射線の影響で年齢を重ねるにつれて、がんなどの発病率が高くなり、被爆者の不安は今も消えることはありません。
無差別に、これほどむごく人の命を奪い、長年にわたり人を苦しめ続ける核兵器がなぜいまだに禁止されていないのでしょうか。
昨年11月、戦争の悲惨さを長く見つめてきた国際赤十字・赤新月運動が人道的な立場から「核兵器廃絶へ向かって進む」という決議を行いました。今年5月、ウィーンで開催された「核不拡散条約(NPT)再検討会議」準備委員会では、多くの国が核兵器の非人道性に言及し、16か国が「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」を発表しました。今ようやく、核兵器を非人道的兵器に位置付けようとする声が高まりつつあります。それはこれまで被爆地が声の限り叫び続けてきたことでもあります。
しかし、現実はどうでしょうか。
世界には今も1万9千発の核兵器が存在しています。地球に住む私たちは数分で核戦争が始まるかもしれない危険性の中で生きています。広島、長崎に落とされた原子爆弾よりもはるかに凄まじい破壊力を持つ核兵器が使われた時、人類はいったいどうなるのでしょうか。
長崎を核兵器で攻撃された最後の都市にするためには、核兵器による攻撃はもちろん、開発から配備にいたるまですべてを明確に禁止しなければなりません。「核不拡散条約(NPT)」を越える新たな仕組みが求められています。そして、すでに私たちはその方法を見いだしています。
その一つが「核兵器禁止条約(NWC)」です。2008年には国連の潘基文事務総長がその必要性を訴え、2010年の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の最終文書でも初めて言及されました。今こそ、国際社会はその締結に向けて具体的な一歩を踏み出すべきです。
「非核兵器地帯」の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも「北東アジア非核兵器地帯」への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。
今年4月、長崎大学に念願の「核兵器廃絶研究センター(RECNA)」が開設されました。「核兵器のない世界」を実現するための情報や提案を発信し、ネットワークを広げる拠点となる組織です。「RECNA」の設立を機に、私たちはより一層力強く被爆地の使命を果たしていく決意です。
核兵器のない世界を実現するためには、次世代への働きかけが重要です。明日から日本政府と国連大学が共催して「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」がここ長崎で始まります。
核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考えに基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理解教育にも力を注いでいきます。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は世界を震撼させました。福島で放射能の不安に脅える日々が今も続いていることに私たちは心を痛めています。長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。日本政府は被災地の復興を急ぐとともに、放射能に脅かされることのない社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください。原子力発電所が稼働するなかで貯め込んだ膨大な量の高レベル放射性廃棄物の処分も先送りできない課題です。国際社会はその解決に協力して取り組むべきです。
被爆者の平均年齢は77歳を超えました。政府は、今一度、被爆により苦しんでいる方たちの声に真摯に耳を傾け、援護政策のさらなる充実に努力してください。
原子爆弾により命を奪われた方々に哀悼の意を表するとともに、今後とも広島市、そして同じ思いを持つ世界の人たちと協力して核兵器廃絶に取り組んでいくことをここに宣言します。
2012年(平成24年)8月9日長崎市長 田上 富久
全国紙の米倉経団連のポチと朝毎のネコぶりをみてきた。今度は地方紙の社説を見てみた。そこで、第一弾として、北海道新聞・東京新聞・琉球新報を掲載することで、全国紙が、如何にポチとネコなのか、検証してみることにした。
ただ、これらの社説にも、限界がある。
それは消費税に代わる財源確保のために法人税減税や内部留保などの財源化について、批判と提案が欠落していること、各政党の政策を公平に紐解く作業の欠落だ。これらについては、後日解剖することとする。
以下みてみよう。
北海道新聞 内閣不信任案 行き詰まった増税路線(8月8日)
「国民の生活が第一」やみんなの党など中小野党がきのう、衆院に野田佳彦内閣不信任決議案、参院に首相問責決議案を提出した。 社会保障と税の一体改革関連法案の柱である消費税増税が2009年衆院選の民主党マニフェスト(政権公約)に違反すると批判した。主張は理解できよう。 自民党も独自の不信任案提出を検討している。首相が「政治生命を懸ける」とした一体改革関連法案成立の見通しは不透明になった。 こうした事態を招いた原因は野田首相にある。自民、公明両党と手を組み、民主党分裂を招いてまで消費税増税に直進した。「一体改革」の3党合意をてこに政権延命を模索し、自公両党の不信も買った。 自民党の姿勢も疑問だ。法案採決前に衆院解散・総選挙を確約するよう求め、首相を揺さぶってきた。「一体改革」を政争の具にしていると言うほかない。 「増税先行・社会保障棚上げ」という問題点は放置されたままだ。不信任案の成否にかかわらず、一体改革を仕切り直し、国民生活の将来像を示してもらいたい。 首相は一体改革関連法案を成立させて「決める政治」の姿を示せば国民の支持を得られると考えたようだ。だが自公両党への妥協を繰り返し、改革の一体性がさらに崩れ、政権への支持は広がっていない。 そう仕向けたマスコミがある。 特例公債法案の成立や来年度予算編成にも意欲を示した。最高裁が違憲状態とした「1票の格差」を是正する衆院選挙制度改革はたなざらしにした。早期に国民に信を問おうとする謙虚な姿勢は見えない。 消費税増税を「どの政権でも避けて通れない」の一点張りで通そうとした。硬直的な政治手法が行き詰まったと首相は受け止めるべきだ。 自民党は「一体改革」では首相に協力する姿勢を見せながら、内閣不信任案の提出を模索している。
国民に不人気な消費税増税は民主党政権にやらせたい。一方で今国会中に野田政権を衆院解散・総選挙に追い込めなければ谷垣禎一総裁の続投が危うい。そんな思惑がある。 解散と増税の両方を同時に追求するのは虫のいい話だ。首相に不信任案を突きつけるなら、まず3党合意を破棄してからやるべきだ。 公明党は3党合意の直前まで「社会保障の将来像が見えない」と政府・与党を批判していた。将来像がいまなお見えないまま関連法案の成立を目指してきたが、与党へのすりよりと見られても仕方ないだろう。 理念が異なるにもかかわらず、数合わせで手を握った3党の協力体制にはもともと無理があった。政策の本質論議をやり直すことが肝要だ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/394513.html
北海道新聞 解散と引き換えの野合だ 「消費増税」成立合意(8月9日)
民主、自民、公明3党による談合政治が姿を現した。 野田佳彦首相はきのう、自民党の谷垣禎一総裁、公明党の山口那津男代表と会談し、社会保障と税の一体改革関連法案の成立後「近いうちに国民に信を問う」として衆院解散・総選挙実施の意向を示した。谷垣、山口両氏は協力を約束した。 中小野党が衆院に提出した内閣不信任決議案、参院に提出した首相問責決議案に反対することでも一致した。関連法案は10日にも参院で成立する見通しだ。法案成立と衆院解散を取引したものだ。 内容が不十分で、国民の多くが今国会での成立に反対している法案を3党がそれぞれの党利党略を優先して成立させる。民意とかけ離れていると言わざるを得ない。 圧倒的な数の力で政策を押し通す政治は認められない。衆院解散は本来なら法案採決前にすべきである。首相は消費税増税のみならず、3党協力の正当性について可能な限り早く信を問うべきだ。
*「変節」の説明が必要
3党の国会での議席を合わせると、衆参両院ともに8割を占める。消費税増税をてこに「巨大与党」体制ができあがった。 主導したのは「一体改革関連法案の今国会成立に政治生命を懸ける」と宣言した首相である。 首相は日本新党から出馬した1993年の衆院選初当選以来、「非自民」を政治姿勢の中心に置いてきた。首相となり、それを実行しようという時になぜ自民党にすり寄るのか。理解に苦しむ。 民主党が政権交代を果たした2009年の衆院選で訴えたのも長年続いた自民党政治の否定だった。マニフェスト(政権公約)では「霞が関を解体・再編する」と官僚主導政治の打破を掲げていた。 消費税増税法案の審議を通して見えてきたのは野田政権の官僚依存体質だ。社会保障を棚上げしてまで増税先行に走ったのは、財務省の意向に沿ったものだ。 首相と民主党の変節に、裏切られた思いの有権者は多いだろう。 首相は消費税増税を「先送りできない課題」とし、「今国会での成立に政治生命を懸ける」と言ってきた。これでは不十分だ。自民党との連携に走った理由を丁寧に説明しなければならない。 自民党の行動は到底理解できない。中小野党の内閣不信任案、首相問責決議案の提出に揺さぶられ、衆院解散の時期明示を一体改革関連法案成立の条件に唐突に掲げた。結局は「近いうちに」解散という首相のあいまいな表現を受け入れた。 あれほど批判していた野田政権の擁護に回った理由は何なのか。谷垣氏は明確に語るべきだ。 以前は一体改革を批判していた公明党の動きも不可解だ。3党協議の中で公明党が増税推進に変化した経緯についての理由を聞きたい。
*民意の受け皿不十分
いまのところ3党協力は一体改革関連法案に限ったものになっている。この枠組みが他の政策課題に広がる可能性はないのか。 首相は衆院解散の前に特例公債法案などの重要法案も成立させたい意向だ。参院で与党が過半数割れしている「ねじれ国会」の状況では野党の協力が必要になる。 自公両党が衆院解散を早期に実現させるために、こうした法案の成立に協力することは十分考えられる。法案の内容の是非よりも早期成立を優先する政治になることが心配だ。 そもそも民主党と自民党は基本政策で開きがある。 民主党は「コンクリートから人へ」と公共事業削減、「社会全体での子育て」など「共助」の福祉を基本とする。公共事業重視、「自助」優先の自民党とは反対だった。だが最近は歩み寄りが目立っている。 民主党内には消費税増税に反発する議員が「離党予備軍」として残っている。自公両党との連携がさらなる民主党分裂を招く可能性もある。首相は党内をどのようにまとめていくつもりなのか。 3党連携によって国民の政策選択の幅が狭まることも懸念される。「国民の生活が第一」やみんなの党などは地方組織が未熟で、批判の受け皿としては不十分だ。一方で地域政党による第三極形成の動きもある。
*まず違憲状態解消を
3党体制に信を問う衆院解散・総選挙を急がなければならない。 首相は解散の時期について明示することを拒否した。来年度予算案の編成にも意欲を見せた経緯もあるが、このまま政権を長期にわたって担当し続けることは許されない。 問題は最高裁が違憲状態とした「1票の格差」是正のための衆院選挙制度改革である。自民党は「0増5減」による格差是正を優先の姿勢だが、公明党など中小政党には抜本改革を求める声が強い。 早期解散のためには0増5減案で小選挙区の区割りを定め、最低でも違憲状態を脱して選挙ができる状況をつくることが急務だ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/394763.html
北海道新聞 消費増税法が成立 国民欺く理念なき改革(8月11日)
政治主導で行政の無駄を削る。そう訴えた民主党に託した有権者の期待は「官僚主導の増税」という正反対の形で返ってきた。 2015年10月までに消費税率を10%に引き上げる法案が、きのうの参院本会議で民主、自民、公明などの賛成で可決、成立した。 最終盤で自民党が内閣不信任決議案に同調する動きを見せ3党合意は揺らいだが、野田佳彦首相の「近いうちに衆院を解散する」という口約束一つで収まった。増税を政争の具とする茶番劇にあきれる。 与野党が入れ替わったこの3年間、政党と政治家の地金を嫌というほど見せつけられた。 民主党は選挙時の約束を破り、自民党は与党をけん制する野党の役割を忘れ党利党略で増税に協力した。 社会保障改革を棚上げしたままの増税先行に多くの国民が納得していない。信を問わずに与野党が談合した責任は重い。 衆院選は「近いうちに」ある。増税の是非は、有権者一人一人の判断に委ねられる。
*消え去った政治主導
政府は関連法を含め「社会保障と税の一体改革」と呼んでいる。 だが、民主党内の議論に始まり政府による法案化、そして3党合意を経て「一体改革」は次々と崩れた。 政府や財務省の本音が、社会保障改革ではなく、年々厳しくなる歳入の手当てにあったからだ。 消費税率を上げたいが、国民の理解を得づらい。そこで財政を圧迫する社会保障を財源と共に見直すという「一体改革」を唱えた。 しかし、止まらない少子高齢化に対応する社会保障の将来像を示すことはなく、年金改革も高齢者医療のあり方の見直しも棚上げされた。 増税する5%分のうち、子ども・子育て新システムなど新制度に充てるのは1%分にすぎない。4%分は従来政策の赤字を埋める増税だ。 民主党は、無駄削減で年間16兆円の財源を生み出すとしていた公約を早々と投げ捨て、財務省が描いた名ばかりの一体改革の図式に乗った。 政治主導の姿はどこにもない。 3党合意では、増税で生じる財政の余裕を公共事業に振り向けることまで盛り込まれた。民主党は「コンクリートから人へ」をうたっていたが、自民党の要求をすんなり受け入れた。変節にあきれるほかない。 社会保障改革は国民会議で1年間かけて考え直すことにし、さらに先送りした。3党が一致しているのは増税だけで、社会保障の理念は全く異なるのだから当然の成り行きだ。 国民を欺く「一体改革」だと言わざるを得ない。
*経済悪化させる恐れ
消費税率引き上げそのものの問題点も少なくない。 国と地方合わせ1千兆円の借金を抱える財政再建は喫緊の課題だ。だが消費税率を10%に引き上げても、20年度までに基礎的財政収支を黒字化するという政府目標の達成はめどが立たないのが実情だ。 長引くデフレ、東日本大震災の影響、歴史的な円高傾向、くすぶる欧州債務危機がのしかかり、経済情勢は不透明さを増している。 そんな四重苦の下での増税は景気をさらに落ち込ませる懸念が強い。 今回は所得税などの減税を伴わない純粋な増税で、国民に大きな負担となる。中小企業も増税分の価格転嫁が難しく事態は深刻だ。 とりわけ零細企業が多い北海道経済へのダメージは大きい。個人消費や観光関連に緩やかながら回復傾向が見え始めた中、政府がどれだけ地域の実情に目配りしているか不信感は拭えない。 消費が低迷して税収が伸びず、財政を立て直すどころか悪化させる可能性もある。 消費税率を3%から5%に上げた1997度以降、所得税などを合わせた一般会計税収が同年度の53兆9千億円を上回ったことはない。
*逆進性緩和は不透明
成立した消費増税法には経済好転が確認できなければ増税を見送る「景気条項」が盛り込まれたが、あくまで努力目標との位置付けだ。増税に踏み切るかどうか、政府には慎重な判断が求められる。 サラリーマンの平均給与は97年の約467万円から2010年は412万円に目減りしている。この間、非正規労働者も急増した。 低所得者ほど負担が重い消費税を引き上げられる環境とはとても言えない。そうした逆進性を緩和する手だても明確に示されていない。 国会審議でこれらの疑問点を指摘されても、野田首相は「どの党が政権を担っても一体改革は必要だ」と財政悪化を強調するばかりで、議論は深まらなかった。 国民の期待をないがしろにした民主党と、これに相乗りした自民、公明両党の責任は重大だ。 各党は次の衆院選で増税についての立場を明確に説明し、しっかりした社会保障政策を示す必要がある。
その場しのぎの公約はもういらない。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/395450.html
東京新聞 内閣不信任否決 政策を競い合わぬ茶番2012年8月10日
野田内閣不信任決議案が否決され、消費税増税のための「一体」改革法案はきょう成立する。政策を競い合うのならともかく、衆院解散時期をめぐる民自両党の対立は国民不在の茶番劇だった。 あの会談は一体何のためだったのか。八日夜行われた野田佳彦首相(民主党代表)と谷垣禎一自民党総裁との党首会談のことだ。 両党首が夜になって急きょ会談するというから、よほどの大事かと思いきや、「一体」改革法案を早期に成立させ、「近いうち」に解散することを口頭で確認しただけだという。 国民生活に大きな影響を与え、かつ民主党マニフェストを逸脱する消費税増税は議決前に衆院を解散して信を問うのが筋ではある。 しかし、民主、自民、公明三党はすでに「一体」改革法案の今国会成立で合意していたはずだし、「近いうち」といっても解散時期を特定したわけではない。 時期の明示を求めて自民党が振り上げた拳を下ろさせるために、党首会談という舞台をわざわざ用意し、曖昧な文言でお茶を濁したというのが実態ではないか。仰々しく見えて何も成果のない会談を褒めそやす必要はない。 党首同士が会談するのなら、政策決定を官僚から国民代表の政治家にどう取り戻すか、国と地方の役割をどう定義し直すか、政治や行政の無駄をどうなくすか、給付と負担の関係をどうするかなど、「国のかたち」とも言える統治機構や社会保障の在り方こそ胸襟を開いて話し合うべきだった。 違憲・違法状態にある衆院「一票の格差」是正や、予算執行に不可欠な赤字国債を発行する特例公債法案の扱いなど喫緊の課題にすら触れないのはどうしたことか。 マニフェスト違反の消費税増税という「決めてはいけないこと」ではなく、「決めなければならない」ことを決めるのが、本当の「決められる政治」ではないのか。 自公両党は内閣不信任決議案の採決を欠席した。何と強弁しようとも、決議案に賛成すべき野党議員の棄権は内閣を信任したに等しい。 激しく対立しているように見える政党同士が実は水面下で手を結び、国民の望まない政策を次々と強行する。この局面を変えるのは政権選択の衆院選しかあるまい。 マニフェスト破りで政権の正統性を失った首相は「近いうち」と言わず、速やかに衆院を解散すべきだ。消費税増税に対する国民の意思も、その際に示したい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081002000131.html
東京新聞 消費税増税法が成立 「代議」機能せぬ危機 2012年8月11日
消費税増税のための「一体」改革法が成立した。民主党マニフェストを逸脱し、半数を超える国民が依然、反対だ。代議制は果たして機能したのか。 「民主党政権は、マニフェスト違反の消費税率引き上げを行う権限を主権者からは与えられていないんです。議会制民主主義の歴史への冒涜(ぼうとく)であり、国権の最高機関の成り立ちを否定するものです」 今年一月、野田佳彦首相の施政方針演説に対する各党代表質問で、こう指摘した議員がいた。自民党総裁、谷垣禎一氏である。
◆マニフェスト違反
政権選択選挙とされる衆院選で多数の議席を得た政権与党が内閣を組織し、選挙公約に基づいて法律をつくり、政策を実行する。 それは谷垣氏が指摘するまでもなく、議会制民主主義(代議制)の「大義」であり、衆院議員が国民の代表として議論する「代議士」と呼ばれる所以(ゆえん)だ。 もちろん、激しく変化する現代社会では、政治的、経済的、社会的な情勢変化に応じ、柔軟に政策変更をすることは必要である。 東京電力福島第一原子力発電所の事故後に、それまでの原発推進路線から脱原発路線に転換するのは当然であり、代議制の大義を損なうものではない。 しかし、消費税増税はどうだろう。民主党は二〇〇九年衆院選マニフェストに消費税増税ではなく行政の無駄削減による財源捻出を盛り込み、当時の鳩山由紀夫代表ら各候補が「消費税は増税しない」と公約して政権に就いた。 野田氏は選挙戦で「書いてあることは命懸けで実行する。書いていないことはやらない。それがマニフェストのルール」とまで言い切っていたではないか。 それが一転、消費税増税に政治生命を懸ける姿勢に変節した。これを、民主党の「マニフェスト違反」と呼ばずして何と呼ぼう。
◆政治を国民の手に
本格的な少子高齢化を迎え、社会保障を持続可能な制度に抜本改革する必要はある。国の借金が一千兆円に上る財政事情への危機感は国民も共有しているだろう。いずれ増税が避けられないとの覚悟も多くの国民にあるに違いない。 とはいえ、誰がどうやって税金を負担するのかというルールづくりは、議会制度の成り立ちをひもとくまでもなく、民主主義の存立にかかわる重大な問題だ。公約違反の一方的な課税は国民の納税者意識を蝕(むしば)みかねない。 国民は選択していない消費税増税を、民主党政権が政府や国会の無駄を削ることなく、社会保障改革の全体像を示すことなく強行したことに怒りを感じているのだ。 当初は公約違反を批判しながら公共事業費増額との引き換えなのか、消費税増税に加担した自民、公明両党も同じ穴の狢(むじな)である。 自分たちの思いが政府や国会に届いていない、代議制が機能していない危うさを感じているからこそ、消費税増税に国民の多くが反対し、脱原発、原発再稼働反対を訴える人たちが週末ごとに国会周辺を埋めているのだろう。 政府も国会も、マニフェスト違反の消費税増税や首相の再稼働容認を機に代議制が危機的状況に陥りつつあると気付くべきである。 この状況を、国民が政治の「劣化」と切り捨てるのは簡単だが、それだけで政治は変わらない。街角で声を上げることは重要でも、その声が為政者や議員に届かなければ政治を動かせない。 代議制を鍛え直し、政治を国民の手に取り戻すには、選挙で意思を示し、議員や政権を厳選するしかない。 消費税は一四年四月に8%、一五年十月には10%に引き上げられる。それ以前、現衆院議員の任期満了の一三年八月までに必ず衆院選は行われる。消費税増税の是非を国民が選択する最後の機会だ。 消費税増税に納得できれば、賛成の政党、候補を、できなければ反対の政党、候補を選べばいい。 もちろん、選択すべき政策は消費税だけではない。政府や行政の無駄にどこまで切り込むのか、どんな社会をつくるのか、社会保障制度改革の具体的な設計図や、安全保障・外交政策も判断基準だ。 マニフェストに嘘(うそ)はないか、官僚の言いなりになりそうか否か、政党や候補の力量も見極めたい。
投票先を決めるのは有権者だが判断材料を提供するのはわれわれ新聞の仕事だと肝に銘じたい。
◆速やかに解散せよ
首相は衆院解散の時期を「近いうち」と述べたが、消費税増税の是非を国民に問うためには速やかに解散する必要がある。 そのためにも、違憲状態にありながら各党間の意見の違いから進んでいない衆院「一票の格差」の早期是正に、首相は指導力を発揮すべきだ。民主党に有利な時期を探ろうと是正を怠り、解散を先送りすることがあってはならない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081102000123.html
琉球新報 消費増税政局 法案成立より解散が先だ2012年8月9日
消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法案の成立を阻止するため、中小野党が7日、内閣不信任決議案を衆院に、首相問責決議案を参院に提出した。 これを受け自民党は野田佳彦首相に早期衆院解散の確約を求めた。8日夜に民主、自民、公明の党首会談を行い、3党は消費増税関連法案の早期成立の後「近いうちに信を問う」ことで合意した。 国民がこのような合意に納得するとは到底思えない。各種世論調査では消費増税そのものや、増税関連法案の今国会成立に過半数の国民が反対しているからだ。消費増税で可能な限り速やかに国民に信を問え、というのが民意であろう。増税法案成立より、解散・総選挙を優先するのが筋だ。 野田政権は2009年衆院選マニフェスト(政権公約)に反して消費増税を進める一方で、看板政策の最低保障年金創設を柱とする新年金制度関連法案提出や後期高齢者医療制度廃止を見送るなど、社会保障改革を大幅に後退させた。
一体改革は有名無実だ。増税関連法が成立しても、この政権が責任を持って社会保障改革を進める保障はない。財政当局の意向や野党との妥協を優先し、国民との約束は次々とかなぐり捨てる。国民は政権の内実を見抜いている。 「決められない政治」の常態化と同様に、「公約をことごとく破る政治」も大問題だ。野田政権は民意に背き「理念なき政治」に陥った、自らの不明を恥ずべきだ。 増税が将来不可避だとしても、その前に社会保障の将来像と改革の具体化、「ばらまき型公共事業」見直しや官僚の天下り禁止を含む徹底的な行財政改革などが必要だ。 増税方法は消費税が唯一の選択肢ではない。逆進性の強い消費税ではなく、高所得者の所得税と相続税の増税が格差社会のゆがみを正す上で有効だという指摘もある。 主権者の意思をないがしろにし、財政危機への不安をあおり立てながら増税を強行することは政党政治の自殺行為だ。その結末が経済の失速、失業者や非正規労働者の増加、若者の就職難、生活保護世帯の増加といった形で、格差社会の深刻化につながるのなら本末転倒だ。その処方箋はあるのか。 国民に信を問う前の増税強行は文字通り国民への背信行為だ。一日も早い解散・総選挙で国民が安心できる「真の一体改革」について、各党が論戦を展開すべきだ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195386-storytopic-11.html
琉球新報 消費増税関連法成立 偽りの一体改革を憂う2012年8月11日
消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革関連法が、国論を二分する中、10日の参院本会議で民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。 社会保障改革の多くを棚上げ、先送りした「偽りの一体改革」だ。増税の是非以前の問題として、国民意思に背き、この国の民主政治に泥を塗る暴挙と言うほかない。 国民の多くが増税関連法の今国会成立に反対し、解散・総選挙による審判を求めていた。にもかかわらず、3党は財政危機克服を大義名分とした「決められる政治」を優先し、消費増税に反対もしくは一体改革に懐疑的な、広範な民意を踏みにじった。その責任は重大だ。一日も早い衆院解散・総選挙で、国民に信を問うべきだ。 増税関連法が施行されると、現行5%の消費税率は、2014年4月に8%、15年10月には10%へと2段階で引き上げられる。 デフレ不況や国民生活の疲弊ぶりを見ると、この国が増税に耐えられるのか危惧する。国民が消費を手控え、増税効果以上に、急激な景気悪化の逆効果を招かないか。 この国の借金が名目国内総生産(GDP)の2倍超の1千兆円に上ることや、3・11東日本大震災からの復興、福島原発事故の収束、放射能除染という国難に直面し、その克服に多額の財源を要することは国民も理解している。 だからこそ無駄な歳出をカットし少ない財源を効果的に使い、財源確保のための成長戦略を打ち出してほしい、と期待を寄せてきた。しかし国民は今、期待に応え切れない政権や既成政党にしびれを切らし、失望の色を濃くしている。 国民は「失われた20年」の間に深刻化した国内の産業空洞化に歯止めを掛け、雇用環境の再生を待ち望んでいる。国はなぜそれを打ち出さないのか。立ち遅れが指摘される再生可能エネルギー分野などへの投資や支援の拡大によって、なぜ新しい産業を積極的に創出しようとしないのか。 将来世代に膨大な借金も、ゆがみ切った格差社会も、「負の遺産」として引き継いではならない。 だからと言って「危機」を背景として国民を脅迫するかのように、増税を強要する政治手法は間違っている。社会保障の将来像や、成長戦略、歳出改革も含めた骨太な国家像を明確に描いてこそ、「真の一体改革」というべきだ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195501-storytopic-11.html
昨日に続いて、今日は財界御三家に続くネコ同様の「朝日」「毎日」の社説をみてみた。ネズミを取ることをネコの本業とするならば、「ネズミを取らないネコ」同様に「朝日」毎日」が成り下がっていることを検証してみようということだ。
マスコミは、第4の権力として、3つの国家権力を、国民の立場から監視し、権力を質し、正していく役割を放棄していることは、日本の民主主義にとって最悪・最低といわなければならない。まさに日本のマスコミは、マスとのコミュニケーションを放棄し、権力にオモネリ、食わしてもらっている、ネズミを取らないネコに匹敵する。
以上の視点が、この増税法案通過にあたって、改めて見せてくれたマスコミの実態であった。「書籍・新聞などの知識課税」などというのであれば、マスに対して、どのようなメディアたるべきか、マスに対して、どのようなコミュニケーションを貫徹するか、現在の全国紙は、とてもじゃないが、国民との「コミュ」はほとんどみられないというべきだろう。
では、以下、「朝日」と「毎日」の矛盾に満ちた社説を解剖してみよう。
朝日 一体改革成立―「新しい政治」の一歩に 2012年8月11日(土)
難産の末に、一体改革関連法が成立した。 国会が消費増税を決めたのはじつに18年ぶりだ。民主、自民の2大政党が、与野党の枠を超え、難題処理にこぎつけたことをまずは評価したい。一方で、政策より政争に走る政治の弱点もあらわになった。衆院解散の時期をめぐる駆け引きのなかで、一時は関連法の成立が危ぶまれた。そうなれば国際社会や市場の信頼を損ね、国民に多大なリスクをもたらすところだった。 足を引っ張り合うばかりの政治はもう終わりにしよう。政治が答えを迫られている課題は、なにも一体改革だけではない。だが、さっそく気になる動きが出ている。 野田首相が「近いうちに国民に信を問う」と自民党の谷垣総裁に約束した。この表現について、両党の解釈がずれている。自民党が今国会での解散を要求しているのに対し、民主党では輿石幹事長が「『近いうち』にこだわる必要はない」と語るなど先送り論が大勢だ。これをきっかけに、対立の再燃が懸念される。そうなれば、角突き合わせる政治が繰り返されるだけだ。過去5年の「動かない政治」の教訓を、民主、自民両党とも改めてかみしめるべきだ。07年参院選で与党だった自民党が敗れ、衆参両院の「ねじれ」が生まれた。それをテコに民主党は徹底的に自民党政権を揺さぶった。10年参院選で今度は民主党政権が負け、その逆になった。
やられたら、やりかえす。そんな子どものケンカのような政治は、もう願い下げだ。いまの参院の議席配分からみて、総選挙後も単独で両院の過半数を握る政党はない。「ねじれ」国会は今後も続く。国民に負担を求める政策の実行がいかに困難か。一体改革をめぐる協議で、両党は身をもって学んだだろう。ここはチャンスである。政党同士、建設的な批判は大いにしあうのは当然だ。ただし、不毛な政争はやめ、協力すべきは協力する。一体改革関連法の成立を、そんな新しい政治文化をつくる一歩ととらえたい。懸案は山積している。解散までの間、各党は協力してその処理を急がねばならない。とりわけ、最高裁に違憲状態と指弾された衆院の「一票の格差」の是正は急務である。一票の価値の平等は、代議制への信任の根幹だ。政治はそのことにあまりに鈍感すぎる。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
ポイント
1.政権交代可能な二大政党制を煽ってきた朝日は「民主、自民の2大政党が、与野党の枠を超え、難題処理にこぎつけたことをまずは評価したい」と、その路線が破綻したにもかかわらずゴマカシを取り繕っている。
2.「関連法の成立が危ぶまれ…れば国際社会や市場の信頼を損ね、国民に多大なリスクをもたらすところだった」と、米倉経団連などと同じスタンスに立っている。
3.増税賛成の朝日の目から見れば、増税反対の動きは「足を引っ張り合う」ことになるのだろうか。だから「与野党の枠を超え」た政治礼賛になるのだろう。
4.「国民に負担を求める政策の実行」には、「与野党の枠を超えて」「不毛な政争はやめ、協力すべきは協力する」と述べ、「一体改革だけではな」く「政治文化をつくる一歩ととらえたい」と、談合政治・国民無視の政治を奨励している。
5.「一票の価値の平等」を言うのであれば、小選挙区制は廃止すべきで、世界的には多数派である比例制度を導入すべきだ。これこそ「国際社会の信頼を得る」ことになるだろう。
6.最後に
原発ムラの利益のために安全神話を振りまいてきた「朝日」は、反省し「脱原発」に切り替えたにもかかわらず、フクシマを引き起こし、その責任すら果たしていない勢力の延長線上の「国際社会の信頼」論を述べ、増税反対派を脅すなど、全く判っていない。
毎日:増税法成立 「決める政治」を続けよう8月11日 02時30分
紆余曲折の末ではあるが、税と社会保障の一体改革法が10日、参院で可決、成立した。
まずは、二つの意味で政治史上画期的なことだと評価したい。第一に、その中身が国民に負担を求める純粋増税法だからである。過去の増税は、消費税3%の導入時(1989年)、消費税率5%への引き上げ時(97年)いずれも減税とセットで行われた。経済全体のパイが伸び悩み、従来のバラマキではない負の配分能力が政治に求められる時代、その第一歩を刻んだ、といえる。
なお国民への説明不足だ。 第二に、その不人気政策を与野党で合意したという政治方式の新しさである。2大政党制の下、ともすれば相手をたたくことに走りがちだった政治が、この重要政策の一点では国益に立ち、党分裂や一部議員の造反というコストを払いながら妥協することができた。山積する困難な政治課題を解決するための貴重な前例を作ったととらえたい。
もちろん、すべてを是とするわけではない。何よりも国民の理解を得る努力がまだ不足している。7月末の毎日新聞世論調査では61%が依然として「今国会での消費増税法案成立を望まない」と答えている。何のために増税するのか。社会保障がどう変わるのか。増税分が社会保障以外にあてられるような解釈はとても容認できない。法を成立させた民主、自民、公明3党は、根気よく丁寧に説明し続ける責任もまた共有すべきだ。手をこまねくと次の選挙で反発を受け元も子もなくなる可能性があることを胸に刻んでほしい。
財政と社会保障制度もこれで持続可能になったとはいえない。どんな課題にせよそれぞれの政党が歩み寄ることによって「決める政治」をしたたかに継続させることが必要だ。
特に、財政改革の道はなお険しい。政府の目標は、20年度までに基礎的財政収支を黒字化する、つまり、国債の元利払いを除いた歳出を税収の範囲内に収めるようにすることだが、内閣府推計によると、法通り消費税率が10%になってもその時点でなお約17兆円の赤字が出ることになっている。これは経済の名目成長率が毎年平均1.5%程度で推移することを前提としており、実際の赤字額はもっと膨らむ可能性がある。
これまで借金財政を許容してきた環境が急変していることも指摘したい。労働人口の減少や経常黒字の縮小などである。日本に猶予の時間は乏しいということだ。
欧州で起きた債務危機の教訓を忘れてはならない。何年もドイツと変わらぬ低金利で市場から借金できていたスペインやイタリアがあっという間に信用を失い、危機的状況に陥った。日本の財政状況は両国よりはるかに深刻だ。市場が反応してからでは手遅れになりかねない。
増税のみに頼るわけにはいかないのは当然だ。これを機に歳出構造の抜本的見直しに取り組むべきだ。その進捗度をにらんだ上で、消費税率のさらなる引き上げも課題になろう。このように財政はなお火の車である。にもかかわらず、早くも「国土強靱化」や「防災・減災」を口実にバラマキ財政に転じる動きがあるのは看過できない。国民に増税を強いながら、同時にかつてのような公共事業や特定業界の支援など借金を増やす政策を導入するのは筋が通らない。
消費税の制度設計は、業者がいかに円滑に価格転嫁できるか、が重要だ。食料品など基本的生活物資や書籍・新聞などの知識課税では軽減税率導入議論を本格化させてほしい。
今回の一体改革には年間7000億円の新たな子育て支援策が盛り込まれた。高齢者向け中心だった社会保障関連経費が現役世代に振り向けられる一歩と評価したい。ただ、社会保障制度の改革はまさにこれからが勝負となる。
「秋解散」、民主は覚悟を
今後、政治の焦点は衆院解散の時期や、来月の民主、自民両党首選びの動向に移る。
民自公3党首が「近いうちに解散」で合意したことから与野党には今秋にも衆院解散、総選挙が行われるのではないか、との見方が広がっている。必ずしも時期を特定できる表現ではなく、民主党内には依然として早期衆院選に慎重論が強いが、いたずらに民意の審判を引き延ばすべきではない。民主党は今秋の解散も辞さないとの覚悟を固めるべきだ。
そのうえで、今国会の残り会期で違憲状態にある衆院の1票の格差是正措置と、予算執行に必要な赤字国債を発行するための特例公債法案の成立を期すことが不可欠である。原子力規制委員会の人事案も是非も含めて与野党が早急に調整し、9月の発足に向け決着を図るべきである。
今国会中の解散がない限り2大政党の党首選びは次期衆院選に向けた重点政策が試される場となる。増税法成立後の消費税の制度設計や社会保障政策の全体像が問われる。
民主、自民両党は原発再稼働を中心とするエネルギー政策、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)などで党内に幅広い意見を抱える。2030年の原発比率などエネルギーに関しては有権者の判断に資する明確な方針を示すことが求められる。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120811k0000m070129000c.html
ポイント
1.「その第一歩を刻んだ」増税だが、まだ「なお国民への説明不足」「もちろん、すべてを是とするわけではない」と言わざるを得ない矛盾に満ちたものだ。
2.「不人気政策を与野党で合意したという政治方式の新しさ」を「貴重な前例を作った」と太鼓判を押しながら、「どんな課題にせよそれぞれの政党が歩み寄ることによって「決める政治」をしたたかに継続させることが必要」で、「衆院の1票の格差是正措置」「赤字国債を発行するための特例公債法案の成立」「原子力規制委員会の人事案」なども、「与野党が早急に調整し、9月の発足に向け決着を図るべき」と、ここでも国民不在の談合大連立を奨励しているのだ。呆れる!
3.「手をこまねくと次の選挙で反発を受け元も子もなくなる可能性があることを胸に刻んでほしい」「民主は覚悟を」とお願いと励ましを送っている。これは増税派の「毎日」が民自公の側に立っていることをいみじくも示している。この立場で選挙報道を行うのだろう。だが、国民を舐めてイカン!
4.「今国会での消費増税法案成立を望まない」と「7月末の毎日新聞世論調査では61%が依然として答えている」にもかかわらず、「政治史上画期的なことだと評価した」のだ。「毎日」が誰の立場に立っているか、明瞭だ。だが、ここに国民との間において最大の矛盾がある。
5.「毎日」も「欧州で起きた債務危機の教訓を忘れてはならない」と米倉経団連と同じ立場に立っている。
6.「国民に負担を求める純粋増税法」の成立を煽り続け、その成立を「政治史上画期的なことだと評価」しておいて、「食料品など基本的生活物資や書籍・新聞などの知識課税では軽減税率導入議論を本格化させてほしい」と「知識課税」では「軽減税率導入」を求めているのだから身勝手にもほどがある。であるならば、増税に頼らない道を模索すべきだ。
7.「法通り消費税率が10%になってもその時点でなお約17兆円の赤字が出る」「財政改革の道はなお険しい」「経済の名目成長率が毎年平均1.5%程度で推移することを前提としており、実際の赤字額はもっと膨らむ可能性がある」「その進捗度をにらんだ上で、消費税率のさらなる引き上げも課題になろう。」などと、「毎日」の無責任ぶりは明らかだ。
8.「増税のみに頼るわけにはいかないのは当然」「これを機に歳出構造の抜本的見直しに取り組むべき」とするならば、何故今「抜本的見直し」をしないのか、「抜本的見直し」とは何か、など全く理解に苦しむ。
9.「国民に増税を強いながら、同時にかつてのような公共事業や特定業界の支援など借金を増やす政策を導入するのは筋が通らない」と、増税分を「国土強靱化」や「防災・減災」を「口実にバラマキ財政に転じる動きがあるのは看過できない」と述べて、自らが増税を煽ってきた経過を免罪している。
10.最後に
そもそも、非正規労働などによって大儲けをしている米倉経団連に「身を切れ」と要求しないこと、そうしておいて庶民増税を求める「毎日」の支離滅裂の根源がある。このことは全国紙に共通することだ。
米倉経団連も、マスコミも、民自公も悪法を通した後で、「国民の信を問う」という点では一致しておいて、政権奪取のためを優先させた野田内閣への揺さぶりは大義がない。そればかりか、そうした動きを「党利党略」と非難するのも大義はなし。「増税の前に信を問え」が正常な見方だろう。
民主党野田政権はマニフェスト違反だから、増税に対してどちらが国民のための増税か、「国民に信を問え」と、自公がいうのであれば、まだ民主主義を尊重したと言える。
しかも、争点は、「増税の前にやることあるだろう」「公務員や政治家の身を切れ」ばかりを強調するのではなく、庶民増税と米倉経団連減税か、大儲けをしている米倉経団連への増税か、富裕層への課税か、なども視野に入れて議論することが大事だろう。
米倉経団連のポチであるマスコミは米倉経団連の土俵の枠内から脱却した方策を考えろ!というのが、各紙の社説を読んで、一番思うところだ。
こういうことを言うと必ず出てくるのは、「身を切る」論だ。米倉経団連のいう国会議員定数の半減などは、具の骨頂だ。「党利党略」に走る米倉経団連のポチ議員を落とすことを優先させるべきだ。もちろん、国会議員の「特権」や公務員の天下りと定年制度など、見直さなければならないことがあるのは、事実だろう。
しかし、だからと言って喧伝されているように公務員賃金や定数削減は、住民サービスや民間賃金や労働条件に大きな影響を与えるものであるから、更なる国民的議論が必要だろう。しかも公務員と言ってもさまざまな公務員がいるので、十把一絡げで「公務員憎し」として論ずることは、民間にとってみても危険だろうし、公務員の労働基本権はどうするのか、このことも議論すべきだろう。
曖昧な言葉の裏の意味合いを複眼で見る目こそ賢く
世論を無視して国会で増税が決まった。だが、「歴史的」と評価する全国紙を読むと、意外なことに、決まった増税に対する問題点と不安が見えてくる。今さら増税の問題点を書くなど、ふざけるな!と言いたいところだが、実は、増税を煽った全国紙ではあるが、大義名分のない増税に対して必ずしも確信を持っていないことが判る。
以下みてみよう。
読売 一体改革法成立 財政健全化へ歴史的な一歩だ(2012年8月11日01時22分)
◆首相の「国益優先」を支持する◆
借金体質の国家財政を健全化するという長年の懸案の解決に向けて、歴史的な一歩である。…審議に200時間以上をかけ、圧倒的多数の賛成で成立させた。高く評価したい。先送りを続けてきた政治に転機をもたらすことを期待する。
◆消費増税に共同の責任◆
野田首相は法成立後の記者会見の冒頭、民主党政権公約(マニフェスト)に言及し、「消費税引き上げを記載していなかったことを深くおわびしたい」と述べた。国民に負担を求める改革は緒に就いたばかりだ。真摯な姿勢で国民の理解を広げる必要がある。…消費増税の是非が争点になるだろう。選挙の結果、政権が代わり、反増税の勢力が台頭しようとも、民自公3党は「消費税10%」の実現まで責任を共有するべきである。自民党の谷垣総裁は、3党合意には、消費税引き上げの環境を整えるための経済対策も含まれるとの見解を示している。世界経済が不安定さを増す中、日本の国債が暴落する事態は回避しなければならない。財政再建へ確かな道筋をつけ、国債の信認を高めていくことが肝要である。
増税に伴う低所得者対策については、年末の13年度税制改正に向けた議論で詰めることになる。食料品などの消費税を低くする軽減税率は8%への引き上げ時に導入すべきだ。活字文化と民主主義を守るため、新聞や書籍への適用も検討しなければならない。社会保障制度改革は、着実に前進する。総合的な子育て支援策は、高齢者向けに偏っている社会保障政策と財源を全世代型に再構築するものだ。年金制度も、パート労働者への厚生年金適用拡大など、懸案がかなり改善に向かう。「増税先行」の批判は当たらない。3党は社会保障制度改革国民会議を速やかに発足させ、中長期的な制度改革の議論を始めるべきだ。今回見送った給付減などによる効率化も欠かせない。
◆党首会談合意を大事に◆
極めて困難と見られた一体改革関連法が成立したのは、まず、野田首相が「政治生命を懸ける」覚悟で取り組んだからだ。最後は、「近いうちに」という曖昧な表現ながら、谷垣氏と事実上の「話し合い解散」でも合意した。この間、民主党マニフェストの破綻が露わになり、法案の衆院通過時に党は分裂した。「野田降ろし」も表面化している。首相は、大きな犠牲を払いながら、ぶれずに国益優先の判断を重ねた。その姿勢は評価できる。参院での法案採決時には民主党の6議員が反対票を投じた。速やかに処分すべきだ。党首としての指導力を強めることになろう。衆参ねじれ国会の下、自民、公明両党の役割は大きかった。谷垣氏は野党第1党党首として政府・与党に協力するという重い決断を下した。野田、谷垣両氏のコンビでなければ今回の合意は実現しなかっただろう。民自公3党は、日本の政治をさらに前に動かすために連携を維持し、与野党の垣根を超えて課題解決に取り組んでもらいたい。
◆格差是正が解散の前提◆
問題なのは、野田首相が自公両党に「近いうちに国民に信を問う」と、早期解散を約束したことに関し、輿石幹事長がこだわる必要はないと発言したことである。輿石氏は、首相や谷垣氏が9月に迎える党首選で再選されない場合には、3党合意は無効になるとの見方も示した。谷垣氏が、この発言に「政党政治が何たるかを心得ていない。厳しく糾弾しなければならない」と激怒し、民主党との対決姿勢を強めたのも無理はない。首相の意に沿わず、自公両党との合意を軽んじるかのような輿石氏の言動は目に余る。衆院解散・総選挙の環境を整えるには選挙制度改革が不可欠だ。最高裁は現在の「1票の格差」を「違憲状態」と判断している。国会の怠慢で、格差是正措置を講じずに衆院選に踏み切れば、憲法違反として選挙無効の判決が出る可能性も否めない。民自公3党は、小選挙区の「0増5減」を先行実施し、格差を是正することが急務である。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120810-OYT1T01524.htm
ポイント
1.「圧倒的多数の賛成で成立させた」というが、これもウソ!国会では多数であったかもしれないが、これは「党利労略」の「成果」であり、国会外では少数派。ここに最大の矛盾がある。だから、以下のように、不安を暴露することになる!
2.「選挙の結果、政権が代わり、反増税の勢力が台頭しようとも、民自公3党は「消費税10%」の実現まで責任を共有するべき」という言葉は象徴的だ!
3.「世界経済が不安定さを増す中、日本の国債が暴落する事態は回避しなければならない。財政再建へ確かな道筋をつけ、国債の信認を高めていくことが肝要」とあるが、増税で「財政再建への確かな道筋」が取れないことは、誰もが認めるところ。そして経団連の脅しと同じ論法だ。ウソとペテンの典型。
4.「食料品などの消費税を低くする軽減税率は8%への引き上げ時に導入すべきだ。活字文化と民主主義を守るため、新聞や書籍への適用も検討しなければ」など、「新聞」を適用外にするなら、消費税増税はやめればいいのだ!身勝手な言い分だ!読売不買運動だな!
5.「野田、谷垣両氏のコンビでなければ今回の合意は実現しなかっただろう。民自公3党は、日本の政治をさらに前に動かすために連携を維持し、与野党の垣根を超えて課題解決に取り組んでもらいたい」ということは、二大政党政治の破綻と二大政党連合、体制翼賛政治を意味する!まさにファッショ化だ。
6.最後に、
政策が違ったら、「政権交代」を、それが可能な「二大政党政治」を、と煽ってきたマスコミが、自らの主張の破綻を認めた。だが、それを取り繕うとして、大連立を煽った。だが、こうした手法が通ると思ったら大間違いだ。国民生活破壊による国民の反撃を舐めてイカン!
産経 消費税法成立 残る「宿題」迅速に処理を2012.8.11 03:25
民主、自民、公明の3党などの賛成多数で成立した社会保障と税の一体改革関連法について、野田佳彦首相は、与野党の協力による「決めきる政治」だと強調したが、中身について残された「宿題」は少なくない。協力の枠組みについても、首相が衆院解散時期について「近いうち」と述べたことに対し、輿石東民主党幹事長が「党首が代われば終わりだ」と語るなど、与党内でも不協和音が表面化している。衆院小選挙区の一票の格差を是正する「0増5減」などの公職選挙法改正案や今年度予算執行に必要な特例公債法案なども、党利党略では成立にこぎつけられないだろう。与野党の歩み寄りで決着させるしか方策はあるまい。一体改革関連法の最大のハードルは、増税の前提となる経済成長を確実に軌道に乗せることだ。関連法は、消費税率の引き上げは経済状況を勘案して判断するとし、経済成長率を名目3%、実質2%とする目標を掲げている。名目成長率が実質を下回るデフレからの脱却を目指したものだ。日本再生戦略に盛り込んだ規制改革などをいかに具体化するかだ。だが、増税によって財政にゆとりが生じる分は大型公共事業に回そうという考え方が、3党合意を経て生じた点は見過ごせない。「成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分する」と付け加えられたためだが、効果が疑問な公共事業拡大につながるのでは、何のための増税か分からない。安易な歳出拡大が、国債発行の膨張を招いてきた愚を忘れてはならない。新たに設置される社会保障制度改革国民会議では、実効性ある社会保障費の抑制策を議論していく必要がある。消費税増税に伴う低所得者対策の全体像を早期に示すことも重要だ。平成26年4月の8%への増税時に低所得者向けに現金給付するというが、対象や額は決まっていない。ばらまきにならない工夫が問われる。27年10月の10%への増税時に向けて、現金給付と減税を実施する「給付付き税額控除」の検討も盛り込んだ。それには共通番号制度(マイナンバー)の関連法案の早期成立が必要だ。増税分を製品価格に円滑に転嫁する政策も中小企業対策として不可欠である
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120811/fnc12081103250000-n1.htm
ポイント
1.「中身について残された『宿題』は少なくない」と、問題点の「多さ」を認めてしまった!
2.「与野党の歩み寄りで決着させるしか方策はあるまい」とは、大連立の奨励だ。国民無視の「談合政治を行え」ということだ。
3.「増税の前提となる経済成長を確実に軌道に乗せる」というが、デフレ下での増税は、どうなるか、明らかだ。ここにも、ウソが見えてくる!ということは、増税の具体化は、その時点でかなり論争になるはずで、まだまだ増税に向けた壁は高くて、厚いということになる!ここに産経の不安がある!
4.「増税によって財政にゆとりが生じる分は大型公共事業に回そうという考え方が、3党合意を経て生じた点は見過ごせない」と、増税派の「成長戦略」に立てば、旧来の大型公共事業に突っ込まざるをえない。これが矛盾だ。増税派のウソとペテンは、ここでもバレバレ!
5.「安易な歳出拡大が、国債発行の膨張を招いてきた愚を忘れてはならない」というが、輸出に依存し、国内消費を怠ってきたことを免罪するのか!
6.「新たに設置される社会保障制度改革国民会議では、実効性ある社会保障費の抑制策を議論していく必要」というが、社会保障を削れと言っているのは誰だ!産経だろう!ここでもウソとペテンはバレバレ!
7.最後に、
「低所得者対策の全体像を早期に示すことも重要」、「増税分を製品価格に円滑に転嫁する政策も中小企業対策」など、増税の影響に怯えていることがよく判る。大義のない産経の立場が見えてくるが、同時に「現金給付と減税を実施する『給付付き税額控除』の検討」のためとして「共通番号制度」導入など、国民監視制度で増税を乗り切り、あわせて人権破壊を目論むつもりだ。低所得者や中小企業への「思いやり」がウソとペテンであることが判る。
日経 この増税を次の改革につなげたい 2012/8/11付
社会保障と税の一体改革関連法が民主、自民、公明3党の協力で成立した。5%の消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%に引き上げる。日本の財政再建に向けた重要な一歩である。
ようやく手にしたこの成果を大切にしなければならない。日本は長い時間をかけて、財政再建と経済成長の両立に取り組む必要がある。消費増税を確実に実行し、次の改革につなげるべきだ。
ツケ残す政治と決別を
日本が消費税を導入したのは1989年4月だった。97年4月に税率を3%から5%に引き上げるまでに8年間を要した。そこからさらに17年間を費やし、やっと次の税率引き上げが実現する。
97年度と12年度の国の一般会計予算(当初ベース)を比べてみた。日本経済の低迷が響き、税収は15年間で27%減った。一方、少子高齢化で社会保障費などが膨らみ、歳出は17%増えている。
歳入の確保と歳出の抑制が避けられないにもかかわらず、日本は必要な対応を怠ってきた。過大なツケを次の世代に残し、債務危機のリスクを高める政治とは、ここできっぱりと決別したい。
法律が通ってもまだ安心はできない。経済情勢を見極めながら消費増税の是非を判断する弾力条項が、先送りの口実に利用される恐れがある。景気への配慮は必要だが、大幅に悪化しない限り、増税を回避すべきではない。
円滑な消費増税の環境を整える必要もある。企業が製品の価格に税負担を転嫁できる体制づくりが欠かせない。大企業の下請けいじめをはじめとする価格転嫁の障害を取り除いてもらいたい。
消費増税の負担が相対的に重くなる低所得者への対応策も、これから詰めなければならない。単なるばらまきを排し、本当に困っている人を支援できるよう、適正な制度を設計すべきだ。
問題は年金や医療の抜本改革を先送りした点である。持続可能な社会保障と健全な財政をともに目指すのでなければ、真の意味での一体改革とは呼べないはずだ。社会保障費の膨張を抑え、余裕のある高齢者にも応分の負担を求める努力が決定的に足りない。
3党合意を踏まえて新設するはずの社会保障制度改革国民会議で、抜本改革の検討を急ぐべきだ。70~74歳の医療費の窓口負担引き上げや外来受診時の定額負担上乗せなどはもちろん、いずれは年金支給開始年齢の引き上げにも踏み込まざるを得まい。
こうした改革を怠れば、将来に必ず禍根を残す。今回の消費増税だけで、基礎的な財政収支を20年度に黒字化する目標を達成することはできない。社会保障費を中心とする歳出の抑制とさらなる消費増税を組み合わせ、財政再建の努力を継続するしかない。
消費増税に対する不満や景気への影響に配慮して、余裕のできた財源を公共投資に回そうという動きが3党にはある。自民党は10年間で200兆円、公明党は100兆円を防災・減災事業などに投じる計画も提唱している。
本当に必要な事業ならいい。だが安易なばらまきに走るのでは、何のための消費増税なのかがわからなくなる。国民に負担を強いる以上、厳しい規律を求めたい。
成長力強化も忘れるな
忘れてはならないのが日本経済の活性化である。財政再建を軌道に乗せるためにも、成長力の強化が必要だ。消費増税の道を開いた野田政権の功績は大きいが、成長戦略の貧しさは隠せない。
環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加を早く決断すべきだ。メキシコとカナダの参加が固まり、日本の意思表明を促す圧力も高まっている。消費増税のめどをつけた今、民主党内の調整を急ぐ余裕ができたはずである。この機会を逃してはならない。
約35%の法人実効税率(復興増税を除く)を主要国並みの25~30%に引き下げる議論も始めてほしい。民間の活力や創意工夫を生む成長戦略がどうしても要る。
日本の政治は財政再建と経済成長の両立に必要な改革を継続できるのか。自民党は「協力は消費増税までだ」と明言し、社会保障と税の共通番号法案を除く懸案には対決姿勢で臨む方針である。
議院内閣制は衆院で多数を得た政党に政権を託す仕組みだ。衆参のねじれに乗じ、野党が民意を超えて動くのは好ましくない。
赤字国債発行法案など積み残しの懸案は多い。いずれ選挙で戦うにしても、3党は国としてやらなければならない政策にはともに取り組んでほしい。今回の「決める政治」を守り続けるべきだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44839330R10C12A8EA1000/
ポイント
1.「日本の財政再建に向けた重要な一歩」「日本は長い時間をかけて、財政再建と経済成長の両立に取り組む必要がある。消費増税を確実に実行し、次の改革につなげるべき」と意義を強調するが、ウソとペテンであることは、明瞭だ。以下に示されている。
2.庶民増税と法人税減税で「日本経済の低迷が響き、税収は15年間で27%減った」ことは曖昧にしていることが、何よりの証拠だ。
3.「法律が通ってもまだ安心はできない」「弾力条項が、先送りの口実に利用される恐れ」「景気への配慮は必要だが、大幅に悪化しない限り、増税を回避すべきではない」と言うことそのものに、今回の増税に大義がないことを暴露している。
4.「円滑な消費増税の環境を整える必要」を協調すればするほど、増税のウソとペテンぶりが明らかになる。
5.「社会保障制度改革国民会議で、抜本改革の検討」とは、「医療費の窓口負担引き上げや外来受診時の定額負担上乗せ」「年金支給開始年齢の引き上げ」となり、増税は「社会保障のため」がウソとなる。矛盾だ。
6.「社会保障費を中心とする歳出の抑制とさらなる消費増税を組み合わせ、財政再建の努力を継続するしかない」と身勝手な増税が横行するという悪魔のサイクル発信となった歴史的増税ということになる。
7.「本当に必要な事業ならいい。だが安易なばらまきに走るのでは、何のための消費増税なのかがわからなくなる。国民に負担を強いる以上、厳しい規律を求めたい」というが、この矛盾から逃れることはできないだろう。増税が大義のないことを自ら暴露してしまった。
8.「忘れてはならないのが日本経済の活性化」として「財政再建を軌道に乗せるためにも、成長力の強化が必要だ。消費増税の道を開いた野田政権の功績は大きい」と評価し、「成長戦略の貧しさは隠せない」と批判してみせ。野田政権への批判的感情を吸収しようと姑息な心情を暴露してしまった。
9.「TPPの交渉参加」「法人実効税率(復興増税を除く)を主要国並みの25~30%に引き下げ」など、ホンネを出しているではないか!これを「民間の活力や創意工夫を生む成長戦略」という抽象的な言葉でゴマカシテいる!ウソとペテンの典型!
10.最後に、
「いずれ選挙で戦うにしても、3党は国としてやらなければならない政策にはともに取り組んでほしい。今回の『決める政治』を守り続けるべき」と「決める政治」とは「国民無視の政治」の代名詞であり、国民無視の大連立であることを暴露してしまったのだ。
以上、財界のポチ御三家の社説を見てみた。どうだろうか。共通項が見えてくるのではないだろうか?ここで述べられているイデオロギーが、国民のなかにメディアを通して浸透させられ、悪政が進行していくのだ。そうして、この14年間で毎年自殺者3万人が作られたのだ。まさに国家による殺人だ。財界と、そのポチである御三家、自公と民主によって、さらに、この数は…。
対策は、ウソとペテンを広めること、このウソとペテンで苦しめられている国民が立ち上がること、これこそが、世の中を革新していく道筋だろう。本来であれば、この間無欠クーデターに対しては、ゼネストを対置して、政治を革新していくべきであった。街頭に出るべきであった。だが、日本の革新といわれる組織に、その力は「ない」のが、実情だ!残念というしかない!
これはメディアの「運動隠し」の作戦の影響もあるだろう。だが、
かつて、日本にも民衆の運動があった。
地租改正反対一揆、血税反対一揆、学制反対一揆、国会開設署名運動、秩父事件、日比谷焼き討ち事件、日露戦争後の増税反対運動、第一次護憲運動、八幡製鉄所のスト、普選運動、治安維持法反対運動、メーデーなど、戦前でも国民は起ち上がった。
戦後においても、たくさんあった。80年代から90年代も、まだあった!
だが、「今」はどうか!
メディアの「運動隠し」のなかでも、「再稼動反対」の運動がつくられた!それと同じような、「命と生活を守れ!」の大運動を起こすことが必要だろう。どうだろうか!?
列島を騒然とせし民衆の筵の旗を津々浦々より