さて、津久井村から約44㎞にわたる地下水道を経て横浜の野毛山浄水場へと流れ着いた水は、街中に設置された共用栓から、人々へと供給されました。
上の写真は、共用栓の実際を伝える明治時代の絵葉書の一部で、そのデザインから、「獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)」と呼ばれました。
明治20年に水道が開通した時、水道生みの親であるパーマー氏がイギリスから約600基取り寄せたもので、そのうちの一基が現 . . . 本文を読む
「水道みち」と名付けられた遊歩道が、神奈川県相模原市内をほぼ直線に通っています。
その名の通り、この道の下には明治20年(1887年)、現在の神奈川県津久井町の取水場から横浜市西区の野毛山浄水場までの約44㎞にわたって埋設された、日本初の近代水道が通っているのです。
工事の際、資材運搬にはトロッコが使用されたそうで、当時の古写真が道の傍らの案内板に紹介されています。
それに因んでか、 . . . 本文を読む