東京スカイツリーが近くにそびえ立つたばこと塩の博物館で、「日常をつくる! 企業博物館からみた昭和30年代」展を觀る。

終戰もすでに一昔、民主主義國となったニッポンが復興再生に邁進してゐた時代を、庶民生活の要請から開發し、生活文化の發展に貢献した當時新發賣の日用品などから懐古する企画展。
もうずいぶん前に、甘ったるい人情モノ映画が大當りをとって以来、昭和懐古と云へば三十年代(1955年~)が定番となり、なぜ萬博が開催された四十年代(1965年~)ではないのだらう、と疑問に思ふところへ、ラジオ番組で「みんな昭和三十年代を懐かしがりすぎだろ!」と云ってゐるのを聴いて共感したのが、つひ先日のこと。
實際、十代を過ごした團塊世代の両親から、當時を懐かしむ話しなど聞いたこともない。
あらゆることに他力本願なこの國力無き令和ニッポンにおいて、自力本願で明日へ邁進してゐた時代が、よほど羨ましいものに映るのだらう。
しかし、戰後の貧困から脱却しつつあったとは云へ、まだまだ回復までには道のりがあった一例を、當時の郵便配達員の制服がいまに傳へてゐる。

(※展示室内フラッシュ無しで撮影可)
下の冩真のV字型をしたシャツは、予算と物資不足のために上着から見える部分だけを裁斷して仕立てたもので、

背中も両袖もないまるで喜劇の衣裳のやうだが、これが昭和三十年代の公務員の制服だったのである!
私が小學生だった頃に人氣のあった少年向けギャグ漫画に、立派な衣類は正面だけで後ろはすべて紐で結んでゐる“元上流階級”の登場人物があったことを思ひ出す。
と同時に、いま大赤字の郵政サンは、郵便料金の値上げばかりしてゐないで、制服のシャツをみんなこれに變へたらどうかと思ふ。
これでこそ、本當の昭和懐古(ノスタルジック)、企業努力と云ふものだらう。
洗剤や歯磨き粉、シャンプーなど泡モノの新製品が次々と登場したのもこの時代だが、この當時には野菜や果物に付着した農藥や害虫などを、なんと専用の洗剤で洗ひ流すやう推奨してゐたとは、驚愕の一言に尽きる。

いや、廣告の文句に「水で洗い流すだけでは落ちません」などと謳ってゐるところは、もう恐怖すら覺える。

戰後次々に浮上した人体への藥害問題の端緒が、すでにここに示されてゐる昭和懐古の“闇”を、私はここに目撃したのである!
そして令和ニッポンでは決してあり得ない廣告。


……昭和三十年代とは、もはや懐かしむ對象ではない異世界のやうに思へてきた。