東京都目黒區中町一丁目の新榮教會脇に、明治から戰中までこの場所にキリスト教精神に基くハンセン病患者のための私立病院「慰廃園」があったことを、
通りすがりで逢った石碑により知る。
古くは“らい病”とも云ったハンセン病の存在を、私はかつて遠藤周作が昭和三十八年(1963年)に發表した小説「わたしが•棄てた•女」を原作とする熊井啓監督の映画「愛する」(平成九年 日活)を觀て、初めて知る。
原作の小説は、それからだいぶ後に讀んだ。
主人公の男の醒めた筆致が、どうも気に食はなかった記憶がある。
柴田錬三郎の「眠狂四郎」でもこの病がちょくちょく扱はれ、松本清張の「砂の器」を讀んだ時には、ハンセン病患者の父がゐた過去を持つ前途有望の青年が、それによる社會からの偏見を逃れたい一心で罪を重ねた真相に、遣る瀬ない氣持ちになった。
もし讀書と云ふ樂しみがなかったら、私はおそらくハンセン病のことは一生知らなかったらうと思ふし、またこの石碑も素通りしたに違ひない。
存在に氣付けた御縁は、
自分の財産。
今日の一瞬に、感謝。