東京都國分寺市の「武藏國分寺跡」を、十數年ぶりに訪ねる。
このあたりは大昔に有名な「三億圓事件」の現場にもなったが、今回はその“現場検証”にあらず、十數年前の當時ここを會場にした薪能が催され、その時の出逢ひが再び傳統藝能を學ばうと決心し、現在の私につながるきっかけとなった、“再出發”の地なのである。
あの日、會場に着いたのが夜だったので、廣い跡地のどのあたりに舞薹があったか、今ではよく思ひ出せないが、佐渡寶生の舞ふ「巻絹」、そしてお囃子の音色(こゑ)が、落ち着き先を見失ってゐた私の心にスーッと染み入ったあの瞬間は忘れるものにあらず、それから現在(いま)の私は始まったのだ。
人は“出逢ひ”によって變はれる。
その出逢ひとは、ヒトばかりとは限らぬ。
武藏國分寺跡の傍には、「國分寺藥師堂」が、立派な山門の奥にまします。
静緑に囲まれたそれは、建武二年(1335年)に新田義貞が別の場所に寄進したものを、江戸中期に現在の場所に建て替へた云々、もとの國分寺は鎌倉幕府が滅亡した年の「分倍河原合戰」で焼失したと考えれてゐることから、天平文化を傳へる佛閣と云ふわけではないやうだ。
形は消えても念(おもひ)は消えず。
逢へたその御縁に、
感謝あるのみ。