迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

完成間近の国立市のマンション解体へ「富士山と重なる」と景観懸念

2024-06-08 18:40:00 | 浮世見聞記

東京都國立市中二丁目、“富士見通り”沿ひに新築されたマンションが、地域住民の「日照權」や、通りから望む富士山の景觀を損ねるなど、地域住民からの度重なる苦情を受けて、入居者への引き渡しを予定してゐた来る七月に急きょ取り壊しを決定云々──


現今流行りの手抜き工事ならば、「またバレたのか……」と思ふだけだが、「富士山が見られなくなる!」はまず聞かない理由なので、どんな感じなのかしら、と下らない野次馬根性を發揮する。



JR中央線國立驛の南口より、西南方向にまっすぐ伸びる“富士見通り”、



驛前あたりから向かふを望むと、たしかに件のそれが見える。



おそらく、空氣の澄んだ日にはこの道からスカッと、靈峰が拝せるのだらう。


(※しりあがり寿・作 「髭剃り富士」より)

富士見通りをさらに進むと、靈峰の“敵”はいよいよその全貌を明確にする。



見た感じでは、今時のごくありふれた新築マンション、造作がこじんまりしてゐるところに、一應周辺の住民に氣を遣ったらしい痕跡は窺へる。

が、“富士見通り”なのに富士山が隠されて見えなくなるのでは、どんなに狭小物件でも怒る人は怒るだらう──私が地元住民だったら、間違ひなくそちらのクチだ。



しかし、出来上がった建物の取り壊しまで追ひ込んだ地元住民たちの氣持ちの強さもなかなかのもの、しかし、ちょっと空いた土地があるとすぐにアパートだのマンションだのを建てたがる現今の風潮に一石を投じる事例として、私は大いに有りだと思ふ。
 

富士登山から帰って来た男に、同じ長屋に住む男が、「富士山からこの長屋が見えたかい?」と訊ねると、富士山帰りの男は見えるわけがない、と笑ふので、長屋の男は、「おかしいなァ、長屋から富士山はよく見えるのにな……」と不思議がる──

この江戸小噺が示す如く、雄大壮大なる靈峰富士に立てば、下界俗世のこんないざこざなど、見えもしないちっぽけな俗事にすぎないだらう。









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