神奈川縣立金澤文庫の特別展「運慶 女人作善と鎌倉幕府」を觀る。
鎌倉初期の名佛師であった運慶とその一派が遺したとされる佛像の數々を眺めてゐるうち、憤怒、または静美を湛えた尊顔から下は、まるっきり人間と變はらないではないか、と感じる。
(※案内チラシより)
地藏菩薩像を前にした年配の女性は、「綺麗だわ……」と惚れ惚れした息を洩らしてゐたが、それは理想を偶像化した表面的容貌に見とれてゐるだけではないか……?
冩實な手、繊細な指先に再現された、精巧な爪に至っては、艶めかしさすら覺えたのは私の“煩悩”なのか……!?
(※同)
考古美術品としては間違いなく第一級のそれは、造像の發注者のほとんどが鎌倉幕府關係者であった事實が示す如く、ホトケの教へはホトケのチカラより、鎌倉幕府と云ふ當時新進の現世權力によって守られ、發展し、そしてそこに限界もあったのだと、私は見て見ぬフリをすべきものを、佛像群の隙間から見てしまった氣がした。
隧道を抜けて稱名寺に出ると、昨日静かに息を引き取った身内の極樂浄土への案内を、本堂で願ふ。
前庭の池では、鴨たちがのんびりと日なたぼっこを樂しんでゐる。
その様子を中橋から覗き込んでゐた散歩中らしきお爺さんが、「脂がのってゐて旨そうだなあ」と大きな聲で独り言を云ってゐる。
そして鴨たちへ、「今度ネギを持って来いヨ」を續けたのが、何とも可笑しかった。