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かつては“快速特急”として、京浜急行本線を颯爽と走っていた2000形。
少年時代、父と三浦海岸へ遊びに行った帰り、現役バリバリの“快特”2000形に乗った記憶がある。
ポイントレールが連続するどこかの直線区間を、高速度のまま“カタカタカタ……!”と軽快な音を響かせて通過していたことが、いまも強く印象にのこっているのだ。
その頃から京浜急行2000形は、わたしのなかで『気になる存在』だった。
前面はスピード感を演出した“く”の字形、そして大きく張られたフロントガラス-
このデザインは後輩車両たちに受け継がれなかったため、登場から30年が経った現在も、京浜急行の車両群では個性的異彩を放っている。
1998年(平成10年)以降、後輩の2100形に快特の座を譲って各停用に格下げとなり、集団お見合い式クロスシートは通勤タイプのロングシートに、また2ドアも3ドアへと改造された。
それからはやくも、10年以上がたった。
現在は主に、横浜方面から羽田空港へ向かう人々を乗せる“エアポート急行”に充てられ、内装などの細部にややくたびれ感が出てきたものの、往年の素晴らしい乗り心地は今なお健在。
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わたしが時々、無性に京浜急行に乗りたくなるのは、この2000形に会いたいがためだ。
が、後輩の1000形が増備されつつある現在、少しずつ廃車が進んでいる。
実際、車両の平均寿命とされる30年を過ぎているのだから、致し方ないことではある。
いざ全廃が決まってから慌てないやうに、今のうちに今を楽しもう。
ちなみにわたしは、「京急」と略すよりも、“けいひんきゅうこう”と正式名で呼ぶほうが好きだ。
急行、といふ響きのためもあるのだろうが、そのほうが「速いぞぉ!」と、ワクワクさせるものがあるからだ。
この一枚↓は、2000形の運転席越しに見た、“旧平沼橋駅”跡。
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70年前の横浜大空襲により、駅としての使命を断たれた、その遺構だ。
この駅跡については、数年前の「てつみちがゆく」で既に紹介しているが、なにやら不穏な議論が永田町で取り沙汰されている戦後70年のいま、改めて“あの時”の事実の一片を、ここに訴えるものである。
少年時代、父と三浦海岸へ遊びに行った帰り、現役バリバリの“快特”2000形に乗った記憶がある。
ポイントレールが連続するどこかの直線区間を、高速度のまま“カタカタカタ……!”と軽快な音を響かせて通過していたことが、いまも強く印象にのこっているのだ。
その頃から京浜急行2000形は、わたしのなかで『気になる存在』だった。
前面はスピード感を演出した“く”の字形、そして大きく張られたフロントガラス-
このデザインは後輩車両たちに受け継がれなかったため、登場から30年が経った現在も、京浜急行の車両群では個性的異彩を放っている。
1998年(平成10年)以降、後輩の2100形に快特の座を譲って各停用に格下げとなり、集団お見合い式クロスシートは通勤タイプのロングシートに、また2ドアも3ドアへと改造された。
それからはやくも、10年以上がたった。
現在は主に、横浜方面から羽田空港へ向かう人々を乗せる“エアポート急行”に充てられ、内装などの細部にややくたびれ感が出てきたものの、往年の素晴らしい乗り心地は今なお健在。
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わたしが時々、無性に京浜急行に乗りたくなるのは、この2000形に会いたいがためだ。
が、後輩の1000形が増備されつつある現在、少しずつ廃車が進んでいる。
実際、車両の平均寿命とされる30年を過ぎているのだから、致し方ないことではある。
いざ全廃が決まってから慌てないやうに、今のうちに今を楽しもう。
ちなみにわたしは、「京急」と略すよりも、“けいひんきゅうこう”と正式名で呼ぶほうが好きだ。
急行、といふ響きのためもあるのだろうが、そのほうが「速いぞぉ!」と、ワクワクさせるものがあるからだ。
この一枚↓は、2000形の運転席越しに見た、“旧平沼橋駅”跡。
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70年前の横浜大空襲により、駅としての使命を断たれた、その遺構だ。
この駅跡については、数年前の「てつみちがゆく」で既に紹介しているが、なにやら不穏な議論が永田町で取り沙汰されている戦後70年のいま、改めて“あの時”の事実の一片を、ここに訴えるものである。