迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

てつみちがゆく-京浜急行2000 形

2015-06-05 18:52:19 | 鐵路
かつては“快速特急”として、京浜急行本線を颯爽と走っていた2000形。


少年時代、父と三浦海岸へ遊びに行った帰り、現役バリバリの“快特”2000形に乗った記憶がある。

ポイントレールが連続するどこかの直線区間を、高速度のまま“カタカタカタ……!”と軽快な音を響かせて通過していたことが、いまも強く印象にのこっているのだ。


その頃から京浜急行2000形は、わたしのなかで『気になる存在』だった。



前面はスピード感を演出した“く”の字形、そして大きく張られたフロントガラス-

このデザインは後輩車両たちに受け継がれなかったため、登場から30年が経った現在も、京浜急行の車両群では個性的異彩を放っている。



1998年(平成10年)以降、後輩の2100形に快特の座を譲って各停用に格下げとなり、集団お見合い式クロスシートは通勤タイプのロングシートに、また2ドアも3ドアへと改造された。


それからはやくも、10年以上がたった。


現在は主に、横浜方面から羽田空港へ向かう人々を乗せる“エアポート急行”に充てられ、内装などの細部にややくたびれ感が出てきたものの、往年の素晴らしい乗り心地は今なお健在。





わたしが時々、無性に京浜急行に乗りたくなるのは、この2000形に会いたいがためだ。


が、後輩の1000形が増備されつつある現在、少しずつ廃車が進んでいる。

実際、車両の平均寿命とされる30年を過ぎているのだから、致し方ないことではある。


いざ全廃が決まってから慌てないやうに、今のうちに今を楽しもう。



ちなみにわたしは、「京急」と略すよりも、“けいひんきゅうこう”と正式名で呼ぶほうが好きだ。

急行、といふ響きのためもあるのだろうが、そのほうが「速いぞぉ!」と、ワクワクさせるものがあるからだ。




この一枚↓は、2000形の運転席越しに見た、“旧平沼橋駅”跡。



70年前の横浜大空襲により、駅としての使命を断たれた、その遺構だ。

この駅跡については、数年前の「てつみちがゆく」で既に紹介しているが、なにやら不穏な議論が永田町で取り沙汰されている戦後70年のいま、改めて“あの時”の事実の一片を、ここに訴えるものである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ともにいたさよいつとても。 | トップ | はなはひらきやがてはばたかん。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。