「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             "米寄こせメーデー”の頃

2013-05-01 08:09:07 | Weblog
今日5月1日は労働者の祭典メーデーである。といっても、どこで祭典があるのかメデイアもあまり伝えないので僕には判らない。メーデーというと僕には昭和27年の皇居前”血のメーデー”の騒乱事件とともに戦後すぐ21年の”米寄こせメーデー”が記憶にある。21年メーデーは戦後初、しかも11年ぶりに復活した労働者の祭典であった。実はこの”米寄こせメーデー”も1日に行われたものと思っていたが、僕の記憶違いで19日に別に行われていた。

正式名称は「飯米獲得人民大会」で、当時共産党員だった松島松太郎氏(故人)が「詔書 国体は護持された 朕はたらふく食べている 汝臣民餓えて死ね」というプラカードを掲げ、これが不敬罪に当たるかどうかで争われた。当時旧制中学5年(高校2年)であった僕でもこのことを覚えている。

今思うと大変な時代であったのだ。20年産の米は飢饉で、外地からの復員、引揚者が急増した。一千万が餓死するといわれた時代であった。食糧の配給は遅配し、それも米ではなくサツマイモなどの代用食で、時には進駐軍からララ物資の缶詰だったこともあった。巷には政府の隠匿物資の摘発騒動もあった。僕の通っていた中学校では5月1日から弁当が持参できず午前授業になった。

東西冷戦時代、旧ソ連は労働者の祭典より国の力を誇示する軍事パレードが話題を呼んだ。そのソ連も崩壊後の1992年から今のロシアはメーデーは「春の労働の日」と名称が変わり、かっての軍事パレードも行われなくなった。北朝鮮はどうなのだろうか。相変わらずの食糧不足らしいが”米寄こせデモ”が起きるほど逼迫してはいないのだろうか。ただ、旧ソ連のように軍事力だけは誇示しているが。