「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             失せた大型連休の金色の輝き

2013-05-05 06:36:46 | Weblog
大型連休も後半に入ったが、80歳過ぎの老人には一向に喜びも楽しみもない。せいぜいテレビで野球観戦し、夕方、甲乙混和の安焼酎でほろりとする程度だ。昔はよく、この春の連休のことを”ゴールデン.ウィーク”といったが、最近はあまりこの言葉を聞かない。大型連休であっても、かってのような金色の輝きが失せてきたのであろうかー。

”ゴールデン.ウイーク”の語源をウイークぺディアで調べてみたら、もともとは昭和26年(1951年)映画会社の松竹と大映が新聞の人気小説「自由学校」を競作し、この時期に上映したところ、ともに好成績であったのが語源だという。「自由学校」について僕も変なことが、まだ記憶にある。それは夫婦喧嘩のあげく家出した主人公の南村五百介が、お茶の水の外濠の横穴でホームレスのような生活をしていたことだ。今思うと、まだ戦後の焼け跡時代で、流行歌も「私は街の子」(美空ひばり)「東京シューシャン.ボーイ」(暁てるこ)が流行していた。

当時は大型連休でも一般庶民は、泊りがけで行楽に出かけたり、郷里に帰る余裕はなかった。せいぜい映画館が満員になるぐらいの楽しみであった。サンフランシスコ条約が発効し、独立が復活したのも、この年だったのだが、人々の生活は貧しく連休でも楽しむ余裕はなかった。昭和30年代にはいって”ゴールデン.ウイーク”の言葉は定着したが、その”ゴールデン”の輝きを実感できたのは、いつごろだったであろうか。バブルの時代だと思うが、老人は再び、その輝きの恩恵に浴せなくなった。