「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

   ”ヤマト(日本)からの独立” 照屋社民党副党首の発言        

2013-05-16 06:09:06 | Weblog
社民党の照屋寛徳議員(副党首)が自分のブログ(4月1日)の中で「沖縄ついにヤマト(日本)から独立」と書いていた、と産経新聞が伝えていた。昨日15日は沖縄が日本に復帰して41年だが、照屋議員が毎日更新しているブログには「ウチナ(沖縄)のことはウチナンチュー(沖縄人)が決める」と、見方によっては若干トーンダウンしているが、相変わらずヤマトを強く意識した発言をしている。

20年ほど前まで東京に「日本インドネシア友好団体協議会」という団体が活発に運動していた。戦時中インドネシアにいた軍人軍属のいってみれば戦友会組織だったが、いつも自民党の稲嶺一郎参院議員が顔を出していた。稲嶺一郎氏(故人)は、稲嶺恵一前沖縄県知事の実父で、戦時中はジャカルタの海軍武官府で警護課長をしていた。武官府の前田精長官邸ではインドネシア独立宣言が起草されている。また、稲嶺氏は戦後連合軍によって戦犯容疑で拘束されている。

僕も当時この協議会の会合で稲嶺氏にお会いしているが、照屋議員が今盛んに言っているような”ヤマト”とか”ウチナ”といった変な差別は全くなかった。日本とインドネシアの国旗の下で、同じに戦った戦友として和気藹々と話しあい乾杯した。ウイキぺディアによると、照屋議員は敗戦数週間前、サイパンの米軍捕虜収容所で生誕されている。沖縄戦の体験はないが、沖縄戦ではウチナンチューだけでなく、ヤマトンチューも一緒に戦い、沢山の犠牲者を出している。日本という国家がある以上、沖縄の未来はウチナだけでは解決できない。照屋氏は日本の国会議員なのである。