「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           「アジア女性基金」とは何だったのか

2013-05-29 05:54:49 | Weblog
維新の会共同代表橋下徹大坂市長の慰安婦発言から、僕は改めて「女性のためのアジア平和基金」(アジア女性基金)とは、なんだったのか考えてみた。「アジア女性基金」は1995年、村山内閣の時、アジアの慰安婦問題解決のため政府が設置した民間機関である。2007年に所期の目的が達成できたとして解散しているが、橋下発言を見ていると、この問題は一向に「アジア女子基金」によって片付いたとは思えない。

たまたま、この基金について調べるためネット資料を渉猟していたら「15年戦争資料1999」というのがあった。「アジア女性基金」の歴史資料調査委員長だった和田春樹東大名誉教授らの調査報告をまとめたものである。そのひとつに、例のスマトラの日本軍による防空壕虐殺ウソを自著の中で紹介していたI.K 教授の「インドネシアにおける慰安婦調査」という論文もあった。

I.K教授は1993年名古屋の国立大学院の教授だったとき、地元の民放「中京テレビ」制作の”IANFUインドネシアの場合」に関わっているが、番組の中で、戦時中ジャワ駐屯の日本軍の数より多い、2万数千人の”慰安婦”が名乗り出たというので話題になった。I.K教授の”歴史考証を”を受けて「アジア女性基金」はインドネシア政府に対して、基金の適用を申しれたが、96年11月、インドネシア社会省は「”従軍慰安婦”については今の時点では存在したかどうかは不明だ。将来の史家が判断しよう。この問題(慰安婦に対する補償)はインドネシア側から持ち出したものではない。しかし、せっかくの日本側からの援助金だから、第三者を仲介したり個人に給与したりせず、、より大きな女性福祉の事業に使いたい」という声明を発表。その後高齢者福祉施設の建設資金にあてた。

「アジア女性基金」は、2007年の解散までに285人の慰安婦に対して5億8千万円が支払われているが、韓国では”償い金”を受けったのは僅か数人だという。一体全体「アジア基金」とはなんだったのか。基金の解散を受けて朝日新聞の社説は「この遺産を未来へ」と書いているが遺産とは何を指すのだろうか。まさか河野発言を指すのではあるまい。