5月27日は「海軍記念日」であった。108年前の明治38年(1905年)5月27日、東郷平八郎率いる日本帝国海軍は、対馬沖の日本海でロシアのバルチック艦隊38隻を撃破、日露戦争を勝利に導いた記念の日である。しかし、今、日本人のどのくらいの人が、この名誉ある日本海海戦の事を知り、「海軍記念日」の事を知っているのだろうかー。
日本海海戦の旗艦「三笠」は今、横須賀の「三笠公園」の一角に保存されているが、敗戦直後ソ連(当時)によって解体の危機にあった。また、保存のための財政的危機から、艦全体が進駐軍のレクリエーション施設となり、東郷司令長官の居室が「キャバレー.トーゴー」として利用されていた時代もあった。この荒廃状態に救いの手を差しのべた一人が当時のアメリカのチェスター.二ミッツ 太平洋艦隊司令長官で、自著の印税を全部復興のために寄贈した。
戦争末期、”いざ来い二ミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし”という「比島決戦の歌」が流行し、僕もこの歌を蛮声あげて歌った。そんなこともあって、二ミッツの名前は僕らの世代にはよく知られている。調べてみると、この二ミッツ提督は子供の時から日本海海戦に勝利した東郷平八郎提督の崇拝者で、戦災で焼失した東京原宿の東郷神社の再建にも、印税の全部を寄贈、協力している恩人なのだ。
戦後だいぶ経った頃だが、10万人の犠牲者を出した東京大空襲を指揮した米空軍のカーチス.ルメイ司令官に旭日大授賞が贈られた。しかし、チェスター.二ミッツ提督に日本政府が勲章を贈ったという話を聞いたことがない。
日本海海戦の旗艦「三笠」は今、横須賀の「三笠公園」の一角に保存されているが、敗戦直後ソ連(当時)によって解体の危機にあった。また、保存のための財政的危機から、艦全体が進駐軍のレクリエーション施設となり、東郷司令長官の居室が「キャバレー.トーゴー」として利用されていた時代もあった。この荒廃状態に救いの手を差しのべた一人が当時のアメリカのチェスター.二ミッツ 太平洋艦隊司令長官で、自著の印税を全部復興のために寄贈した。
戦争末期、”いざ来い二ミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし”という「比島決戦の歌」が流行し、僕もこの歌を蛮声あげて歌った。そんなこともあって、二ミッツの名前は僕らの世代にはよく知られている。調べてみると、この二ミッツ提督は子供の時から日本海海戦に勝利した東郷平八郎提督の崇拝者で、戦災で焼失した東京原宿の東郷神社の再建にも、印税の全部を寄贈、協力している恩人なのだ。
戦後だいぶ経った頃だが、10万人の犠牲者を出した東京大空襲を指揮した米空軍のカーチス.ルメイ司令官に旭日大授賞が贈られた。しかし、チェスター.二ミッツ提督に日本政府が勲章を贈ったという話を聞いたことがない。