「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            都会の中の元禄時代の馬頭観音

2013-05-18 05:39:38 | Weblog
知人との待ち合わせで昨日、生まれてから14年間育った故郷の地を久しぶりで訪れた。昭和20年3月、強制疎開になるまで僕はここに住んでいたが、5月24日の空襲で町は完全に破壊され、まったく昔の面影は残っていない。しかし、町の角々には色々と子供の頃の楽しかった想い出は残っている。今、この地には母方の本家に当たる従弟の長男がビルを建てて住んでいる。

このビルの入口に元禄10年(1690年)創建の馬頭観音が置かれてある。きれいに清掃されて花まで添えられてある。この馬頭観音は僕が子供だった頃は、母方の実家の広い庭の築山の隅に置かれてあった。戦前昭和の時代には、このあたりでも旧家は庭が広く、僕らにとって築山は格好の遊び場であったので、僕の記憶の中にも、この馬頭観音は残っている。

馬頭観音には元禄10年創建と刻まれてあるが、考えてみればかなり古い。忠臣蔵の討ち入りも古く、松尾芭蕉が奥の細道の旅に深川を出発した頃に作られたものだ。亡母の話では、この観音は明治の初期、近くの桐ケ谷火葬場の改修工事のさい路傍に放置されていたものを供養のため先祖が持ち帰ったものだという。

馬頭観音は元禄大地震(1703年)安政大地震(1855年)関東大地震(1923年)にも耐え、大空襲(1945年)でも破壊されなかった。今や、実家の周囲は高層ビルが林立し、馬頭観音は一見似つかわしくないが、若い世代に何か訴えるののがあるらしい。実家の当主の話では、見知らぬ人からの花やお賽銭が絶えないという。