「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           51年前のアブダビ飛行場の1時間

2013-05-03 06:05:53 | Weblog
中東諸国歴訪中の安倍晋三首相が昨日UAE(アラブ首長国連邦)の首都アブダビでムハマンド副大統領兼首相と会談、原子力協定に署名、会談後共同声明が発表になった。51年前の事だが、僕は当時勤めていた新聞社の移動特派員として、たった1時間だが砂嵐舞うアブダビの飛行場に給油のため立ち寄ったことがある。立派な近代都市に発展した今のアブダビの姿をテレビでみて感無量だ。

1962年11月、僕はカイロを出発点にシリア、レバノンをけ経てイエメンを経由してUAEのドバイに1週間滞在した。当時はドバイもアブダビも英国の保護領で「休戦海岸土侯国」を構成する一つであった。取材目的は”アラビアンナイトは生きている」とい新年企画であった。僕はカメラマンと一緒にドバイ飛行場から小型のプロペラ機に乗ってカタールのドーハに向かったが、途中給油のためアブダビ飛行場に立ち寄った。

当時のアブダビ飛行場は舗装された滑走路はなく、砂漠のなかに小さな管制塔があっただけだった。今でも僕の記憶にあるのだが、僕らの飛行機が給油していると、当時英国の保護領に駐在していた若い外交官の政務官(political agent)がやってきて、見ず知らずの僕らに向かって如何にアブダビでの生活が厳しいかを涙を流さんばかりに訴えてきた。

アブダビに石油が発見されたのは1958年だが、当時はまだ貧しい砂漠の中の土侯国だった。米国のタイム誌が”アブダビのシェイク(土侯)は紙幣は虫に食われるという理由から拒否し硬貨だけを受け取る”と未開ぶりを揶揄して書いていたほどだ。今は、ドバイに負けじ劣らず超高層ビルが林立する近代国家に変容している。成田空港から週に4便も同国のエティハド航空の直航便が飛んでいる。まさに隔世の感がある。