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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

シンガポール.ブキティマ博物館の旭日旗

2013-08-06 12:11:22 | Weblog

シンガポールのブキテイマ博物館の展示物入口は大きな旭日旗の壁で飾られている。この博物館は昭和17年2月、日本軍と英国軍との最後の激戦地で、ここにあったフォード工場で、英国軍が降伏した。それを記念して数年前博物館が建てられた。シンガポールでは占領直後、華僑の虐殺事件が起き、5千人が殺された(連合軍裁判記録)とされている。昨年11月、僕はここを訪れたが、滞在中親切にアテンドしてくれた陳さん(70)は、虐殺事件で父親を殺害されている。もちろん、過去の事件については、お互いに触れなかったが,過去の恩讐を超越した彼の心からの親切に感謝している。

敗戦は玉音放送の前に漏れていた

2013-08-06 06:47:10 | Weblog
亡父が残した日記の昭和20年8月9日の項に”10時半出勤、昼食そこそこに帝国ホテルの岡崎勝男氏(外務省情報調査局長)の講演会に行く。席上、日ソ開戦、容易ならざるの事態発生の発表あり、憂鬱の気に閉ざされる”とある。長崎に原爆が落とされたのは、この講演会の最中であった。(9日午前11時3分)岡崎氏は戦後外務大臣になった方。亡父は当時大東亜省傘下団体の嘱託であった。

亡父の日記には、一切原爆についての記述はない。広島原爆(6日)については、すでにだ大本営から「新型爆弾」として発表があり、一部ではあるが原爆による広島の惨状は新聞でも伝えれていた。岡崎氏がこの日の講演で、広島原爆に触れたかどうかは明らかではない。が、講演会から翌々日の11日の日記には一言”昨日に続き不快な情報を聞く”とある。日記には”不快な情報”とあるが、日本が負けたという情報であった。当時中学3年生であった僕でさえ理解していた。

桜井よしこさんが産経新聞に書いたコラム”歪曲された麻生発言”(8月5日首都圏版)の中で”終戦5日前に敗戦を示唆する政府声明があった”という記述があった。終戦5日前とは、亡父が”不快な情報”を耳にした8月10日である。ごく限られた範囲だとは思うが、敗戦は天皇陛下の15日の玉音放送の前に漏れていたのは事実である。

そうかといって、庶民にはどうにもならなかった。広島、長崎の原爆の悲惨な結果が正確に伝わらなかったこともあろう。亡父の日記はこの時期でも、毎日酒を飲める場所を求めて勤めの後、駅前の国民酒場をうろついたり、12日の日曜日には仲間と一緒に逗子海岸に泳ぎに行ったりしている。亡父が聞いた”不快な情報”は、当然朝日新聞でもつかんでいたと思う。それにもかかわらず、朝日新聞は14日の紙面で戦争遂行と戦意高揚を強調した社説を掲げている。桜井さんは、これは国民への犯罪的報道だとしている。時代が時代であったことは解るが、なぜ朝日はあえてこんあ社説を書いたのであろうか。