「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

七年で復興した関東大震災

2013-08-27 07:04:23 | Weblog
関東大震災が起きてから今年で90年になる。僕は体験していないが、つい最近まで、わが家には「大正大震災写真帖」(数年前震災記念館に寄贈)や震災で焼け崩れた銅貨の山などがあって、僕は子供の頃から震災の怖さ恐ろしさをよく知っていた。その記念物の中に「帝都復興記念写真グラフ」もあった。これも寄贈してしまったが、改めて帝都復興記念日がいつだったのかを調べてみたら、震災から7年後(正式には6年6か月後の昭和5年3月)であった。

東北大震災から、すでに2年6か月経った。復興庁による復興計画は着々実施されていると思うが、どうも僕らには目にみえてこない。目に見えてくるのは、仮設住宅近くのバラック建ての商店ぐらいだ。関東大震災に比較して、被災地が津波により被災地が広範囲にわたっており、しかも福島原発事故という複雑な要因もある。しかし、復興へのスピードが今一つ遅く、青写真すら描かれていないのでは、と心配すうるのは僕だけではないのでは、ないだろうか。

現在の東京都内の道路網の基幹となっている昭和通り、靖国通り、内堀通りなどは関東大震災の復興計画により出来たものだが、震災から5年ごの昭和3年には、ほぼ完成している。当時の後藤新平・東京市長を中心いした帝都復興院による迅速な復興計画の実施によるものだった。東北大震災の時は「復興構想会議」が発足したのは、震災から1か月後、それも「構想」で、メンバーの中には哲学者とか脚本家とか、実際の復興には直接役立たない人も入っていた。民主党独特のパーフォーマンスであった。

復興庁が正式に発足したのは、震災から11か月たった2012年3月だった。この最初の遅れが復興への遅れになっているのではないだろうか。津波に耐えた一本松の復元も大切かもしれないが、道路、鉄道などインフラ整備のほうが重要ではないだろうか。